「心の奥底に達して、あらゆる病を癒せる音楽、それは温かい言葉だ」ラルフ・ワルド・エマーソン(思想家・詩人)
人間としての器量や知識、賢さ、仁徳
等は自分自身よりも外から見る友人、知人
他人のほうが見えやすいと私は思っているが、
見方も人それぞれによって違いがあるので、
断言はできないが、参考程度にはなるだろう。
温かい言葉をかけてくれる人は、自らが心痛めて
いても人を癒す言葉をかけてくれる。
これは人徳から来るものだと言える。
では人徳とは何か? 私は常々思っている事は
言葉の真の意味を知らなければ、人にそれを
伝える事は罪だと思っている。
だから自分自身で確信が持てる時はハッキリ
言えるし、反対に自信が持てない時には、
私的な意見として言う事にしている。
人徳とは徳を備えた人の事を指す。
つまりは徳を理解していなければならない。
徳とは如何なる時でも正しい道へと導き、
そして善なる人格を備えている人物を指す。
他にも徳を指すものもあるのだが、
絶対的では無いので、今は敢えて言わない
のには理由もある。
西洋とアジアでは徳を最初に広めた人物が
違うという理由があるからだ。
私が知る限り、アジアの人は西洋の
事を知っている事の方が多く、西洋から
アジアの事が詳しい人は少ないのは事実だ。
更には人によって、誰が徳に富んでいたか等
にも違いが出る。徳とは目には見えないもの
だから仕方がないとも言える。
エマーソンの言葉は確かに正しい。
本当に温かみのある言葉をかけられる人は、
人間をよく理解しているとも言える。
アメリカの教会にある懺悔室等が
それにあたる。悔い改める為に自らの罪を告白し、
神に許しを乞う。神父は神の代理人として、
そのものに対して許しを与える。
いかなる罪も許されると説いている。
キリスト教にも戒律があり、私はあまり宗教には
関わりが無いので少ししか知らないが、
例えば、日本にもキリスト教会は、知らない人が
思っている以上沢山ある。
戒律には、毛を剃ったらいけない等もあって、
女性であっても腋毛を剃ったら
いけないとされている。
それはキリスト教に信仰を求める日本人にも
適応されている。
アジアではやはり孔子の名が挙がるだろう。
しかし、アメリカを含む西洋ではその名を
知る人は少ない。
その反面、西洋ではやはりソクラテスの名が
挙がるだろうが、ソクラテスの人物像を見る
事は難しいとされている為、異論を唱える
人もいるが、一般的な哲学の逆説論では無く、
私の理論から生み出した逆説論を用いれば
多くの事は分かる。
ソクラテスの弟子のほうが残されている文献
が多いので、ソクラテスの弟子であった
プラトン、そしてプラトンの弟子であった
アリストテレスの名が挙がる。
しかし、西洋ではこの三人が基盤を作った
のは間違いない事である。
人徳者で言えば、確かにソクラテスでは無い
思う。彼は哲学者の第一人者である事は
間違いない。
人徳者は哲学者とは異なる分野にいるか、
または哲学者の中に人徳者がいるかの
どちらかになるだろう。
人徳者の中にも哲学者はいそうでも
あるが、そもそもの議題が2つとも違うので、
何名かは頭に浮かぶ程度でしかない。
人徳者は温かい言葉をかけてくれたり、
気遣ったりしてくれるので、人徳者になる。
良くしてもらった相手に恨みを持つ人は、
人格破綻者だけであるからだ。
ただ、確かな目で見ないと、詐欺師との判別
はつかない。詐欺師もまた良い事しか言わない
からだ。
決定的な違いは、人徳者は求めない事にある。
詐欺師は逆に求めて来るので、そこで判別はつく。
孔子は人徳者としては第一人者であったが、
当然、多くの苦労も重ねた。
時代は春秋時代だった。
私は漫画のキングダムは読んでないのだが、
話は聞いたことがある。
春秋時代を取り上げていると分かった時に、
上手い選択であったと思った。
春秋時代はまず長い間、戦い続けた時代で、
その中には大勢の優秀な人物がいた。
三国志等のように短い争いでは無くて、
もっと長い間、戦いは続いた。
それには理由はあった。
統治の仕方が元々違っていた事が、
争いを長引かせた原因の1つだった。
春秋時代の人物たちは、
後の世に多くの影響を与えた。
孔子は人徳者で、孫子は兵法家で
よく勘違いする人もいるが、
二人は全く別になる。
孔明が師と仰いだ呉起も春秋時代の
人物の一人であった。
始皇帝の墓にあった土で作られた
兵馬俑も始皇帝が考えたものでは無いし、
あれは始皇帝のずっと前の秦の国で起きた
事が原因で生まれたものだ。
数世代前の秦の人徳者であった王が死んだ時、
大勢の有能な配下たちは、自ら死を選んで
いき、その次の王の時にもまた有能な人物たち
が自害していった。
それが数世代に渡り続いたため、自害すると
一族も皆殺しにするという法律が出来たため、
兵馬俑が生まれた。
このように歴史にしてもそうだが、起源は必ず
ある。そして人徳者とは慕われる人物であるが
為に、その身を捧げる人も当時はいた程の、
実に徳の高い人たちであった。
徳を説明するのは深い意味があり難しいので、
例えを使ったが、有名人とかでは無くても、
人徳者はどこにでも存在するが、どこにいても
頼られる存在なのだ。
それは歴史を振り返っても理解に達するほど、
大勢の人徳者はいた。
心を広く持ち、多少の事で
怒らないよう心掛ければ、自然と身につくもの
である。問題は心掛け次第という事だ。
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