あの時の「レインマン」
1980年代の名作映画。
レインマンをご存知だろうか。
学生の時、「作業療法士を目指すならこの映画を見ておきななさい」と偉い教授に言われた。
当時、落ちこぼれの捻くれ者だった私は「見ない」という選択肢を選んだ。心に余裕が無かったのだと思う。「そんな古い映画見たくないし…」的な。
約20年の月日が過ぎ、何故か、最近猛烈に見たくなって見た。
(だって、良く考えたら、ダスティン・ホフマンとトム・クルーズがダブル主演してるすごい映画だったんじゃないか…!)
見るべき時が来たのだろうなと思った。
学生の時は、自分がどうなりたいとか、どうなっていくかとかを思い描く余裕が無かった。
日々を生きているだけで必死だった。とにかく試験に合格して、課題をクリアして、実習を無事に終えることしか考えられなかった。
作業療法士とは何かとか、病気や障害を抱えて生きる人とどう向き合っていくかなんて、正直頭の中に無かったんだ。そんな感じの若い女が社会に出たんだから、無力さを痛感する日々になる事は当たり前だなと思う。
沢山の研修に行き、専門書を読み漁った10年間。
意味はあったけれど、「人」を知るには何かが足りなかった。最近は、小説や映画を観て、その中での人間関係を眺めながら「人」について深めている。noteもその一つだ。
心理学とか社会学とか哲学とかまだまだ私には足りない部分だったりするけれど…。
どんな映画の中にも「人」を見つめる視点を教えてくれるものは沢山ある。関わる人によってその見え方が変わる事を教えてくれる。
現代でいう発達障害者のレイモンドは、施設で安心、安全を補償された中で暮らしていた。チャーリーに連れ出され、混乱し、時に恐怖を感じたりする。
発達の問題で、色んな事に過敏になりやすいレイモンドへの関わりを必死に模索しながら、彼の素晴らしい能力にも気づいていく様と、その能力を生かして賭けにでるチャーリーに固唾を飲んでしまった。
レイモンドに対するチャーリーの関わり方は教科書的には完全にアウトだけど、「人間」として「兄弟」としては美しくて儚くて愛おしい。
彼が歌う曲を一緒に歌い心を通わせていく様は、なんとも言えない純粋なところに2人の記憶を引き寄せていく。
「安心、安全」とは何だろう…
立派な施設と専門的な知識を持つ人が沢山いる事ももちろん大切だけれど、1番はどれだけ心の交流を共にできる体験が出来るか…信頼出来る人がいるか…だと勝手に思っている。
あの時「見なさい」と言われたレインマン。
見れなかったあの時…
これから出会う人と向き合う自信が無かった。
チャーリーは強引だけど、レイモンドと一瞬でも心を通わせたように、間違っても、正しくなくても、心が通う瞬間に出会いたい。
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