いざ手術当日。前日もUberとして来院していた為、 看護師より予定の1時間前には来ているようにと話あり。コロナ禍ではあるもののデイルームという家族の待合室で手術中、待機せよとの事。 言われた通り待つ。 しばらくすると母登場。軽く挨拶し、手術室まで同行する。 「じゃあ、またね」 ここで普通なら頑張って!とか言うんだろうけど、私の脳内は別の心配でいっぱいだった。 母、腹の肉いっぱいだけど、目的地迄たどり着けるの?
手術は予定だと3時間程。開始が14時だから、 遅くとも17時には終わるだろうと思っていた。 が、甘かった。待てど暮らせど終わったって連絡が来ない。スマホの充電も切れそうになる。 デイルームで、待っていた他の家族もどんどん帰り、私だけに‥。 何かあった?と不安は無く、むしろホッとする。 実は祖母は肺癌で亡くなった。手術したが、開いただけで閉じた為、予定より早く終わったって小さい頃から聞いていたから。 時間がかかってるって事は、取れたんだろう。 良かった。 良かったには、良
腹水抜いてもらい元気になった母。 「病院のご飯、食べる物が無い」 食べる物はあるだろ。とつっこんでしまった。 そう、母は驚く程の偏食。癌になったのもそのせいでは?と思うくらいに。 肉類は一切食べない。魚も新鮮な物でないとダメ。果物、野菜も少しでも酸味が強いものは食べない。 毎日、主治医や看護師さんに怒られてる。 何とかしてと。 というわけで、毎日弁当を作って届ける羽目に。 きっとナースステーションでは、私の事を敬意を込めて「Uber(ウーバー)」と呼んでいた事だろう。泣
入院した日。酸素5リットルからスタート。 よくそんな状態で家にいたわと思う。 手術迄の2週間程、手術の説明、麻酔科の説明など何度も呼ばれる。その度に休みを取った。 職場の上司、同僚も快くシフトを変わってくれてとても有り難かった。 入院して2日目、腹水は肺の1番上迄上がり、1.5リットル抜いてもらう。更に、約1週間後に1.5リットル抜いてもらいやっと呼吸出来るようになった。 息が出来るようになった途端、我儘が炸裂しはじめた。
手術が決まって数日、まさかの事態。 親の呼吸が明らかにおかしい。しかも日曜日。 救急に連絡したら、受診してもいいとの事。 待合室で、酸素飽和度計測してもらう。 看護師「ちょっとマスク外して?(唇の色確認)」 親「ねえ、87ってヤバいの?」 私「何が」 親「さっきのやつ。(パルスオキシメーター)」 ヤバいよ!救急搬送レベルだよ! 思った通り、右の肺は腹水で真っ白。緊急入院に。 親は、日曜日に入院すると高くなるから明日にするって駄々こねたけど、死ぬから!と一喝。入院になる。
本人より、約3週間後に手術の予約を入れたとの事。 そうか、手術出来るのか。と少し安心した。 手術前日から入院、手術前にCTやら説明やらで何回か病院に行くという。 「お母さん、怒られちゃった。ほら、手術の予定の日に旅行の予約入ってたじゃん?旅行の後じゃダメですか?って言ったの。」 は?状況、分かってます? 「そしたら、先生黙っちゃって。やっぱりダメだったわ」 当たり前でしょ!💢と説教した。
近所の医院に受診。すぐ大きい病院紹介され、卵巣癌疑いの連絡。 やっぱり癌か。 すぐに、ネットで調べると嫌な事しか書いてない。 これから、どーなるのか?不安。 とりあえず弟に連絡。相談した。 母が帰って来たら、マイナスな事は言わないと決めた。
「ねえ、ちょっとお腹見てくれる?」 2022年8月末、カエルの腹の様に膨れてしまった腹を見せられた。 コレは、ヤバい。 一瞬で思考が止まった。コレは腹水だ。間違い無い。医療者では無いけど、分かってしまった。 「医者行ってきな」 何かの間違いであってくれ。 そう思った。