きのことココダトレイル「戦勝国と敗戦国の兵士たち」
DAY 0 のお話です。
(1) 山並みを見つめる朝
朝は早く目が覚めてしまいました。前日はツアー客全員が揃わなかったので私とサメ子さんはヒルトンホテルの一室をそれぞれが独り占めするという人生にそうそうあることではない優雅な夜を過ごしました。もしかしたら私は歯ぎしりする人、イビキをかく人、はたまた寝言がうるさい人で相手に迷惑かけるかもしれないという不安もなく、のびのびと就寝。自分の事は分からないのです。気持ち良い目覚めで迎えた朝。
カーテンを開けてみると、街は活動を始めていました。とりあえず、男子真っ青にできるであろうスピードでささっと出かける準備をしてホテル内のお散歩。
旅に出ると好奇心が止まらなくなります。寝る間を惜しんであちこち見ないには収まらない人になります。その好奇心欲を満たすための集中力は凄いかも。
(2)世界最高峰のビュッフェと認定…
この日はトレッキングのスタートはなくなってしまいました。それで助かったのは私かもしれない、、トレイルの荷物が無かったもんね。
ビュッフェスタイルの朝食もゆっくり味わえました。
並ぶ食事の種類の多さに、豪華さに目移りしました。凄いなぁと、ニヤニヤぐるぐる何周かしているうちに、軍曹も降りてきました。
朝食に何を食べるか悩む時間って、、
人が作ってくださる料理って、、
幸せだ。。
ほら、きのこ。
あそこ、すずめは万国共通だね〜
という軍曹との会話。
長閑な朝だったことを覚えています。
周りにはオーストラリアの高校生らしき男子が沢山いました。学校の先生に朝早くに起こされてまだ眠そうな、気だるい空気感。彼らもどうやらココダトレイルを歩く様子。一部の私立高校ではココダトレイル踏破はカリキュラムの選択肢になっているようです。
しかしそうか、高校生でヒルトンホテルか〜世界最高峰のビュッフェか〜時代は変わったなぁと思う自分もいました。なんて恵まれた高校生活。ちょっと羨ましい。
食べ終わった頃にサメ子と天パ坊やも起きてくる。
(3)答えを確認に
日豪、戦後の国外の戦没者の扱いに違いはあるのか?
というわたしの問いの答えを探しにいきます。
この日予定はオーストラリアの戦没者墓地(※1)と、買い出し。まだ荷物が届くと思っている私はそんな必要性は感じなかったのですが、、万が一の為に。
車内から見る街の風景は何か懐かしさを感じます。それにしても多いビートルナッツ(ブアイ)の露店。そうあの口を真っ赤にして食べる果物です。少し幻覚症状が出ると言われる果物、長年食べ続けると歯がボロボロになり、サメのような鋭い歯になっている御老人にも出会いました。今思うと、この時天パ坊やは絶対に試すぞ〜と目を輝かしていたのかな…
花屋の露店も見えました。
パプアニューギニアらしく極楽鳥花の花束だったり、熱帯雨林に相応しい、大きな花たちがドドーンと並んでいたのがチラッと見えました。降りてみたかったのですが、きっと軍曹に危ないと言われて許してもらえなかったでしょう。あちこちにバードオブパラダイス(極楽鳥)の看板も見えます。目に飛び込む全ての情報が新鮮です。
なのに、日本にもありそうな風景、
と思う自分がいました。不思議ですね。
この時の写真は撮っていませんでした。
(4) ブマナ戦没者墓地(WW2)
ポートモレスビー東19km、30分くらいのドライブで墓地に到着。郊外のフェンスで覆われた場所。芝生が青々として、オーストラリアでも見るような大木も植わり、丁寧に整備され、芝も綺麗に刈られていました。シドニーのオペラハウス横のボタニカルガーデン(公園)を彷彿させます。
駐車場に車を停めて、目に飛び込んできたのは整然と並ぶ白い墓石。墓石は4000近くありました。その数の多さに圧倒され、悲惨な戦争で亡くなった兵士達の数が感覚として伝わります。数字で言われてもあまり分かりませんが、この視覚の効果は絶大です。フランスやフランダース地方の戦没者の墓地との共通項もあります。そしてこのような立派な墓地に兵士一人一人に墓石を用意し、その死を悼むオーストラリアという国に静かな感動が押し寄せていました。
アンザックデー(軍人に感謝の気持ちを伝える日)の慰霊祭には今年は400人位の人がこのニューギニアの地に集まったそうです。戦争を風化させない姿勢、兵士のひ孫の世代の子供達も参加しているという話です。それでも年々訪れる人は減少しているそう。
(5)僕と同じ年齢だ…
我々グループはここをゆっくり訪れたかった理由が一つありました。ツアー客の1人天パ坊やは、ココダの戦いで親戚を亡くしています。その方のお墓をお参りしたかったのです。
お墓の一角にはそこに埋葬された兵士の記録が本になって閲覧できるようになっていました。部隊名、亡くなった場所、墓石の位置。
真っ先に天パ坊やはそこに向かい、情報を探し、親戚のお墓を見つけました。
「25歳で亡くなられていたんだ…今の僕と同じ年齢…」
軍曹、サメ子と私も近寄り手を合わせる。
「来てよかった。」
暫く天パ坊やは静かに歴史と向き合っていました。
(6) 戦没者
日本に置き換えてみると、靖国神社の英霊か、千鳥ヶ淵戦没者墓地に埋葬されるかの違いがあるということでしょうか。
なぜ豪州兵士達ご遺骨は本国に戻らなかったのか。
という疑問が一つ私にはありました。日本はご遺骨を日本に帰国させるべく厚生省指揮の下(※2)に発掘が行われていますが、オーストラリアの場合はどうなのか。
その答えですが、近年では戦没者のご遺骨はオーストラリアに戻りますが、当時はそうではなかったという説明がありました。
女性の兵士の名前もありました。そして看護婦の犠牲者。暫くゆっくり墓地を歩きました。
戦争という最終手段をとった世界に静かな怒りと、今でも何も学ばない世界に悲しみを感じていました。
戦争するのは簡単。
平和を維持するために必要な努力は相当なもの。諦めず、何処に相手を信頼、尊重する気持ちを忘れず、考え抜いて、対話・交渉を続け歩み寄る大切さ。双方の戦争しないという決意の下での最大の努力が必要。軽々しく戦争を始めるのは無能な証拠とはっきり言わせていただきたいと思います。
(7)お買い物
ようやく、わたしのトレッキング用具一式は届かないものと諦め、買い出しに出かけました。本音はまだかすかな希望はありましたが。
ショッピングセンターは入り口でのスクリーニングがあり、セキュリティのしっかりしたポートモレスビーでも安心してショッピングを楽しめる場所でした。ウィンドウショッピングが楽しかったです。
私は必要最小限、川を渡るためのサンダル、水筒、トイレットペーパーを購入。バックパックとゲーターは軍曹から借ります。余計なものも沢山持ち込んでいたのでそれらも使い、なんとかなりました。
そうそうスーパーでサメ子がニヤニヤしました。
「らんま1/2の名前が、トイレットペーパーのブランドだ🤣🤣」
みんなで爆笑。
(8) その頃ブリスベン組は…
航空会社からホテルを提供され、快適な滞在を楽しんだ3人。翌日のフライトは余裕を持って空港に行くと思いますよね?普通は。。
しかし、2時間前にチェックインカウンターの列に並んで居なかったことが発覚。前日と同じ行動の3人。我々は焦って電話をかけましたが、ちょうどホテルを出るところ!と言われました。
「………」ナニモ イエネー
こっちに居るのは万が一を考えて常に早めに行動する慎重組4人。考え方の違いというか、マリアナ海溝びっくりのでっかい溝がブリスベン組とポートモレスビー組にありました。
当然こっちは
🤷♀️🤷♂️🤷♂️🤷♀️
となりました。もう知らん。笑
あちらは
🙆♂️🙆♀️🙆♂️
全然オッケー大丈夫!
ケセラセラ〜
🤦♂️🤦♀️🤦♀️🤦♂️
再び、もう知らん。笑笑
後で彼らのチェックインで満席。以降の客はウェイティングリストになる。
(我々)ギリギリじゃないか。乗れなかったらどうするつもりだったんだ?!
🤦♂️🤦♀️🤦♀️🤦♂️
(あちら)やったね❣️
さぁてポートモレスビーに向かいますよー。
✌️✌️✌️
恐るべし、余裕の戦士ブリスベン組…
長生きするのは彼らかな。
(おしまい)
読んでくださってありがとうございました。