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第9話 X-メン:フューチャー&パストより 人生哲学

この会話は未来が崩壊の危機に瀕《ひん》している世界で生きる”チャールズ”と、若き日の自分自身”チャールズ”との会話である。
若き日のチャールズは”若”と未来の老いたチャールズを”老”と記載する。


”若”「未来は こうなるのか、エリックが言った通りだ。人間のせいで…………」
  
”老”「我々が導けば、そうならない」

”若”「信じるのか?」

”老”「誰かが道を誤っても希望が絶たれたわけではない、わずかな助けで救えることもある」

”若”「私は以前と違う。心を開いたがあやうく破滅しかけた」

”老”「恐れる心をセレブロが感じ取った」

”若”「声が聞こえるんだ、多くの声が……苦しんでる」

”老”「君が本当に恐れているのは自分の苦しみだ、恐ろしいかもしれないが苦しみは君を強くする。君がその苦しみを感じて受け入れれば自分でも想像できないほど強くなれる、それこそが私たちが持つ最大の能力なのだ。苦しみに負けず耐えるという能力。その源は人間に備わった最高の力——希望だ。頼む、チャールズ。いま一度希望を持ってくれ」

この映画で私の好きなシーンでもある、自分自身との二人の会話。
私も経験済である苦しみだ。一生治らず、癒やすこともできない。
チャールズにはそれを理解する仲間がいたが、現実は厳しく私の心を分かるのは私だけだ。

私は去年の年末、うす暗い天井を眺めながら、自分はもっと強いはずだと思い、自他ともに私の精神的強さは計り知れないと言われてきた。
私は過去と向き合い、恐らくは父親に毒殺された私に一番なついていた愛犬の事に触れた。我が一族は医療関係の者も多く、その他でも業種によっては日本一の会社の社長や山本五十六もよく通っていた料亭などいわゆる元財閥だった。不可能を知らない一族であるが故、ある日父親があと七日で死ぬだろうと言葉を漏らした。非情で冷徹な父親を知る私は殺されたと知っている。

その七日目の夜にもうそろそろ危ないから下へ降りてきなさいと言われ、私は二階にいった。息も絶え絶えで生きていた。愛犬は私に頭やお腹を撫でてもらうのが大好きで、休日には三時間くらい撫でていたこともあった。満足するまで動かず、私が止めようとすると大きな体で私の上に乗ってきていた。

散歩も雨の日以外は毎日連れて行った。臆病な性格と人間の言葉がわかるのかというほど賢かった。
私は活き苦しさに耐えている彼女の頭をいつものように撫でて
「もういいよ。今までありがとな」と言った。冷徹な二人の親の前で弱みを私は見せたくなかったためその時は泣かなかった。
部屋に戻って泣いた。

私にはある事が起きた。私の頑丈なメンタルの壁が崩れた。愛犬は関係ないことであったが、耐え難い事が起きて、私は自殺を二回した未遂は二回。誰しも己の限界は知らない。だが、私は限界を知ってしまった。私はその事から感情が消えた。何もかも
何があっても感じなくなった。酔っ払いに絡まれ殴られ蹴られても防御さえもしなかった。相手が喧嘩慣れしてないことはすぐに分かった。私は父親の教育の一つとして弟とよく殺し合いに近い喧嘩を度々していたから相手の動きからだいたいは強さはわかるようになっていた。
しばらく好きにやらせたが、弱すぎるため足を取ってマウントを取ったがすぐに離れた。そんな自分は初めてだった。警察を呼び、私は普通にあったことを話した。あっちは錯乱状態なためか婦警さんがやってきて「あの人と話すのは嫌です」と上司に報告していた。

ある時、女の子とホストっぽいやつが道路を挟んだ向こうで喧嘩をしていた。
男は女の子を殴って、その子がアタッシュケースを取り戻そうと掴んだらそのホストは女の子の顔面に蹴りをもろに入れた。
私は自分が何故助けないのかが分からなかった。そういうことを色々考えたら私にはもう感情が無くなってしまったのだと思っていた。
だが、それは大きな間違いであった。
私は昔の事に触れ愛犬で涙を流しだして死ぬよりも苦しいほどの発作に襲われた。

生きるのが耐えられない感情がどっと溢れてきた。
私は英才教育を受けていたせいもあり、幼少期から親が公認した虐待ありの塾などに通わされていた。途中で自殺する子もいたり、兄弟とも自殺した子供たちもいた。

一畳もないほど狭いコンクリートむき出しの明かりもない部屋に数時間閉じ込められたこともよくあった。他にもまだまだあるが耐えてきた。
だが、それが間違いだと気づかされた。
私の感情は私の触れてはいけない出来事を封印している私がいるのだと思った。当然、比喩ではあるが色々な過去から二年前に起きた出来事に耐えられないともう一人の私は判断し、私を生かすために感情があれば死ぬと判断し封印されていただけだった。数分でそれを理解し、自分に暗示をかけた。自己暗示は生きて行く上で身につけていた。
それから体調はさらに悪くなった。

そして忘れもしない2021年の十一月十九日。
最初は目がチカチカしてコンタクトのせいかと思っていた。
その頻度が増してきて、これは一度横になったほうがいいと思うほど頭が痛くなった。その時にはすでに手遅れでPCを落として寝ようと思っていたが
それさえも出来ず、立ち上がることも出来なかった。
”死”が近くにいた。私は這ってベッドに行き、横になった。十分くらい休むと楽になってきたのでトイレにいった。再び危険な兆候が表れたので私はすぐまたベッドに戻った。

私の病気は複雑だ。西洋医学は通用せず、自分自身で二年かけて再び立ち上がる手を探したが無理だった。もう五年くらいずっと胃潰瘍と小腸に裂傷ができていて下血と消化機能が治ることはない。肉も食べれなくなり、魚も食べれなくなってほとんど固形物は食べてない。豆腐や葛餅のようなものなら食べれるが食欲もなく、先月は十一日間の間、水だけで暮らした。それも全く苦ではなかった。

カウンセラーさんや保健士さんとだけ話をしているが、解決方法も私に起きた事など共有できる人はいないと言っていた。私自身分かっていたが一応聞いてみた。
私は生きながらに死んでいる。
そして私はそういう人たちがいることは知ってはいるが、私以上に手遅れでどうにもできない。
私はこうなることは分かっていた。二年前に結論を出した時、臓器バンクにも登録したが、肺も肝臓、小腸、大腸、心臓も悪い私は使い物にならないだろう。

しかし、私の病は全てストレスからだ。他の皆もそうだったが、現実で起こり得る漫画のような世界だ。私は、再び屈しない事を誓いに立て、自己療法で体を治しつつある。大腸はひとまず落ち着いた。後はまだ悪いままだが再び、立ち上がろうとしている自分は、自分で思えるほど強く、頼りになる。自分と向き合うという意味も違う視点から見えている。

自分と戦い、向き合えば本当に力強くなったように思える。実際そうなのかもしれないが、それはこれから分かる事だろう。人生は厳しくも負けずに勝った時の喜びは計り知れない。しかし、そこで立ち止まってはいけない。人生の道は色々あるが、道がある限り進み続けるのが人生だからだ。

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