悲しすぎる実話 6
弟にとって初めて出来た奴らは、弟の言うことを当然聞かず、宝石や貴金属があるほうへ勝手に行っていたと後に聞いた。
そして弟が朝、目を覚ますと3人は消えていて、鍵も盗まれていた。
宝石類全てと、父の財布の小銭まで盗んでいた。
予想通りの展開だと分かっていたのは私だけだった。
私は次の日、弟と廊下ですれ違う時に、「だから言っただろ? 忠告を無視したあげく、泣き寝入りか? このヘタレが」と私は言った。
弟と私は不仲であったが、結果が分かっている事だった為、忠告を何度もしたが、言う事を聞かずそうなった。
弟は相手の貯まり場に乗り込んで、ボロボロになりながらネックレスを1つだけ握りしめて帰ってきた。
弟は私には本気で喧嘩をしてくるが、他人には本領を発揮しなかった。
これ以上は弟には無理だと思った私は、母親にこのままで済ませたら精神的にヤバい事になると警告した。親なら助け船を出すべきだと。
しかし、母親は体裁の為に、全て盗まれたままで相手の母親が謝りにきてそのまま許した。
私は再び警告した。弟の事は嫌いだが、これではあまりにも惨すぎる。助けれる立場にありながら、助けないといけない時に助けないと後々大変な事になると。
しかし、母親は無かった事にした。私は母親に言った。
「あんたは全く分かって無い。ここは親が絶対に助けるべきだ。あいつには誰も味方がいない。あんたが動かないならどうなるのか分かってるのか?」
言っても無視する為、私が介入してやろうかと言った。
私の友人の誰かの手下である事は、間違い無かったはずだったからだ。
しかし弟のように他人にはあまり強く言えない家に私がいるとは知らなかった。
私が一声かければ、拷問の末、終わらせるから任せろと言ったが、母親は拒否した。
余計な事には口出しする癖に、体裁の為なら正当な事もしない親を私と弟は長年見て来た。人間は弱い生き物だ。それが染みついた心には、もう立ち向かう勇気は無かった。
それから弟は暴力的になり、母親はそれを隠したまま、弟を精神病院に無理やり入院させ続けることになっていった。警察も何度も呼ぶ事になったが、それは隠し通した。
このような親の背中を見て、育つ子供時代を我々は過ごした。そのまま弟は精神をやられ飲み込まれたが、私は反面教師として、こんな奴らのようには絶対になりたくないと心に強く誓った。
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