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熱き魂を掲げる松岡修造

“やがて僕のレベルも知らず知らずに上がっていった。
なぜなら、僕が戦う相手は、いつも自分より強かったからである”


松岡修造さんの言葉も私は好きな
言葉が沢山ある。

彼はテニスに熱情を注いだ人物ではあるが、
そこに情熱をつぎ込んだからこそ哲学の最初の扉を
開いた人物だと言える。

これはイチロー選手やマイケル・ジョーダンと同じく
スポーツ選手でありながら、苦難を苦難と思わず、
成長の糧としてそれを乗り越えていく事により、
「頑張る」という本当の意味を知ったと言えるからだ。

この「頑張る」は普通の頑張るとは全く違うものである
と言える。そして哲学の入口はいつも言っているが、
どこにでも存在するものではあるが、この「頑張る」だけは
教えることは出来ないものである。

そして誰にでも見ることが可能であるものである。
だからこそ、多彩な職業の中であっても、それを
知る可能性を秘めている。

この「頑張る」は相当な覚悟が無い限りお勧めは
できない。まさに命懸けを覚悟しなければ絶対に
見えないものだからだ。

誰もが哲学の門だと知っていた訳では無い。
頑張ることの本当の意味を知ったから見えただけで
あって、探そうと思って見つかるものではないと
断言できる。

アインシュタインもよく言っていたが、自分の存在すら
疑う程まで精神が追い込まれる事は何度もあった。
それはあくまでも仕事や研究について、そう思うことが
何度もあったわけで、決して哲学と関係がある事などは
最初は誰にも分からない。

そして自分自身で哲学者だという事は非常に少ないもの
である。他者に認められて、哲学者だと思われる事はあるが
自分自身で哲学者だと言う人は、おそらく哲学者では無い。

哲学を知れば、過去の偉人たちの言葉の本当の意味が
分かるようになっていく。そして誰もが耐え難い程の
苦難を乗り越えてきた事だけが、共通点と言えるだろう。

当然ながらその中には死を選択した人も少なく無い。
地獄の炎に日々焼かれるように、何もかもが痛みとなって
襲ってくる事が日常化し、それに耐えきれない人も
当然いる。

自分というか人間そのものが耐え切れない痛みである
事だけは確かなことだろう。私がこうして生きている事は、
偶然の重なりと、心身ともに衰弱していた私には、もう
アメリカの冷凍睡眠に入るか、死ぬ事を幇助するのを
世界で唯一認められている国で死ぬかの二択しか無かった。

しかし、私が死のうとしている事を知った年上の幼馴染が
死ぬ事を止めた。全ては嘘の話だと思い込んでいて、
大笑いをしていた程の現実を、私に降りかかったことが
現実だと知って、驚きながらも止めた。

それは浅はかな行為でしか無いが、知識が浅い故、
止めた。私は一生絶対に立ち直れないと何度も言ったが、
甘く見積もる人であった為、そうなる事は既にそれよりも
ずっと以前に私は言ったが、彼は理解できないでいた。

心身が衰弱していても頭は多少は回る。
私はその人にこう言った。

「俺は絶対に治る事は無い。
しかも今死ねば必ず警察が介入してくれる。
愚かな母親が愚かにも自分たちが悪いのにも関わらず、
警察を呼んだからだ。
あのどうしようもない父母は黙秘権を使った。
自分で呼んでおきながら、自分たちがどれほど酷い事を
したかを少しは理解していたからだろう。
私の話を聞いてくれたのは一応、責任者だったようで、
俺は真夜中から外が薄っすら明るくなるまで、
3時間以上、話を聞いてくれた。
そしてその人は全てを記録として残すと言ってくれた。
また話を聞いてもらおうとして警察に電話をかけたら
休日だったらしく、婦警が代わりに対応するというので、
日時を教えた。
私が話そうとすると、婦警はすぐに止めた。
膨大な量過ぎて読むだけでも時間がかかると言っていた。
俺にはもう選択肢は無い。
記録が警察に残っていて今、遺書をPCに残して、
自殺すれば必ず警察が介入してくれる。
今しか奴らに対して意地を見せる事はできない。
奴らが生きているうちに、俺が死なないと全ては無駄になる。
そして、現実が見えていない〇君は、
頭が悪いから分からないだけで、
こんな現実は歴史を調べ上げたが2件しか無かった。
俺は生きようと努力はした。
でも二人とも自殺に近い死に方をしていた。
過去の知ることの出来る歴史には耐え切れた人は
誰一人として存在しないと言う事は、
人間には無理だという証明になる。
そしていつしか、必ず〇君は俺を避けるようになる。
どれほどの事か全く分かって無いからだ。
大笑いして俺が狂ったと言っていた事が現実にあった。
自分で俺が狂ったと思うほどの現実に晒された以上、
嘘としか思えない出来事が現実にあった。
俺は今、話しているのは俺を生かそうとするなら
命懸けの覚悟が無いと出来ない。
そして〇君のように心の弱い人間には理解できないから、
俺と距離を取ろうとすることは明らかなんだ。
必ず近い未来でそうなるのに生かそうとするのか?
俺が絶対に起こると言う事は確実に起こる」

私は自殺未遂で見つかり、たまたま生きてしまった。
おぞましい日々の中でも生を見出そうと努力した。

誰もが安易に死を選ぶ事は無い。どうにもできない
から死を選ぶだけであって、その決断は最後の手と
して、それしかないと思ってしまうからだ。

私は神々の世界の事も調べ上げたが、生きる術は
見つからなかった。リアルな悪夢を毎日見て、
血を吐き、下血が続いていたが、それでも尚、
生きる道を探した。

そして、生きるためにこれまではしなかった事も
全てした。もう時効だからいいが、違法ドラックや
デリヘルを呼んでも御飯と話をするだけで、
何もやる気になれなかった。

違法ドラックも全く効果が無い程までに、
元々は精神が強いだけに、壊れた衝撃は大きなもので
あったことから、全てを試し、全てを調べたが、
生きる道は無い事を知ると、爽快だった。

その時、あの子の事が頭に浮かんだ。

同じ境遇で、その子も兄弟で、
一緒の塾に通っていたが、小学校は違う学校だった。

でも会ううちに、話すようになった。
あの子と最後に会った日も普通に元気だった。
何も変化は見られなかった。

もうあの時には覚悟を決めていたのだと思った。
その時の私のように、道は他にないと知って
しまったから、最後まで普通だった。

なのに、首吊り自殺をして死んだ。

あの時には理解できなかったが、その時の私には
理解できていた。もう道が無い状態だった。
誰かに話せば、親の耳に入ったら殴られ蹴られ、
酷い目にあう。だからあの子は俺にも話さなかった。

そして残された弟に跡継ぎとしての教育をしていった。
だから弟は一年後の同日同時に、兄の部屋で首吊り自殺
をした。

これらは外には決して洩れない話だった。
ただの自殺として処理されたが、分かる人は誰もが
分かっていた。

私は本当の絶望を知る前から、絶望は知っていた。
だから幼くして哲学に触れた。それが哲学とは知らない
まま、人間学と名付けて色々書いていった。

しかし、ふと思った。私が始まりの訳は無い。
過去に誰かが同じような事を感じ、そして実行したはず
だと。そしてそれが哲学だと知った。

私は今、本当の二度目の人生を生きているのは、
哲学だけは頭に残っていたからだ。

彼らの苦痛や悲鳴が、私の死への思いを消していった。
だから多くの事が頭に残っている。

〇君は予想通り、早々と距離を取って行った。
だから同じ東京に住んでいても会う事も無いし、
話す事も無い。

私には分かっていた事だったが、外れて欲しいと思っても
外れない。いつもそうだ。悪いことは必ず当たる。

今の私に死の道は無い。
だが、簡単には出来ないことは分かっていた。
どうすればいいかも分かっていた。

イバラの道を行く事になり、イバラが私の肌を裂くように
苦痛を伴う精神状態の中で、誓いをカウンセラーさんと
保健士さんに立てるまでは時間はかかったが、何とか
無理矢理、自分の絶対にしたくない事と、やるべき事を
決めて、自殺しないことを誓った。

嘘や欲にまみれた無様な様、平然と騙そうとするような
奴らとは真逆に生きる事を誓った。

だから私は嘘も限りなくつかないと決めた。
欲にまみれる姿は実に滑稽こっけいでしかない事も目にしてきた。

今の私は以前の私とは違いがあるが、良い方向へ進んでいる。
今の私には足枷は無い。本当の自由を手に入れた。

だから私はこれまでしていた事とは別に、飛翔すると決めた。
脳を使う仕事なので楽だし、気を遣ってくれて会議の時だけ
出勤すればいい。あとはPCでやり取りしている。

私が一番酷い状態の時は、お酒をいくら飲んでも
酔えない状態になっていた。
家ではテキーラを飲んでいたが、精神が崩壊していた
せいか全く酔う事は無かった。

そう、死が目にちらつくほどまで精神的に追い込まれる
場合に、哲学の門に触れることが多いと思う。
当たり前になっている事へ対する疑念が、自分を生成して
いく。

当時は全く何も出来ない状態だった。歌も音楽も映画も
ドラマも何もかもに形を変えて、そこには「愛」があった
からだ。

愛は人にだけでは無い。だが、当時の私にとっては耐え難い
ものであった。そう、全てが耐え難いものだった。

だから私は今、聴いている音楽は、その当時、聴いていない
曲ばかりだ。映画も一部だけは残したが、全く見なくなった
ものもあった。

私は何故、自分が生き延びたのかを分析した事があった。
時間はかかったが色々な事が分かった。

その話はまたにしようと思う。
1日最低3本書くには、ギリギリだからだ。
そして、あまり深く掘ると、良くない兆候が表れるからだ。

私は屈しない。並外れた世界に産まれ、それは間違いな世界
だと知った。誰もが自分のレールから降りて行ったが、
私は降りなかった。

その点でも昔と同じように負けないつもりだ。

松岡修造さんに関しては、あの強い熱意が私にも必要だと
思ったからメモしてあった。
彼もまた苦難を乗り越えたからこそ、言葉として残した
のだろうと思う。


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