きのことココダトレイル「5日目: ヘリコプターを呼んでくれ…」
(1) B25 墜落の残骸
少し書き忘れたことを書き足したいと思います。
滞在した村の近くに小さなクレーターがありそこに第二次世界大戦中に墜落したB-25戦闘機”The Happy Legend”の残骸が残っています。
マヨラから戻る途中に寄る。
1942年12月最後のフライト。ブナ(Buna)海岸の日本部隊を攻撃する為に編成された航空部隊は12月5日に基地を出発。離陸した姿は確認されたが、雲の上に浮上することはなかったという。戦後航空部隊の他のパイロットの情報を元に1961,1995,2005に大規模な発掘調査が行われましたた。
(2) パプアニューギニアの刀携帯文化
パプアニューギニアの方(ポーター、クルーの一部)は刀のようなものを利き手に持ち、草を払い、時にはポールのように使っていました。パプアニューギニアで部族間のいざこざがあった時にテレビの放送でそんな刀を持った人がウロウロしているような映像を見た事がある方もいるのかもしれません。
その刀を持ってピタリと背後を歩かれるのは、最初かなりのプレッシャーでした…振り返って、ニコリ…その笑顔も怖い…
刺されるか、切られる…
いやそんなことは多分ないはず…コエー…
そんな刀がキャンプ地の地面に刺さっていたので抜けるかな、、と、、笑、、興味津々で引き抜き、ポーズをとってみました。らんま1/2と写真撮りっこして遊んでました。
こんな普通の人です。
ポール一本ですね…
そうか…私のポーターのバニラ畑のヒーローが膝を痛めていたので一本貸したんでした。
(3) 5日目 朝
とても寒かったのを覚えています。
重ね着して毛糸の帽子も被る。日記には不安な気持ちと書いた横に、歩き始めたら大丈夫だったの追加コメントがありました。
朝、「ううはは、ううはは」と鳴く鳥。ニワトリがいないのは本当に嬉しい…と書いてあります。
小川のせせらぎのBGM。気持ちが落ち着く朝だったはずです。でも体が重い、辛い、、ギリギリまで起きちゃダメだと仲間が起きるまでギリギリねばって横になるんだ……5:00まで?5:30まで?
そしてよっこらせと起き上がり暗がりの中トイレへ。その足でダイニングに行くとそこには既に焚き火が用意されていたのでベンチに横になり、パチパチと弾ける焚き火の音を聞き、火の温もりを感じる。
(4) 体の不調
この時には両足の指の痛み(右足中指、左足薬指、いつも1番にやられる場所)と、日記見ると膝の痛みもあったらしい。皆に話したら、ibuprofen とpanadolを両方すぐに服用するようにと言われて指示に従う。筋肉痛も含めて炎症と痛みを抑える。
こうやってロングトレイルの最初の部分、体が長時間の歩きに順応するまでは薬を使うのがいいんだよとアドバイスを受ける。これ以降のトレッキングはこの二つの薬は歩く日数分の錠剤を持つようになりました。
あとは下半身、特に足の管理。チャンスがあれば川に入って冷やすこと。そんな話を聞いたので、天パ坊やデンタルモデルと私の3人は川を見たら飛び込んでいました。
ヒヤリとした川の水に脚を浸す幸せ。
これがもう信じられない位気持ちが良いのです!
(5) 軍曹の様子がおかしい…
軍曹。デイパックが持てたり持てなかったり、この朝は酷い吐き気があるといいます。足取りもフラフラ、休憩も多い。次第に状態が悪化しているのは誰の目にもわかってきました。
どうしたんだろう?
薬漬けで、なんとか歩き、大事な場所では歴史背景の説明をしてくれますが言葉に力がない…誰もが心配になっていました。
(6) トレイル
この日はココダトレイルの最高(標高)地点(mt bellamy の稜線)2200m強を通過予定。
その地点もどこだったか記憶に残っていないくらい軍曹の状態が気になっていました。
(7) そして決断が下される
もう僕はダメだ。
トレイルを脱出する。
ヘリコプターを手配してくれ。
天パ坊や、やり方知ってるだろう?
次の村で引き継ぎをする。
オッケー、わかった。(天パ坊や)
軍曹からの一言にグループ内に
緊張が走りました。
軍曹、、どうしたんだ……
私達……どうなるんだ……??
(ミーンミンミンと蝉の声が大きくなった気がしました)
(おしまい)
読んでくださってありがとうございました。