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きのことココダトレイル「4日目: 体が重い…」
トレイルで1番キツイのは3日目のルートと言われており、一緒に歩いた皆、最終的な感想もそのように落ち着いていましたが、私にとって1番きつかったのはこの4日目になりました。ちょっと地図や日記で何が辛かったのか考え直してみようと思います。
確実に疲れはたまってきている(日記には、体の動きの鈍さ、悪さ、足に錘がある感じと体調がベストではないのが分かります。ロングトレイルって日々の体調の変化と折り合いつけながら必死こいて前進していくんですね)
肉体的苦痛と常に戦場で戦った兵士達に気持ちを寄せていくので、精神的な部分での辛さ
お食事。なんとなく西洋的なものよりも、ポーターと同じもの、お米とラーメン中心の食生活にしたくなっている
仲間の士気低下や疲れた顔がこちらにも影響ある
ニワトリに起こされた(日記)おまいら、いい加減にせい!怒
湿度高く、キツイ登りが続いたそう…
なるほどね…
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(1) トレイルの風景
村を後にし下った谷。川を渡る。
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そこで見たものはこちらの恐竜の形をした植物♡
川を越えたら、登り。
同じパターンを繰り返します。
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昨日のキャンプ地efogi1見えました
(2) 西村幸吉さんが建てられた慰霊碑(Efogi2)
Efogi2には、西村さんが建設された慰霊碑があります。絶景をバックグラウンドにしています。今では土台しかなく、上に飾られていた石が見当たりませんでした。
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ちょっと待って絶景は?とツッコミが…アリマスカ…
正面を間違えていた気がします……
Efogi2、この辺りの戦いで西村さんの所属していた小隊は西村さん除いて全滅。西村さん自身も出血多量の傷を負い意識ないところを翌朝1人用の穴にいたのを仲間に見つけてもらい命拾いしました。
ここに資材を投じて慰霊碑を建てた西村さんの想いとは。どんなものだったのでしょうか。
敬礼。背負っていた日本酒を取り出して、私の1人慰霊祭を行う。
すると、卵形の石を持った村長さんの貫禄のある方が、現れて私の前にその石を差し出してきました。
その石に掘られた文字
「忠霊塔 全生庵王玄◯?
昭和六十一年 西村幸吉建」
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あっ、これが、、西村さんが四国、高知のオキノシマを訪れた時に(この時点ではオキノシマを調べ切れていなかったのですが、ツイッターでフォロワーさんの投稿で分かりました)見つけた石。この碑の土台の上に置かれていたものですが、盗難などを恐れた村人が大切に別の場所で保管してくれています。これも今後の維持費含めてお礼をしたいなと思うのです。
日本人がその碑の存在を知り、訪ねたので、特別に見ることができました。普段オーストラリアのトレッカーには見せていないとのこと。軍曹も初めて見たと言っていました。
そこで改めて慰霊碑に手を合わせ、お礼にほんの少し、心ばかりのお金を置いてきました。
そして後ろ髪を引かれるようにしてエフォギ2(efogi2)村を後にする。個人的にはこの村で一泊したかったです。
(3) なぜ忠霊塔か?
色々な本を読むと分かりますが、西村幸吉さんは戦争で戦った相手も已む無くして戦わせられたというお気持ちがあります。
「怨親平等」と同じところからくるもので、敵も味方もない、どちらも平等という精神です。
お国の為に戦った魂は同等であるというお気持ちから、双方の戦死者のために、小隊を失った、忘れられぬ地に建てられたそうです。
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歴史だと思っています
(4) ナドーリ(NADURI)村
エフォギ2からは、稜線ルートが二手に分かれます。我々は東側の稜線を歩きNADURI村に向かいます。
反対側の西側KAGIルートの稜線が見えます。
ボスが、あちら側は一部日本軍がイオリバイワに向かった道。光を灯しながらポートモレスビーに向けて行進する姿は、まるで夜空を飛ぶホタルのようだったと話し始める。
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その言葉にあっという間に私の気持ちは次元を超えて、第二次世界大戦を想像していました。時は1942年、真夏の茹だるような暑さの行軍。食べるものも少なく、靴は使い物にならず、皆裸足。背負う荷物は機関銃なども交代で人力で持ち上げ、想像を絶する荷重。生水で下痢や赤痢にかかり、南国特有のマラリア、デング熱にやられ体力消耗。
真夜中、自分の手元も見えない暗いジャングルで光るコケを前を歩く仲間の背中につけて前進する…自分達の歩む一歩一歩の前進を、日本軍勝利に近づく姿に重ねて歯を食いしばって前進していた祖父達の姿。
そんなに昔のことではありません。
たった80年強の話です。
その度に涙が流れる。
この日は西村幸吉さんの碑とこちらの話で心打たれる…
そして我々がNADURIの稜線を辿る理由は、オーストラリア軍とパプアニューギニア軍が手を取り合ってこの戦争を乗り越えた、、そのパプアニューギニアの人達は“fuzzy wuzzy angels”髪の毛がチリチリの天使達と呼ばれ、苦しむオーストラリア軍を献身的に支えて共に勝利に導いたと今でも語り継がれています。その中でも特にこの村出身の方の功労を讃えて、記念碑が置かれています。
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(5) 熱帯雨林地帯
そしてトレイルは、丹沢風景からだんだんとパプアニューギニアらしい熱帯雨林のジャングルになってきました。
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森林ウォークが気持ちいい…と日記に書かれています。
そしてこの後、疲れが吹っ飛ぶご褒美がありました。
それはまた次回のお楽しみになるかしらん。
(おしまい)
読んでくださりありがとうございます。