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哲学を書き続けていて、予想外な事に気づいた。
私は出来るだけ多くの人に
最も実生活に役立つ哲学を
少しでも知ってもらいたい
から書き続ける事を自分の
ルールとして、これまで書いてきた。
しかし、書いていてそれだけの理由
では無い事に気がついた。
私は知っている事を書き続けていたが、
それは自分の為に書いているのだと
気づかされた。
文字として書く事により、以前よりも
増して、私は頑張れるようになっていた。
それはふとした瞬間に頭を過った。
時間は有限ではあるが、使い方は自分で
決めるものだ。何を優先し、何を捨てる
か等、そして、どれだけ時間を割く事が
出来るのかと言う疑問から生まれた。
私は一応、毎日5本書ければ頑張っている
と言えると思いながら、これまで書いて
きた。
時には納得できないものに仕上がった時
等もたまにあるが、そういう時は全て消す
事にしている。
自分の中で、読んでもらう人に対して、
己が満足してないものを読んでもらうのは
ただのエゴでしかないからだった。
そうしてきたが、私は書いている時に、
少し休んだ。少しのはずが自分を甘やかして
ゆっくり休んでしまった。
やろうと思えば書くことができる状態に
ありながら、サボってしまった。
その時、やはり書いている自分でも、
頑張れる力があるのに、頑張らないのは
ただの甘えでしかないと思った。
ただ書くだけなら誰にでも出来る。
内容もしっかり自分の思想と対象者の
人物像等を踏まえつつ、しっかりと気持ちを
込めて書くことこそが一番大切だと、
気づかされた。
フォロワーやスキを貰えば、確かに悪い気は
しない。
しかし、そこにあるのは極々小さな事でしか
ないものだと思った。
書いているうちに、自分の中で考え方や、
昔は思っても無かった事を書いている自分に
気づいた。
その時、全ては自分の成長のために書いている
のだと、当たり前の事ではあるが、本気で思った。
自分自身の自己啓発や見聞を広める事や、
文章力の向上のために書いているという答えを得た。
より一層、頑張る事によって、更に上を目指せる
力をつける為に私は書いている。
確かに、スキやフォロワーが多ければ、人の目に
つきやすい。それに加えて、コンテスト等では、
実際は全てに目を通しているのかと問われれば、
これは私個人の意見にはなるが、見ていないと
思う。
それは私も以前は、ゲーム雑誌の最大手の会社に
スカウトされて入って10年ほど勤めたから言える。
例えば、ゲーム等の紹介に多くのページ数を出して
くれる会社等の場合、プレゼントとして、メーカー
から何本かソフトを貰う事は多々あったが、
私は全てのハガキに目を通していたが、私以外の人は
読まずに適当に選んでいたから、そう言える。
ハガキには色々な事を書いている人もいるのに対して、
読まないのは失礼だと私は思ったから読んでいた。
それは今でいう、フォロワーやスキに近い感情が
生まれるものだった。
私が企画したやり方でプレイするような事は、
考えた事も無かったという意見は多かった。
問題はハガキに書いてある内容が、嘘か事実かでは
無い。これはどうすべきかという個人の問題になる。
私しか攻略できる人がいなかったので、私は社内でも
他の部署からも仕事を受けていた。
そんな中、新しい雑誌を立ち上げる話が出て、
私にそのメーカーの記事が任される事になった。
その時、その部署の編集長が、
私に要求してきた内容に対して、私はそれを
するなら3週間はかかると答えた。
しかし、その編集長はこう言った。
「どうせ読者にはバレないんだから、適当でいいよ」
私はその仕事を断る事にした。
どうしようもないクズの下で働くのは自分の為にも
良く無いし、いつか絶対に喧嘩になると
思ったからだった。
私は上京したてで、広島弁だった事もあり、
陰口を叩く連中はいた。しかも聞こえる位置で
文句を言っていたが、私は我慢した。
その後、トラブルになり、その部署も辞めたが、
PCゲーム専門誌の部署の仕事も受けていたため、
そこの専属的な感じで、私にしか出来ない仕事
を私は全力でしていった。
会社には多くの部署がある中、私の書いた雑誌は
どこの部署からも高評価を得ていた。
そこの編集の人は、私を高く買ってくれていたので、
破格の待遇で仕事をやらせてくれた。
私が病気になった時も、会社には打ち合わせの時だけ
出社したらいいと言ってくれた。
ある時、私が攻略をしている時、幾つかの問題点を
見つけて、相方に幾つかの問題点を書いた紙を渡して、
メーカーの開発部に送るよう伝えた。
相方は、私の実力を知ってはいたが、
雑誌社からメーカーに対して、意見をしてもメーカーは
読んでいるかどうかも分からないし、
これまでもそういう事は社内ではあったけど、
誰一人として返信を貰った事は無い世界だと言った。
しかし、私には自信があった。
だから、それでもいいから送るように伝えた。
それから2,3日経った頃、会社にいた私に走ってきて、
「返事がきた!」と言ったが、私はそれなら発売しても
大丈夫な程度にしか思わなかったが、相方は興奮していた。
前にも後にも、メーカーに意見をして、しかも、
相当な低姿勢で御礼を述べていたようで、相方は凄い凄い
と何度も言っていた。
それから私の存在はその大手のメーカーでは「例の人」
だと呼ばれるようになっていった。
私は基本的に何事に対しても余力を残して、
仕事や他の事もするようにしている。
だいたい80%基準で、多少余裕があったほうが、
仕事もはかどるし、気持ち的に楽な方が安心できる
からそうしている。
ある企画を私は考えて、正直、挑戦する前でも
クリア可能なのか? と思うほど厳しい条件付きでの
企画を出した。企画の考案や、取材内容、攻略に
関しては私が担当していたので、企画が通らない
事は一度も無かったが、自分でさえ不安なほど、
激難な企画だった。
クリアするまでのタイムリミットは5日ほどあった。
そして1日目、ノーセーブ、AIMax、難易度上級、
その他、有利すぎる計略禁止、等いくつもの条件を
つけたが、これは仕事で無い時に、自分でプレイ
している時の条件をそのまま企画にしてみたもの
だった。
ただ一点、違いがあったのは、選択したキャラクター
でクリアはした事が無い事だった。
ある意味、私の中でも挑戦だった。
1日目は、惨敗、惨敗で、
「うーん、クリアできる仕様なのか?」と疑う程の
劣悪な状況のキャラクターだった。
まあ一日目だしという感じで、10時間ほどプレイして
その日は寝た。
二日目、1日目よりはマシではあったが、とてもクリア
出来るビジョンが全く見えなかった。その日も10時間
くらいプレイして寝た。
三日目、要領は掴めてきて、クリアへの道が微かに
見えてきたが、その日を入れて後3日しかないと
考えたら、不安しか無かった。
その日は昼頃に起きて、クリアするまで寝ないと
決めた。それくらいは最低時間が必要だと感じた
からだった。
徐々にクリアへの道は見えてきたが、相方は不安
そうに見ていた。当時のネットでもそのキャラで
クリアできないとされていて、必要?(笑)などと
言われているほど、難しいキャラだった。
勿論、ネット上の人たちは、私のようなマゾい
内容では無く、アリアリの条件でもクリア不可
とされていた。
四日目、既に御飯を食べる時以外は
プレイし続けていた。かなりクリアまでの道は
見えるのだが、AIMaxがドS過ぎて苦戦していた。
そして眠らずに5日目に入った。
惜しい所までは行けるのに、なかなかクリア出来ず
相方は不安しか無かった。この私の性格を知って
いるのに、条件を少し軽めにしたら?とまで
言ってきたが、「絶対クリアする」と言って
時間だけが過ぎていった。
そして終に、タイムリミットまで残り数分とまで
迫ってきていたが、これまでで一番良い流れで
クリアに近づいていた。
残り1分を切った所で私はクリアした!
感無量だった。そして書き留めたメモを相方に
渡して、私は爆睡した。
相方は会社に行って、私のメモを編集の人に
見せると、編集者はこれだけで小冊子ができると
まで言っていたらしいが、そりゃ出来るよと
思った。
重度の不眠症の私でも眠くなるほどであった。
その頃の事を考えていた。
そして今も書きながら思い出しているが、
あの頃は、仕事だったとはいえ、その時以外は
80%で充分問題無かった。
しかし、今は違う事に気づいた。
何よりも自分の為に書くのであって、
それは自己啓発の基礎とも言えるものである以上、
頑張ってはいるが、もっと命懸けで頑張るべきだと
思った。気持ちだけあっても無意味でしかない。
実践してこそ自分のモノにできる。
だからこれまで以上に、頑張ると決めた。
でも、自分的に良いものしか出さないとも決めて
いるので、本数にバラつきは出るだろうが、
最低3本は毎日上げると決めた。
私は無駄とは言い切れないが、
父母とのトラブルで時間を多く失った。
それを取り戻すには、頑張るしかない。
今はその頑張るという力も戻ってきたし、
最近は更に頑張れるようになったと感じている。
そう言う意味では、無駄では無かったと
思いたいが、余りにも長い時間を費やし過ぎた。
今だから言えるが、後の祭りでしかない。
だからこそ、多くを知り、理解する事が
大切だと、人生では何度も思い直してしまう。
人間である以上、それは誰もが形は違えど、
経験する事でもある。
時間を取り戻す以上に、頑張り続けてやると
私は私の為にそう決めた。