シンクロニシティの真の意味とは何か
はじめに
精神科医の西村です。臨床心理士試験に合格したことをきっかけに、noteを始めたのですが、精神医学や心理学、それにまつわる社会の話題などについて、書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。
ちなみに、私はもともと「幸せの種」カンパニーという個人事務所をやっていたのですが、本業の精神科クリニック勤務が忙しく、ほぼ休眠状態でした。ですが、臨床心理士なった(手続きしてますが、正式には2025年3月から)ことで、「幸せの種」カンパニー付属催眠心理研究所を発足させ、積極的に活動していくことになりました。上記については、またお知らせしたいと思います。
まだ作ってないホームページも作らねば・・・。
シンクロニシティをここで取り上げたのには理由がある。
前回の記事で、縁がある人に、私のnoteの記事を見てもらいたいとお伝えました。
私の記事を偶然目にした人・・・それこそが私とあなたのシンクロニシティになるかもしれない出来事です。
ユングが言ったシンクロニシティは『意味ある偶然の一致』という意味であることは心理学の世界では有名ですね。ユングとパウリの著書に書かれています。
私が「この記事は読んでほしい!」と思ったことと、 あなたが「何か面白い記事はないかな・・・」と思い、検索していた時にふと目に留まり、なんとなく気になって記事を開いたこと。
残念ながら、これが一致したのは、単に『偶然の一致』です。
あなたが、シンクロニシティ=『意味ある偶然の一致』だと感じるには、そこに、”意味づけ”が必要になります。
その”意味づけ”は、あなたが意識的にするのではなく、無意識で欲していたものを感じるかどうかです。それがあるかどうかで、
『偶然の一致』が『意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)』になっていきます。
シンクロニシティの本質をつかむには、日本語訳を見ればわかる
シンクロニシティはユング派心理学者である河合隼雄先生が、『共時性』と訳されています。
『共時性』は「時間を共にする」という意味でつけられていて、私とあなたが同じようなことを思っていることが偶然の一致で同時に生じていて(=意味をその時間の中で共有している)、”時”が強調されているのです。
実は、あまり一般には知られていませんが、同じユング派の心理学者で精神科医でもある山中康裕先生は、シンクロニシティを『縁起律』と訳されています。
『縁起律』とは、「因果の法則」が意味ある偶然の一致には内包されているという意味で、この”因果律”が強調されています。
ユングが中国古典で占いの書でもある『易経』に深い関心を寄せていたこともあることから、河合先生が『共時性』と訳していながら、あえて『縁起律』と訳した山中先生の見識は素晴らしいとしかいいようがありません。
ただお二人の訳、どちらが正しいということはなく、結論を言えば、シンクロニシティとは、『共時性』+『縁起律』の両方を兼ね備えた概念だというのが正しいです。
全て、シンクロニシティにするかどうかは、あなた次第
偶然の一致や偶然の出会いというのは誰でも体験することだと思います。それを意味あるものにするかどうか、あるいは、意味あるものと感じるかどうかで変わってきます。
偶然の出会いを、「私が求めていたものはこれだ!」と思い、行動する。そこから人生が動き出します。
ただし、偶然の出会いは、常にいいものとは限らない。偶然の出会いを巧妙に装って、人をだまそうとする悪人もいます。
シンクロニシティを感じながらも、何が正しいのかという、人や出来事を俯瞰してみる「観の目」が必要であることを最後に添えておきます。
※今後、記事を書くためのモチベーションになりますので、ぜひ「好き」と「フォロー」をよろしくお願いします。