きのことココダトレイル「6日目: イスラバへの道のり」
翌日、小雨の中の出発。
いよいよイスラバへと向かいます。
この辺りには、あちこちに石碑があり、歴史を説明するプレートが打ち付けられた岩がありました。戦争に使われた日用品、武器があちこちから出土されていることからも、厳しい戦いが強いられた事が想像できます。
まだ私の知識ではこのココダの戦いの片鱗を語る知識もないので、それはまたいつかの課題として、トレイルを歩いて私が見たもの、感情が動いたところを中心に、私のココダトレイルとして最後まで書き綴ることが出来たら良しとします。最後までお付き合い頂けましたら幸いです。
(1) 顔がむくんでいる
朝起きて鏡を見てびっくり。
顔がパンパンに浮腫んでいます。瞼も重い…ひどい顔をしていました。が、ありがたい事に、街中のようにあちこちに鏡があるような場所ではありません。本人さえ気にしなければ、全然普通に1日過ごせます。周りは自分ほど気にしないものですから。
後で写真を見直した時だけです…凄い顔してるな…。
そっと、、、この写真はゴミ箱…ポイっ。笑
前日に撮った写真。この日最初に渡る橋。
(2) 戦争の名残(写真)
トレイルに残された確かな戦争の傷跡。
終戦から数えて、もう80年近くたっていますが、果たして私自身が学べたことってなんなのでしょうか。
そして飯盒や水筒など、多分今でも使われているもの。同じ形状。私達の生活に紛れ込んでいる、あの当時と変わらないものは、どれくらいあるのか考えていました。
まだまだ第二次世界大戦の元兵士やご遺族の方々がご健在の頃、弔いの旅ではお骨(頭蓋骨やご遺体)が見せ物になり、お金をとっていたそうです。そんな姿に涙した話は聞いていたので、緊張していましたが、この旅ではそのような姿を見ることはなく、安堵しました。
(3) 日本軍に占領されていれば…
これはパプアニューギニアの方の、私へのリップサービスかもしれませんが、歴史を変えられるならば、パプアニューギニアは日本軍に占領されたらば良かったとボスとバニラ農園のヒーローは言いました。そうすれば現代のパプアニューギニアはこんな貧しい国ではなかったはず…
私には何も言えませんでした。それが果たして良かったのか到底分かりません。
(4) ALOLA 村通過
イスラバ目前。
最後の村を通過します。
(5) そして、、イスラバの地へ
(おしまい)
読んでくださってありがとうございました。