きのことココダトレイル「ココダトレイルとは」
「ココダって何…」
誰でもいきなりその質問をされたらそう思うのではないかと思います。
もしも下調べをしなかったら私も恐らく、何のことだろうと思ったはずです。ただ今回はあまりにも辺鄙な場所ばかりを狙うツアーの主催者(軍曹)の事が気になってしまい、もしかしたらやばい会社、危ないんじゃないかなぁって、それなりの情報収集をした上でツアー参加を決めました。彼らの得意とする難易度の高いトレッキングツアー以外に、パプアニューギニア(主にココダトレイル)を専門にしていることを理解していました。
このツアー会社は視点が違って面白い……
ではココダトレイルとは何か、小難しい説明は逆にできませんので、シンプルな説明を心がけてみたいと思います。話を書き進めていく中で必要な情報を都度盛り込み積み上げていく形を取ります。
ココダトレイルとはパプアニューギニアの東南に位置し、南北に縦断するおよそ96kmの山岳トレイルです。第二次世界大戦時に日本軍とオーストラリア軍が戦を強いられた場所、運命の悪戯と言わざるを得ない戦でした。急峻な山並みや谷が連なり、悪路の極みに、両軍が血と汗と涙を流し必死に切り開いたトレイルです。ツアー会社によりますが10日前後で踏破します。
実はずいぶん前から、オーストラリア側からトレイルの情報は入っていました。健脚な方が目指し、高校生の心身を鍛えるためにこの戦地トレイルをプログラムに取り入れる高校がある事も耳にしていました。そしてこのトレイルを踏破した人達への周りからの称賛の眼差しも感じていました。ただ、私の中ではエベレストのベースキャンプを目指すのと同等の扱いで完全にそこで思考は停止していました。それが厳しい山岳トレイルであること、それもなんらかの過去の戦争に絡んでいて、オーストラリア国民に今でも大切にされているトレイルという認識。もう少し考えれば日本人の自分にも関係するとわかる事だったのでしょうが。
ツアーの初日、軍曹と初対面、会って間もない中で、この質問をされるとは思いませんでした。遠い記憶の中に、第二次世界大戦というキーワードで、ド直球で、回答に窮する質問を投げかける人…いつか同じ事がありました。時を超えてまた私の前に同じ状況が出現したのかと、どきりとしました。
答えに詰まりました。
その時に軍曹の相棒(永遠の少年)がいいました。
「日本軍はここの戦いで無様に負けた。そんな場所に行こうと思う日本人がいるわけがない。」
この言葉に読者の皆様、ショックを受けないで欲しいです。オーストラリアには言論の自由があります。発言者は忖度もしません。自分の気持ちを伝えてお互いの違いを認めた上で会話を続ける姿勢は大切なことです。
とは言ったものの、、その言葉に少なからず傷ついた自分がいました。ただ、軍曹は厳しい声ですぐに制したのです。
「そんな事を言ってはいけない。日本の兵士もオーストラリアの兵士も、どちらも軍の上層部から捨て駒のような扱いをされた中で、ただ祖国に残した家族や愛するものの安全と平和を思って戦ったんだ。立場は同じ。だからこそ、私は、日本人にも弔いに訪れて欲しいんだ。」
この言葉に涙が滲みました。
その時にいたザ・プロムも、第二次世界大戦時には大切な役割があり、オーストラリアの軍部上層部のトレーニングで使われた場所でした。そんな場所で、ココダトレイルを専門とする会社のツアーに参加し、初日にこの質問をされ、このようなやりとりをする事に何か因縁を感じる自分もいると正直に伝えると、
「ザ・プロムと第二次世界大戦の関係も知っていたんだ……」
と言われました。
ザ・プロム国立公園の中でも、観光客が必ず訪れる場所には、慰霊碑か記念碑のようなものがあって以前訪れた際に説明書きを読んでいたのです。
「日本人に歩いて欲しい。あなたにも実際に見て感じてほしい。現代の日本人に全く思い出してもらえないとしたら兵士達は犬死ではないか。」
犬死という言葉は軍曹はその時に使いませんでしたが、今振り返って、軍曹の気持ちを込めて少し言葉を変えてみました。
その時の私の回答。
「あなたの会社の情報を自分なりに調べ始めてから、不思議と第二次世界大戦というものが私の子供時代から切っても切れない関係にあるのを感じています。すぐにパプアニューギニア、ココダトレイルに行きますとは言えませんが、私の中で、祖父達の戦争を知りたいという気持ちが芽生えています。」
その時に深層心理では行くことは決めていたはずです。
家族にこれをどう理解してもらうのか、もらえるのか。
そしてトレイルを歩いたのは2ヶ月後のことでした。
(Resources )
*1 地図引用
(おしまい)
読んでくださりありがとうございました。