悲しすぎる実話 9
珍しく父親は私の部屋に尋ねてきた。私がドアを開けると小さな声で、向こうに行こうと言われた。私はついて行き階段近くまで行った。
「何か用?」と私が聞くと、木製のバットを片手に持ち、自分が押さえるからバットで弟を殴り殺してくれと言って来た。
「あんたは余命が近いから別にいいかもしれないが、事がバレたら大変な騒ぎになるぞ」と私は言った。当然ニュースにもなるし、あんたは自分が言ってる事しか考えてない。当然、唯一の友である会社の株は値下がりするし、
日本では各地でそれなりの信頼を得ている人たちを、裏切る行為だと分からないのか? あんたは確かに何をしても許される。だが俺は違う。
それよりもまずは、精神病院から出さないように、母親を説得するべきだと私が言うと、諦めたのか階段を下りて行った。
母親とは違うタイプの狂人だと私は思った。
以前、警官に話した時にも言われたが、癌である以上、この世に未練を残したくて正しい事をするのだと言っていたが、私の場合は簡単にはいかないと言っていた。実父が兄弟たちと同じ事を言えば陪審員など簡単に騙せると、私にはもう逃げ道はほとんど残っていないと言っていた。
私もそうなる為、裁判を起こさなかった。耐え忍ぶにはキツイ日常が続いていた。
仮に私が弟を殺したとしても、癌である父や母はまず犯人から消去される。私と弟が不仲なのは家政婦の証言させれば済むことだった。凶器に手を付けるのは、私であり、殺しの罪を私が最終的には追い込む形になるとは分かっていた。ついでに不信な事があって捜査の手が伸びてきても、血痕から犯人は私だと断定されるだろう。
しかし、断わられたら父母は完全に白《しら》を切る事も明白であり、私にはもう分からなくなったが、親が子を殺すのは異常なはずだ。自分が何度か精神的に死に追いやられると、考え方の基準も変わってしまった。
先週カウンセラーに会った時、私は先週は山場で非常に危険な立場であった事を話し、今となっては真相を知る人たちは皆逃げた。死ぬ前に挨拶をするべきか迷ったが、本音の所どっちがいいかを尋ねたら、連絡してくれと言われた。私にはまず、活きる為に必要なものが多すぎる。精神的ダメージから来る体も良くは無い。かと言って心不全を起こす事は、私の場合可能だが、
かなり死ぬ可能性が高いものだ。
最初に甘く見ていた幼馴染は、私の予想通りの展開になった。私よりも歳上だが、私は絶対に関わるなと止めた。その当時は実際、お互いにどの程度の人間なのかは分からなかった。
高度な難問で、彼は仲介役に入ろうとしたが、私は言った。
「〇君は何も分かって無い。介入した所で相手には無関係な人だと厄介払いされて、しつこいようだと弁護士が来ることになる。その挙句《あげく》俺に罪悪感は湧くが、〇君の精神では、更に俺が厄介なものとなる。だから最初から関わるな」
と私は彼に言ったが、結局、私の母親に頼まれ仲介役を引き受けたが、全く役に立たなかった。そして現在では、私を邪魔に思うほどの関係性にまで発展した。
昔からそうだ。嫌な予想は当たりやすい。彼は今でも私の父母の事を信じている。実に愚かなことだ。真実を受け入れる事が出来ず、他の道へ逃げ続けている。私は死を三度、決意した事がある。そのせいか、生死というもの自体が分からなくなってしまった。原因は調子が良い時は、私に起きた精神的ストレスから発する非常に珍しい状態は、どの医者が見ても治せないものだった。
まだ書かれていない多くの人達も、人生に対して訳が分からなくなっている人は多数いる。しかし、生きている。ただただ生きているだけであって、活きてはいない。
久しく悩んでいると、今気づいた。前までの私ならそれを挑戦として受け止めていたが、今はそうは思えない。ほとんどの仲間はバッドエンディングで終わっているが、私はそうはなりたくない。どうせ活きるのであれば、人生という戦場に行かなければならないからだ。
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