一年で最も幸せで悲しい日
1998年5月5日、0時38分、西横浜国際総合病院にて待望の第一子・将貴は誕生しました。3025グラム、予定日より一週間早く産まれてきてくれた。
ゴールデンウィーク期間中ということもあり、出産の兆候が少し出た段階で念の為入院した2日後の子どもの日に元気な産声とともに。
あの日のことは今でも鮮明に覚えているし、思い出すだけで涙が溢れる。本来であれば最初の子どもの誕生はやはり感慨深いものだと思うが、実際に息子は産まれて2回しか誕生日を迎えていない。もうすぐ3歳になる前に天使になってしまった。
あの出産から25回目の誕生日を迎えたが、25歳になった息子の姿を想像することはできない。写真に笑顔で写る顔も、大好きなトミカも当時のまま。2歳の愛くるしい姿しか思い浮かばない。
亡くなった人は歳をとらない、と聞いたことがある。最初の頃はそんなことはない、ちゃんと歳を重ねるんだ!と年相応な誕生日プレゼントを用意した。足のサイズも5歳だとこれくらいかな?左利きだったからグローブも左利き用を買った。
しかしどんどん年齢を重ねていくと、その歳になった息子の姿がわからないのである。2歳の男児が中学生、高校生、20歳・・・・どんな感じになってるのかな?と考えることはあるが、その姿が想像できない。
その頃から私の中では将貴は永遠に2歳11ヶ月のままになってしまった。
私が息子のそばに行く時、私はすぐにわかるが、息子から見たら24歳のお母さんがおばさんになっている。ちゃんとお母さんとわかってもらえるように、なるべく容姿が変わらないようにしなくてはいけない、と真剣に思っている。
昨日は娘と一緒に息子の誕生日ケーキを買いに行った。将貴はいちごが大好きで、ケーキはいつもイチゴショート。娘はイチゴタルトがいいと言っていたが主役は息子なので、とイチゴショートを購入。
そして何より、車が大好きで今も家中にトミカのミニカーがある。2歳で街中を走っている車の車種をほぼ覚えていた。トミカ博に行った時のはしゃぎっぷりはとても可愛いかったな。
なのでトミカのミニカーも買ってみた。『ランボルギーニ・カウンタック』これを2歳児が話せていたのは、今思うとすごい才能だったのかも(←親バカ)
将貴、お父さんとお母さんの元に産まれてきてくれてありがとう。
もう少しだけ待ってってね
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