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日本の未来は任せた!

最近知り合った女性から、
私は何の為にnoteをしているのか
尋ねられた。

当然、将来的に、エッセイストや
小説家、原作者狙いで最初は書き始めた。
それは今も同じ気持ちである。

しかし、これはあくまでも私の中では
過程であって、これまで私は年齢にしては
賢く、将来性のある男女を探してきた。

以前いた時には東京でそう言った人たちも
見つけた。
地元の広島ではしっかりと教育に力を入れている
ダーツバーの店長も候補に入れてあるが、
彼の下で働いている20代前半のメンバーたちも、
年齢の割にはかなり有能であった。

私はそれをもう長い間してきた。

一体何故そんな事をするようになったのか?
理由はそれを始める以前にさかのぼる事になる。

私は仕事で分析や企画発案、インタビュー内容等をして
いたが、スカウトされた当初は全く別のオンラインゲームの
為にスカウトされた。

しかし、ある時、インタビュー内容を私に考えて欲しいと
頼まれた時、かなり重要なポイントになるので、それ以前にも
インタビューには行っていたが、大きなバージョンアップで
あった事から頼まれた。

以前にも話したと思うが、雑誌、今ではネットでも同じであるが、
インタビューに行く際、まずはアポを取る。
各雑誌社と被らないようにするためである。

インタビュー内容が重要な理由は、雑誌業界とゲーム業界では
公然とされているが、インタビュー内容には開発会社は
答えなければいけない。その上、内容次第では独占的な情報を
引き出せる事になる。

だから重要な役割であったが、相方はライターしか出来ない
人だった。今は実感できてる。
ライターだけなら正直楽な仕事だという事が、noteを通して
私は知った。

基本的に難しい事は全て私が最終的にはしていた。
初めての大型バージョンアップである拡張パックの販売で、
会社の総合プロデューサーは自信満々だった。

しかし、私は何度かこの有能なプロデューサーとは面識が
あり、切れ者である事を知っていた。
元々彼はゲーム業界の人間では無かったらしい。
他の仕事をしていたが、ヘッドハンティングされて
成功を収めて、後に社長になった。

だが、あの社長就任は明らかに別の意図があった。
悪意の匂いを嗅ぎ分ける事は幼い頃の習慣で、
生きる上で必要だった。

私が不信に思ったのは別に感のようなものだけ
では無くて、その会社について調べていたので
他のゲームの事業が失敗に終わりそうだと思っていた。

しかし、それは私だけでは無かった。
各雑誌社は全員が不発で終わりを迎えるだろうと
思ったはずだと、一瞬で思った。

そのゲームは最初の紹介では、確かに面白そうな
ものであったが、まだ未開発であり、将来的には
という話であった。

しかし、画像は用意されていたので、面白いものに
なると誰もが思っていた。

それから2年か3年が過ぎた頃、海外で開発を進めて
いたそのプロデューサーの能力が低かったと言う
しかない。プロデューサーは責任者だからだ。

実際に発売する前にゲームの紹介をされた時、
各雑誌社の人たちは、苦笑いや眉をひそめる
人たちばかりであった。

最初にメインとして紹介されていたものが全て
カットされていて、国は幾つかに分かれて
領土があったものは消えていて、どの国でも
同じ装備、同じマップであった。

オンラインゲームはその頃はもう海外では
有名どころが多くあり、いくら日本人ユーザーで
あってもやらないだろうと誰もが思っていた。

私は実際にプレイしてみたが、完全に駄作だった。

完全な失敗作として世に出たが、拡張パックや、
バージョンアップはしていたが、メインとなる
ものはユーザーたちは知らなかったので、
プレイヤーはそこそこ集まっていたが、
結局は廃止になった。

そのくらいのプロデューサーが相手なら楽で
あったが、私がインタビュー内容を考えた相手は
手強い人である事は分かっていた。
明らかに当然こちらが不利ではあったが、
任された以上、常に期待以上の成果を出して
きた私は色々考えた末に答えを出したが、
ゲーム内プレイヤーの友人たちに話してみたが、

「それは流石に無理でしょう。
出来たら面白いですけど」といった感じで、
否定的であったが、私はその線で行った。

あの人が自信満々で出そうとしているのであれば、
単純なものではない事はすぐに分かったが、
各雑誌社に送られた内容も当然多くあったが、
ランクは2か3上の何かしらの目玉商品とも言える
事は伏せられていた。

発売するまで情報は流さないようにしていた。
今でもあの時の顏は覚えている。

総合プロデューサーと企画プロデューサーが顏を
見合わせて、相方に「どこからの情報ですか?」と、
やり手のプロデューサーが、まるで狐に摘ままれた
ような表情を二人ともしていた。

相方は、私を見て、「彼です」と言った。
99%では無い、100%言い当ててやった。

結局はそれを記事にするのを辞めてもらう代わりに、
独占取材と交換で、その内容は伏せられた。

その人が社長になった時、
私はこれは詰め腹を切らされるのだろうと思った。
理由としては業績不振なまま社長になったからだった。

オンラインゲームを開発するに当たり、何と言うか
日本では最初から意気込んでスタートを切る訳では
無いものであった。

要するに猶予期間みたいなものがあって、
最初から本気でやっている会社はあまり無かった。
だから本来の予定と大きく変わったものに対して、
面白いとは正直言えない所か、褒める場所さえない
記事を各雑誌社は書かなければならなくなった。

これには私も正直かなり困った。
良いところが一つも無いものは、
オフラインゲームではたまにあったりしたが、
当時のオンライン事情で何一つ良いところは
無いとして、各社に配られた素材のキャラクターの絵
等を多めにして何とか記事にはした。

その年か翌年に切れ者プロデューサーは社長になった。
有能な人材を何故切る事になったのかは未だに
不明である。

その後はゲーム業界では無い所で活躍していたが、
2024年よりもかなり前に引退していた。
この人物はwikiにも情報が出てくるほどの逸材だった。

その人が困った顏を見せていた時には、正直言って
完勝した気分になれた。

私にとっては真ん中に命中したことが大事であって、
敢えて難しい仕事を引き受けるのも、自分自身を
鍛えるためであって、全ては未来に繋げるために
私は最初の人生は捨てて、第二の人生を駆けている。

人生は本来は一度だけしかない。
しかし、私の場合は確かに二度ある。
同じ速度で歩いていても、最初の自分を
追い越す事は出来ない。

多少は無茶をしてでも走り続けなければならない。

神は人間に平等に与えたものは時間だと言ったように、
時間だけはどうにも出来ない。
自分で調整していくしかない。

だから私は約1年半前に、生きると決めてからは
走り続けている。
人から見れば頑張り過ぎだとよく言われるが、
それは私を知らないからそういうだけであって、
今の私は新しく生まれたようなものであって、
まずは昔の自分を越える事が何よりも大事で
あるので、普通の人生の歩きでは手遅れになる
事を、私自身が一番よく分かっている。

一度の人生を二度にするのは並大抵では不可能
である。自分の壁を破ってでも突き進むしか
道は無い。

何か困難な事を成すには、本当に辛くても
頑張り続けなければならない。

「ゴルゴ13」の作者である
さいとう・たかを氏は、絶対に大人が読む
漫画を描いてやると思っていた頃には、
彼を理解する人はいなかった。

同期とも呼べる漫画家の道を切り開いた
人たちでさえ、理解出来ずにいた。

しかし、執念にも似たその強い思いを胸に
書き続けて大人が読む漫画を描き上げた。

さいとう・たかを氏は生前に評価を受けたが、
人間社会では生前に評価されない人もいる。

しかし、時を経て評価されることで、
時代という道はハッキリと見えてくる。

そうして我々は生きて来た。
時代を繋いで生きてきたのは、
世界中の誰もがしてきたことだ。

私は自分の人生が良いものであったのか、
悪いものであったのかは分からない。

ただ、現実にお金が有り余る世界と、
その反対の世界も見て来た。

芸能人クラスの金持ちでは無い世界は、
普通の人には理解されない世界になる。

だから時として理解されない事も多々ある。
99%の人には理解を越えた話になる。

それはある意味では私の精神は同年代の人
よりも成長しているからなのか?
それとも私が狂ってしまったかのどちらかに
なる。

時折、自分自身が迷宮に入る事はある。
ただ、アインシュタインや他の人も
そういう時期を何度も体験したことを
知ってからは、熟慮するには必要な時も
ある事を知った。

当然ながら出られなかった事は無いので、
その過程で色々なものに触れて、自己啓発に
繋がったことは確かに実感している。

そして、先人たちは簡単に諦めるなと言う
意味のある実際に不可能と言われた事を可能に
した。

これは私に大きな勇気を与えてくれました。
そしてこのnoteでも私自身が実行している
事には名前がある事を知りました。

多くの事が被っていましたが、
それを読んでいて思ったことは、
自分は間違っていなかった事を裏付ける
事でした。

当然ながら知らない事もあったりして、
ためになる内容で、勉強になりました。

多くの人の中にあっても、そう思わせる
記事に出会う事は希にしかないが、
時代と共に自分を成長させていっている
本当の意味を知っている人たちの存在は
私にとっては言葉は交わさずとも、共感
できました。

まずは頑張り続けて結果を残して、
それで得たお金は次世代の有能な信頼の
できる若手を育てるために、投資します。

夢は叶うものだと言う事を教える為には、
本来なら時間をかけるべき事ですが、
私にはまだまだやりたいことがあるので
必要な資金だけを渡して、半年後に行って
成功していなければ叱り、
成功していれば浮かれるなと注意をする
つもりでいます。

人は油断した時、無防備になり、自分を
過大評価する人は多くいます。
しかし、成功した場合、何故、成功したのかを
私は考えるべきだと思っています。

祝うのは一瞬だけで充分であって、晩御飯を
少し豪勢にしてその日のうちに終わらせて、
次の日には気持ちを切り替えてより気合を
入れていくのが大切だと思っています。

失敗も同じで理由があるから失敗をするのであって、
世界中で起こる全てには理由があります。
規模が違うだけであって、必ず何かがあります。

それをいち早く見抜ける力をつけるのは、
簡単な事では無いですが、
自分が本当にやりたい事があるのであれば、
身につけなければならない力だと思います。

私に店を出して欲しいと以前言われた事が
ありましたが、私は断りました。
毎日通うとも言われました。
しかし、私にはまだやりたい事があったので
断りました。
全てが終わった後になら出してもいいと思って
いますが、今では無い事は確かです。

よく今年の抱負は? 等と言う場面を正月などに
目にしますが、私は起きている時は、秒単位で
動いています。書いている時には必ず音楽を
かけて、最初の3曲は私の中にあるやる気の
スイッチを入れるために徐々に上げていきます。

3曲聴き終えてから、今度は私の購入した音楽は
聞かずに、自動で流すようにして、名曲との出会い
として、脳の3割ほどを歌手の歌声に割り振って、
残りの7割では無く、5割か6割でエッセイや小説を
書いています。

1割は余裕を持たせるために空けていて、
この余白が非常に大事になるので、
私のテンションによって、2割の余裕を持つ事も
あるようにしています。

世界は広いという事は、
15歳の頃にイギリスの英語学校に半年ほど
行っていた時に感じました。

どこまでも空が続いていて、電線が一つも無い
のを見た時に、世界は本当に広いと感じました。

それとは違いある意味で衝撃を受けたのは、
映画「インセプション」を観た時でした。

私はあの映画を見る以前から似たような感じで
物事を頭の中で整理してました。

一つずつ埋めていくという意味ではパズルに
近いものではありますが、私の場合は立体系が
基本にしていて、時には一軒家の時もあれば、
地球であったり、様々な形に対して、
一つずつ埋めていって、立体パズルのように
完成させるようにしていたので、
世界は広いのは知っていましたが、
まさか映画にするとは思ってもみませんでした。

正直、説明するのは難しいものだったので、
非常に感心しました。


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