◯僕らは冒険者
基本的にポジティブに生きており、本気で死にたいと思ったことは30年ほどの人生でたった2回しかない僕ですが。
ある時、人生において、途方もない絶望感というか、閉塞感、息苦しさを感じたことがあります。
数年前、工場で働いていました。
仕事は単調で楽だったので、僕はある遊びというか、思考をしていました。
自分の感覚、とりわけ頭、脳に意識を向けます。
例えば、頭の両サイドが何だかズキズキとする時。
自分は、どういう感情、どういう状態なのか?
などと、自問自答して。
ああ、ちょっとストレスを感じているなぁ、と。
そういった、ちょっとした遊びをしていました。
それがきっかけで、ちょっと脳科学について調べてみたんです。
そこで、僕はある事実を鮮烈に叩きつけられました。
脳科学、これほど矛盾している学問はない。
なぜなら、人は脳について、まだ大部分が判明していない。
にもかかわらず、その脳を使って、その脳について研究している。
瞬間、僕はどっと冷や汗をかきました。
それまでの人生の学びの中で、人とは往々にして、矛盾した生き物であることは知っていました。
それがまた、人間の愛らしいところなのだと。
しかし、その矛盾に関しては……正直、笑えませんでした。
だって、僕らの大部分を占めているのは、脳です。
僕らの言動をコントロールしているのは、脳です。
けれども、僕らはその脳について、まだ何も知れないに等しいのかもしれない。
自分の脳であったとしても、理解しきれていない。
しかも、厄介なことに、脳は嘘をつきます。
体は正直ですけど、脳はとても嘘つきです。
そして、僕らはその嘘つきな脳を介してしか、この世界を知ることが出来ません。
だとするならば……いま、僕が見ているこの光景は、全部まやかしかもしれない。
その時、僕の頭に浮かんだのは、マトリックスです。
あれは、実は電脳世界にみんな捕らわれていて。
何か食べたら、美味いと感じるように、プログラムされている。
つまり、僕らはこの世界に捕らわれた、囚人なのだと。
絶望しました。
死にたいとは思いませんでしたけど。
何なら、死ぬ気力も起きなかったくらいに。
絶望しました。
この世界から、どんどんと色が抜けて行くようでした。
僕もまた、半ば抜け殻のようになっていました。
このままずっと、僕はこの偽りの世界で、囚人として生きて行くのだと……
しかし、僕はある気付きを得ます。
そのきっかけは、自分の内的思考、視点です。
イチロー選手も言っていましたが、自分を客観視したい時。
一歩引くというか、幽体離脱した感覚で、自分を外から見つめるのだと。
けど、僕はイマイチ、この手法がフィットしませんでした。
それよりも、僕は内的思考。
つまりは、自分の内側に潜って行く方が、やりやすかったです。
イメージとしては、暗い空間。
例えば、怒りを感じた時、そこで巨大なケモノとなった、自分が暴れています。
そして、そんなケモノを、ちゃんと人間の状態の自分が見つめています。
人は所詮、非力ですから。豪力のケモノには及びません。
ですから、決して抑え込むことはせず、ただ眺め、観察し、時にはなだめます。
そうしていると、自然と怒りは収まるのです。
そういった内的思考を、僕は何度も繰り返していました。
その内に、ふと気が付くのです。
脳みそが、嘘をついていることに。
いや、脳が嘘をつくことは、もうとっくに知っていて、それに絶望していたわけですけど。
例えば、ラーメンが食べたいと思う。
けど、そこですぐラーメン屋に行くのではく、ふと考える。
脳はそう言っているけど、胃袋ちゃんはどうだい?
と聞いてみると、ちょっと疲れて胃もたれしていたり。
すると、じゃあやめておこうね、となる。
本来であれば、胃が弱っているなら、食欲は減衰する。
そのように、脳が伝えてくれるはず。
にもかかわらず、嘘をつくのは、それが脳の性分というのもあるでしょうが。
とりわけ、現代は『崩食』の時代ですから。
欲望まみれの美食によって、感覚がバグッているのです。
まあ、その話は置いておいて。
そういった思考を繰り返している内に、段々と脳の嘘を見破れるようになって来たのです。
あー、はいはい、今それは嘘だね、的な。
僕は徐々に、この閉塞感が漂う絶望の世界を脱するために必要な手がかりを、掴みつつありました。
そして、決定的となったのが。
刀根 健(とね たけし)さんの著書
『さとりをひらいた犬』
これにて、僕は衝撃の真実を知ることになります。
人を構成する要素は3つ。
自我(エゴ)
カラダ
魂
この3つです。
多くの人は、上2つはちゃんと自覚しています。
自我、エゴは、この世界における、あなたの人格です。
カラダは、言わずもがな、ですよね。
人はだいたい、この2つしか意識していません。
けど、その奥底に、もっと大事な3つめの要素、魂があります。
そんなの、スピリチュアルな世界の話、うさんくさい、と思われるかもしれませんが。
この息苦しい世界を脱するためには、魂の力、魂の声に耳を傾けることが必要です。
自分の内に、内にこもる、というより、内を見つめるプロセスを重ねて行くと。
だんだんと、聞こえるようになるのです。
魂の声、叫びが。
エゴは、欲望まみれで、汚れています。
けれども、魂はスッキリと、清らかです。
ドロドロの欲望を振り払い、その奥底に眠る本当の自分。
魂の存在に気が付き、その声を聞いた時。
気が付くのです。
ああ、僕たちは決して、この世界の囚人ではない。
この世界を旅する、冒険者なのだと。
みんなそれぞれ、自分の役割を持って生まれる。
自分の課題に向き合い、乗り越えることこそ、人生の醍醐味。
そのことに気が付いた時、僕はワクワクが止まらなくなった。