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吉田松陰

“夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし”


多くのファンを魅了した
銀魂でも出ていた現実の
吉田松陰の言葉だ。

最近書いたアインシュタインの言葉の
説明に似ているが、難しい言葉でも
このように順を追っていけば
理解に達する言葉となる。

吉田松陰も夢という言葉を使っている。
夢とは現代の人にとってどういうもの
なのか、考えてみたが自分の夢しか
分からなかった。

私は正直だ。だから誤解もされやすい。
子供の頃から夢など無かったのが、
私の世界では現実であり、
当たり前の如く当然だった。

しかし、今考えると、
夢も持てない環境に置かれているのは、
あまりにも愚かな行為でしかない。
何故なら誰もが若い時に、まず思う事は
どんな事をしたいか考えるからだ。

ある一定の年齢を過ぎていくと、
現実が見えてくるのではなく、
現実を捨てる人が増えて来るのが本音だ。

しかし、諦めない人もいる。
そういう人がいるから、夢を持つ人が
必ず生まれ続けてきた。
そして苦難の末に夢を実現させてきた。
その姿を見て、人は夢は実現可能なものだと
信じることが出来る。

どんな狭き門でも、叶えるには命懸けで
行動をしなければ成し遂げる事は出来ない。

吉田松陰も夢を追った人間だった。
彼は夢を追う前から、ずっと夢を諦めずに
持っていて、何が大切なのかを弟子たちに
教えていた。
桂小五郎久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文
等、長州藩士として死んだ者もいれば、
明治維新で活躍した人物たちは大勢いた。

吉田松陰は現実を知っていた数少ない一人
であった。彼の思想は海外に向けて先行者
の一人として、当時は許されなかった外国船
に密航したが、見つかり斬首の刑を受けて
死んだ。彼が死んだ時、桂小五郎や高杉晋作、
坂本龍馬も現場にいた。

首が無い事に怒りを覚えた高杉は、
「首はどこだ!?」と怒りを露わにした。
斬首の刑に立ち会った幕府の人物は、
松陰の辞世の句を彼等に伝えた後、
立派な最後だったと口にした。
それは幕府の人間が口にする事は
許されないことであったが、
吉田松陰は涙を流しながら日本国を
心から想う事に心を打たれた。

彼の死をきっかけに日本は大きく
動き出す事になった。

誰かの死で、人が動き出す事は多々ある。
その人の生き様と死に様を見て、
初めて、その偉大さを知る事になる。
その前に気づけばと、私は何度も思った
事はあるが、人は死に様を見ないと、
分からない生き物である事を知った。

だから、偉大なる死は残酷ではるが、
必要なのだ。

それを見て感じて、その人が追っていた
夢を受け継ぐ形で動く人もいる。

しかし、今、私は思う。
夢は実現できるものであるが、
道のりが険しいだけだ。

道のりには、色々な問題が山のようにある。
そのひとつひとつが困難であり、
まるでふるいにかけられるように、
そこで挫折者が無数に出る。

どんな夢でも実現するには、
想像を絶するものだという覚悟も必要である。

心さえ折れなければ、
どんな困難にも打ち勝てる。
現実的にと心で思ったらその時点で終わりだ。
もう二度と夢を追いかけることは厳しくなる。

現実的に言えば夢は叶わない。理由は簡単だ。
非現実な困難な事が夢というものだからだ。

だから夢は夢として、しっかりと捉えて
何が起ころうとも負けない人間にしか夢を
叶える事は難しい。

お金がとか、時間がとか、
そういう次元にいるようでは夢は実現しない。

現実的に当然見なければいけないし、
夢を叶える為には、現実的にも計画しなければ
ならない。

夢とは簡単に実現できるものでは無い事を
しっかり理解する事が大切だ。

以前、ウクライナ問題で日本人が、
70名志願兵が出たと書いていたが、
私も行きたいと思っていた。
しかし安易には絶対に考えない。

志願兵のうち50名は元自衛隊員だった。

ただ行くだけでは当然意味はない。
ゲーム感覚で行こうとしている者も
正直いたと思う。

気温だけで心が折れる者もいるだろう。
本気で行くにはそういう根幹的な現実を
見て行かなければならない。

ウクライナは英語圏外である。
公用語はウクライナ語であり、
気温は日本とは比較にならない程寒い。
行くにあたり、この程度の壁は
当然考えなければいけない。
そうでないと行っても、
邪魔なだけである。

ウクライナは本当に命懸けで
戦っていた。
戦いに対する心の温度差は必ず存在する
だろうと思う。

夢もそれと同じなのだ。
安易に考えているようでは、
成功どころかただの迷い人に
なってしまうだけだ。
成功までの道のりは長く、険しい。

吉田松陰は命を懸けて密航し、
渡航しようとして捕まり、処刑された。
これが現実だ。

彼は命を懸けて自分の夢を
実現しようとして死んだ。
だから死ぬ事に対して、
悔いは一切無かった。

弟子たちにその想いも伝えることが出来た。
彼らはその意思を受け継ぐよう、
各々のやり方で動いた。
夢とはそういったものである。
夢を追うのに対して理由をつけてはならない。

恥を忍んで、知らない事を知り合いに聞いたり、
実現したい夢を話して、どうやったら
実現できるかなど相談するのもよいことだ。
現実的に物を見る人には、
あまり話さないほうがいい。
真逆の思考故、不仲になるだけで終わる。

夢に向けて走ろうとしている人は、
それらの事を覚悟して成功させてほしい。

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