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久しぶりの体験からの持論エッセイ

少し前に地元の知人から相談された話です。

地元は昔ながらの街並みで、
東京にも似たような場所はありますが、
私の知る範囲では成城のような感じです。

しかし、魚屋さんなどがあって、
非常に良心的な値段で売っています。

焼き魚にしたい場合など、
無料で焼いてくれたり、
食べたい魚や貝類などは伝えておけば、
市場の仕入れの時に買ってきてくれます。

そんな街なので、非常に住みやすく、
大学もあるため、他の地区では人口減少が
続き、土地の値段も下落する中でも、
人口増加、土地の値上がりは、
今はまだ続いていますが、
いずれ近いうちには、下落していきます。

県としてみれば、人口増加傾向にあり、
新しい店の店舗なども増えています。

しかし、この裏には、色々な事が絡む事により、
現在は増加中ではありますが、そう長くは
持たない事になります。

広島県は実際、警察の取り締まりは甘いのが
現実です。

例えば、人が殴られていて、それを見た人が通報しても、
来るのはもう誰もいなくなってからパトカーが一台きて
帰ります。

私はその時、現場にいたのでその終始を見てました。
その他、裏カジノも昔の同級生がやっていた時機も
ありましたが、数年間、バレずに行われていました。

基本的に歌舞伎町のように、広島でも似たような地区が
ありますが、警官が歩いている姿は一度もありません。

これは大阪から大勢が広島に移住してきた時に、
たまたま無料案内所の人が私に話しかけてきた
時の話になります。

大阪から大勢が来て、色々な店舗を出している事は
知っていましたが、いつも使う無料案内所の人に
いつも店を紹介してもらい、その人柄が良かったので、
仲介料が無料案内所に入るのに協力していました。

この時は時間も早く、まだいつもの無料案内所が
開いていない時間で、女性と食事に行く予定でした。
その店の位置を確認しながら歩いていたので、
その人はバー等を探しているのだと思って声をかけて
きたと後で言っていました。

これは私だけでは無いとは思うのですが、ある程度まで
知識というか持論が持てるようになるほどまで昇華したと
実感が持てた頃には、数秒話せば、二極は分かるように
なりました。

ここでの二極はある一定まで賢いか、それ以下かが見える
というか、不思議な事ではありますが、分かるようになります。

私が実際、これまで出会ってきた相手はいずれも、
私との出会いに驚いていましたが、世界は広いので
当然ながら私は常に、自信と不安を併せ持つように
しています。

もう長い間、自分での体験から得た色々な考えた事は、
時間はかかりましたが、開花というか、自分のものに
したという時を幾つも得て、今があります。

今も以前と同じように、新しい事への挑戦や、試みは
やるようにはしています。

私としてはこういった事は、常にし続けるべきだと認識していて、
止まるとしたら、人生の終わりだと思っています。
考える事をやめるという事は、そこから先は見えないような
ものでしかないので、現実的に厳しい事は分かってはいますが、
今の時点でそういった心を捨てる事は、考えた事もありません。

しかし、不思議な事に、私が小説を書こうと思うと言った時、
誰もが、凄いと言った事に対して、私としては何が凄いのかが
全く理解できませんでした。

それは今でも変わらず理解はできません。
何故なら誰もが挑戦もしていないのに、ただ凄いというからです。
人は何かに挑戦し続けてきました。

それが人類の発展であるからであって、生存し続けるには成長は
欠かす事のできないものであります。
それは何に於いても言える事だと、私は思っています。

何事にも始まりがあるように、例えば小説に関しても、
書き手が一生懸命考えた末に出来上がるものであって、
例えそれがイマイチな作品であったとしても、必ず前進はしています。
その対象は自分に対してのものと、まだ見ぬ世界に対しても
発展したと言えるからです。

書き手が何度も何度も失敗を繰り返す事に、自分自身で過去に書いた
自分の作品を見て、それが自分から見て駄作だと思えれば、
それは自分自身が成長した証になります。

私も昔に書いたものなどを見て、過去に戻れるなら往復ビンタして
やりたいと思うほど酷いものもありました。
でも、だからこそ、今の自分を実感できる喜びに浸れます。

浸るといっても一瞬のものではありますが、
そこに喜びを感じない事はありません。

自分は頑張れていると実感する事ほど、嬉しい事はありません。
仮に人から高く評価を得たとしても、自分自身では高く評価できなければ、
それは私の中では喜びを得る事はできません。

常に自分をライバルとして、頑張る気持ちを捻出する時には、
自分自身とも闘いながら、頑張る自分を取り戻すのも楽ではないです。
でも、必ず先がある事だけは確かなものであると、
心の中で念じるように自分を奮い立たせて、書き続けています。

そんな私でも一度、完全に精神崩壊した事がありました。
その時に初めて感じたもので、一気に私の中にあった謎が
解けたのはこの時でした。

自分でも常々、体験しなければ理解をする事は不可能だと
知っていても、精神崩壊だけは別のものでした。

当然といえば当然ですが、私の周りでは起きていても、
それは知り得ない事が当たり前過ぎたため、
理解を示そうとしても、不可能な事でした。

あの地獄だけは、過去の偉人たちでも死の道を選ぶほど、
言葉では当てはまらない程の正に地獄でした。

カウンセラーを勧められて、私の中では理解できない事で
ある上に、当然、体験した事も無い。
更に普通の世間とは全く異質な世界の説明に関しても、
相当頭を使いました。

なので最初はカウンセラーは断っていました。
私自身、実際、広島の地元ではカウンセラー以上の
カウンセラーだと言われていたほど、相談にも乗り、
気持ちの切り替えのスイッチを押してあげたり、
色々な交友関係を持っていたので、気づけば、
東京でいう歌舞伎町の通りでは、私を知らない人の方が
少なくなり、どんな事でも必ず解決まで導いていました。

しかし、自分の精神が崩壊した時、改めて体験の意味を
知りました。

豊富な知識と考える力や速度があっても、連続で投下される
爆弾の雨の中では生きていましたが、
私を自分たちの都合のために騙してまで、
涙する私を見ていたあの喜びに満ちた顏は、
絶対に忘れることはできません。

弁護士でさえ、私だけが被害者だと言って辞退した意味を
考える力を失っていたとしか思えませんでした。

仮にも甥が、しかも他とは違う中学生の頃からお見合いが
あったような家庭環境の長男の長男と言えば、
古くからお金持ちの世界に於いては、大事な存在のはず
でしたが、当然、医者にならなかった私を認めようとは
しませんでした。

その事には気づいていましたし、露骨に何度も面識はあっても、
一度として話した事の無い人もいました。

私にとって家族は映画やドラマの中の存在であって、
現実の世界には甥でも騙して平然と喜ぶのが日常でした。

しかし、限界を超えた時、一気に頭の中を激流のように
過去の記憶や親友に起きた事が流れていき、自然と普通に、
「死のう」と思いました。

現実世界の中で、劣悪な環境の世界の人は別として、
大抵の人、体験する前の私もそうでしたが、
現実的にはそこまで追い込まれないのです。

エニグマを解読した天才数学者も、一度は追い込まれても、
生きていました。
何度か追い込まれていた頃、彼は友人と「白雪姫」の映画か
活劇かを見終わって、外に出た時に、「死のう」と
思ったのだと思いました。

本当かどうかは別として、友人曰く、
「毒に浸したリンゴを食べよう」と言ったと確か
ありました。

本当にそんな感じになります。
自分の中で人生の終わりの鐘が鳴るような感じで、
死しか頭に思い浮かびませんでした。

あの地獄の思いを小学生が感じたと言う事は、
相当、賢い上に辛かったのだと思いました。
その痛みを体験して、それしか道が無かったのだと
背中を押す訳ではありませんが、
言葉は生まれませんでした。

実際、同級生たちに、
「アイツが狂ったから話してやってくれ」
と言われて、親友に会いに行き、相当な重症だと
分かり、次の日に昼食時を狙って会いに歩いて
行きました。

公園にたった一人だけで、自分のスーパーの弁当を
食べる姿を背中越しに見て、私は何の言葉もかけれず、
暫くの間、見つめていました。

今の自分には助けられないと思い、そのまま話しかけずに
帰りました。当時は体験していなくても、尋常では無い
苦しみの中にいる事は分かっていたはずなのに、
分かっていなかった事を、自分の中の心が叫んでました。

本来は社長になるはずが、権力による虐待により、
精神が崩壊して、跡継ぎから外された彼の人生は、
終わっていることは、誰よりも彼が知っています。

彼も本当は死にたいはずです。しかし責任感の強い彼は、
自殺をすればどうなるかくらいは予想が出来るので、
死ねずにいるだけであって、実際、生きているとは
言えない人生です。

あの地獄から生還を果たしたとは言い切れませんが、
確かに体験だけはしました。
激痛どころではない世界です。

何とも言えない世界を完全に説明する事は不可能であり、
この体験がやはり問題となります。
異質な世界がある事も、話しただけでは信用性に欠ける
のが当たり前であって、許容範囲を大きく超える話に
ついていくのがやっとのはずだったと思います。

そこに加えて、私に起きた事の数々も重なり、
更に父母の狂った素顔が明るみに出て、
勝手に逃げた癖に、父が死んだからと言って、
あまり賢くない人を使い、自分では何もせず、
私に葬式に出ろと言ってくるのは、知っていました。

だから私は言いました。
私を騙した親族が集まるのに、
奴等を殺すために切れ味の鋭いノコギリの刃と、
鉈のような先の刃物を購入して、
あの非常識極まりない裏切り者の母親なら、
絶対に言ってくると確信を持ちながら、待っていました。

母の意見はこうでした。
「最後に顏を見てやって欲しい」と伝言を頼まれた人は
言いました。

私に一番なついていた愛犬を毒殺された時でも、
殴り殺してやろうかと思ったけど、グッと耐えて、
全財産を持ち逃げした母親は助けると言った翌日には
消えていました。

その言い分は仲介者にこう伝えていました。
「もう勘弁して」

お前は何もしてない。ただ逃げただけなのに、
しかも、人生で初めて分かり合えた翌日に裏切って
逃げられ、心身は当然のように弱まり、
死を選ぶことは容易くんりました。

私は翌日からパチンコに行って負けたら死のうと
思って行く事にしました。
しかし7日間連続で勝ち続け、死ぬ気で行っている
ので、当然ながら大勝になり、そのお金で飲みに
行くようになり、残りの財産もばら撒くように
使いました。

本当に死を前にした時、全ては無になります。
残していても必要のないお金もその対象になるのは
当然でした。

あまり出来の良くない幼馴染には絶対に介入するなと、
私は年上にはあまり強い口調では言う事が無いのに、
あの時だけは言いました。

「仮に介入しても親族の問題だからと言われて、
どうする事もできないのを実感しながら、
その何も無い結果を私に報告する時に罪悪感を
覚える事になるから絶対に介入するな。
〇君が考えているような甘い人では役に立たない」

そう告げた時に母も聞いていたのに、
母は彼を使った。

そして彼の力では役に立たない事が当然の如く
明らかになり、予想通り、今ではよくない関係に
なった。

そこで気付いたのがただ体験しただけでは、
もしかして無意味なのか?
無意味では無いにしても、
完全には受け入れられない場合も存在するのでは?
と思いました。

だからこそ、私は悪意を許さないと誓った。
嘘もつかないのも、それがあったからこそ
より強く思うようになった。

疲れることは無い。自分自身の精神も共に、
力を取り戻しつつあるから、以前の私にはなれないが、
新しい人間になったと、よく感じる事が多くなった。

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