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ロバート・フロスト

 “作者に涙がなければ、読者にも涙なし
 作者に驚きがなければ、読者にも驚きなし”

彼は詩人であり哲学的思想の思いを詰めた多くの詩を
残した。そして彼は農業に携わる詩も多くの残した。

今まで私はこう書いている言葉はそれぞれの人に
対しての気持ちを│綴《つづ》っている。

言葉は分かっていても言葉にする事が出来ない人が
圧倒的に多い。それほど言葉とは奥行のあるものだ。

そして人の心を打つのも言葉であり
歌の歌詞なども言葉である。
音楽と言葉が交わりを見せて歌となる。

だからこそ良い音楽と歌詞で、
人の心に自然と触れる事が出来る。
通常の生活だけでは見つからない物も
見つけることもある。

フロストのこの言葉も読めば誰しも
納得するはずだ。
だが、だからと言ってこの言葉を
作り出すことは出来ない。

言葉とは不思議なもので、
分かり切っている事でも言葉に
する事は難しい。
それは曖昧にしか言葉の意味を
知らないせいでもあるが、
センスも必要になるからだ。

普通では何も感じないし驚くことも少ない。
何かを感じて涙を流すだけなら皆よくあると思うが、
多くの人は映画の幕が終わりを告げると、
その時の気持ちは長くても
一週間程度で気持ちは消えていくだろう。

しかし、その想いを持ち続け、
意味をしっかりと理解すれば、
その涙や驚きをしっかりと心に打ち付けて
人生の一部として生き続けることができる。

何もかもがしゃぼん玉のように
消えていくのは
良くもあるが、悪くもある。
自分の人生に何かしらの影響を与えてくれた
物や、人には、感謝の念を込めて
想い続けてほしいと私は思う。

それが人と人との繋がりになるからだ。
十年後でも二十年後でも、
自分を支えとなってくれた
物や人の事は忘れる事は無い。

東京でも私程度の人間なら
二人ほど出合ったが、どっちもどっち程度である。
私が今、こうして自分自身を
形成したのは私だけの力ではない。
ある人がいたから、私は自分自身を高めために
得意分野である歴史や哲学などから色々駆使し、
実践もしている。

毎日必ず、知らない事を1つ以上知る事を日課として、
それはもう長い間続けて来た。

知れば知るほど、自分の無知識に気づくのが
不思議なものではあるが、実際、楽しくもある。
新しい分野の事を知り、それまでは理解し得なかった
事に結びつく事も多々ある。

その度に思う。
分野は全く違っていても、
どこかしらで繋がりがあるものだと。

哲学者というのが厳密にはいないと言えるので、
書くに当たっては、哲学者と言ったほうが
飲み込みやすいので書いてはいるのが、
ある分野で偉人的な功績を残した人物たちは、
追求に追求を重ねて、探求心を持ち続け、
大抵は、人生の半生を過ぎた頃に、言葉として
残す場合が多い。

日本人でもイチロー選手や、松岡修造選手等が
それに当たり、二人ともが頑張り続ける事に
よって見えたものを言葉として残している。

内容的には似て非なるものではあるが、
完全に違うものでは無い。
同じような想いを持ったとしても、
言葉敵に見て、同様のような感情を
持っている事は察することが出来る。

二人とも言葉的には決して難しいものでは無い。
難しい言葉では無いが、実際にそれを見習うのは
非常に困難なものだと言える。

その困難に打ち勝ち、初めて自分のものに
出来る為、意味的には似ていても、違う目線から
見ている言葉となる。

野球とテニスの違いはあるが、その垣根を越えた
ものが言葉となる。いずれの偉人も探求し続けた
事には変わりは無いからだ。
その為、数学者や思想家等とも似た言葉になる事は
多々ある。

フロストの場合は、少し変わっている。
今回のこの言葉に関しても彼らしさが
見えている。

フロストならではの詩人の言葉で、
視点が自分から見たものでは無いものが
多い中、この言葉に関しては、大衆目線で
言葉としている。

“作者に涙がなければ、読者にも涙なし
 作者に驚きがなければ、読者にも驚きなし”


実際、自分以外の目線で語られている言葉の方が
少ない。彼のこの言葉はどちらからでも取れる
言葉である。

自分、そしてそれを見る、読む人に対しても
言える言葉である。

この言葉の意味は、もう少し分かりやすくした
方が頭に入りやすい言葉である。

作者に涙が無ければと言う時点で、まず彼が
言いたい事は、作者が単にいい出来だと思って
涙を流したものを指しているわけではない。

この言葉は比喩的な表現も入っている。
作者が心の底から泣ける程のものでなければ、
それを出す価値は無いものだと言っている。

作者に驚きがなければと書いているのも、
それを強調する意味で言葉を重ねている。

言葉を重ねる事によってそれが如何に
大切なものなのかというのを我々に
教えてくれている。

実際、自分で書いて、自分で泣ける話を
書く事は難しい。
驚きに関しては更に難しい。
自分自身で驚きを感じさせる程の事を、
まずは体験していなければ絶対に書く事は
出来ないからである。

泣ける話に関しては、よくない手法ではあるが、
作者の中でも非情に大切に育ててきたキャラクター
に感動するような死を与えれば、良い話であるならば
涙を流す事になるだろう。

フロストの言葉は、農民たちの事を題材にしている
ものも多いので、基本的に表面上での言葉の意味は
分かりやすいものとなっているが、

実際に深く考えてみたら、その難しさを実感する
だろう。実践して書いてみるのが一番手っ取り早い。

作者である以上、驚きに至るまでの最初から最後まで
知っていながらも、驚かなければならないとフロストは
言っている。

小説などを書いた事がある人なら、その難しさはよく
理解できると思う。
ある意味、不可能に近いものだと感じるはずだ。

しかし、それほどのものでなければ、大した意味は
持たないものだと彼は言っている。

つまりは努力に努力を重ね、1つだけでは無く、
布石を幾つもしいた上で、最終的には合致するような
話でなければ、自分自身が驚くものには出来ない
だろう。

彼のような存在が過去の偉人たちには沢山いる。
彼等の言葉は我々にとって大きな遺産として、
活用することが出来れば、彼の言葉のような
作品を作る事も可能になると言える。


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