「あきらめたら…」は、今なのかもしれない。
ようやく、DVDで映画「THE FIRST SLAM DUNK」を見た、時代の流れからやや外れているlemon sodaです…。
“流川”か“リョーチン”
…悩んでたんですが、リョーチンが大好きになりましたね。
うん。
安齋先生がおっしゃった「諦めたらそこで試合終了ですよ」
…はこの歳になっても響くのだ。
さて。
夏休みが近づく。
夏休みは、少し仕事が忙しくなる。
利用する子ども達が、普段より長い時間を過ごすことになるからだ。
丁寧に計画を立てる。
私の勤める小さな通所支援事業所には「重度心身障害児」「医療ケア児」達が通っている。
高度医療が受けられるのは病院のみ。
在宅生活では24時間両親は子どもから目が離せない状況となる。心身的な負担が増大し、疲弊してしまう。
重症心身障害児と家族を支援するため、平成24年に児童福祉法を基に改正された。
「重症心身障害児を主たる対象とした」という区分が設けられ、児童発達支援や放課後デイサービスの事業所を利用出来るようになったのだ。
現実には、施設を開設するための人員基準が非常に高く、定員も少ないため、経営的に長期運営をしていくのが難しい事業となっている。
子どもたちの体の状態も不安定なため、月によっては利用者の半分がお休みということもあります。事業としてのリスクが大きく、参入する事業者は非常に少ないのが現状だ。
1年働いて見て、その状況は理解できた。
けれど、それはあくまで社会や大人の都合だ。
子ども達は今を必死に生きていて、一生懸命それを両親はサポートして通ってくれているのだ。
小さい事業所でも、私は出来るをたくさんしていきたい。
夏休みは出来るだけお出かけの機会を作りたいとみんなの意見は一致した。
お出かけする事は簡単じゃない。
「家族で旅行に出かけた事は一度もありません」
「どこかに行ってもすぐに帰って来てしまうんです」
と親さん達は言う。
だからこそ…
お出かけがしたい。
昨年まで、お出かけはいつも決まった場所。
滞在時間も短く、行って帰ってくるだけ。
今年はもっとチャレンジしてみたい。
そこで、公共施設を利用して広い場所でゆっくり遊ぶ機会を作りたいと思った。
市営や県営の場所ならバリアフリーで融通が効くかもしれない。
あと、もう一つ。
最近、鬼子母神が祀られたお寺がリニューアルし、子育て世代に人気な素敵な新客殿が出来たと聞いた。
なかなか個性的でクセつよの僧侶らしい。
そこにも行ってみたいと思った。
下見も兼ねて利用前に学習センターとお寺に相談に行った。
バリアフリーの程度を確認する事はとても大切なのだ。
バリアフリーを謳っていても、適応が難しい場合もある。車椅子やバギーに乗っている子ども達。
スロープの幅が狭いとか、入り口の開口幅や回転幅が足りないとか、駐車場が狭いとか色んな問題が生じることがある。
しかし、問題は物的な環境ではなかった。
「ごめんなさい。今までそういった子が来たことはありません。
「どんな子達なのか、どんな感じなのか全く想像が出来ません」
私は、少しの呆れとか怒りなんかも一瞬感じたが、どこで冷静さを保っていた。
きっと昔に比べて大人になったのだろう。
病院や施設という世界で働いていた私にとっての当たり前が、一歩違う場所に出れば当たり前ではない。
地域に出て働くと、それを実感せずにはいられないし、どれだけ井の中の蛙であったのか思い知る。
私の経験や思考回路は狭いものだったのだ。
そう。
だから、落ち着いて、落ち着いて。
職員さんは、見た事も触れた事もない子ども達の想像が出来ず戸惑っているようだった。
私は出来る限りわかりやすい言葉で子ども達の事を説明した。
障害者用の駐車スペースやスロープ、空調完備、トイレなど、公共施設だけあってかなり整えられていたけれど、職員さんは具体的な使用方法を十分に理解していないかもしれない。
学習センターの利用の際、「障害者手帳や療育手帳を所持する方が利用人数の半数以上だとすると利用料が無料となる」
どうやらこの町の条例としてそんなシステムがあるらしい。
…までは良いのだが、手続きが面倒だ。
利用者全員の名簿を用意し、手帳を提示してもらいたいという。
「すみません、私達も初めてで…。色々勉強させてください。」
一つの手続きに3.4人の職員がぞろぞろと出て来て、丁寧に説明してくれた。
市に問い合わせをすると、いつも回答に時間がかかり、たらい回しに合うけれど、その理由がわかった気がした。
「歓楽的考えの私には公務員は無理かもしれない…」
そう思った。
市内にある日蓮宗のお寺へも下見にいく。
クセつよで有名な僧侶は、実際にお会いしてもクセつよだった。
「日蓮て確か…独特だったとな。」いつかの歴史の授業をぼんやり思い出した。
僧侶は建築にも詳しいようで、馴染みの工務店に依頼して建てられた新客殿は、真っ白な漆喰の壁と立派な柱、美しい板の間、広々としたキッチンと重厚感のあるテーブルや暖炉があるおしゃれな空間だった。
僧侶にも「重症心身障害児や医療ケア児がどんな子ども達なのか」を聞かれ、パンフレットを用いて説明した。
「お経とか、絵本とかさ、俺が読んで伝わるかな?」
「返事とかしてくれる?」
「まあ、ここでは俺がマイルールなんでよろしくね。」
なんだろう。
話し方なのかな…。
僧侶ってもっとなんかこー…
まぁいいや。
バギーって何?
どうして障がいを持つの?
親達の苦労の現状は?
など…
興味を持ってくれた事は嬉しかったけれど、利用する際には細々した注意点がいくつかあり、なかなか柔軟に対応してもらえないのだなぁとも思ったり。
お寺を後にして、車に乗り込む。
よそ行きの言葉遣いと引きつった表情から、いつもの自分にクールダウンした瞬間、どっと疲れが出た。
きっと…こんな事を何度も何度も続けて来たであろう親さん達を思った。
私達が想像している以上に傷ついて来ただろうな…
言葉にしなくても分かって欲しいと願っただろうな…
「大変なんです、本当に。」
と、叫びたかっただろうな…
親切も悪意も同じに感じる事があっただろうな。
私に出来る事は本当に小さいけれど、
社会と彼らがつながる事を私は諦めたくないと今回切実に思ったのだ。
経験は何よりも大きな学びになるから。
まだまだやれる事がある。
ちっぽけな田舎の町の片隅で。
彼らが、その親達が生きる世界が少しでも良くなるように。
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」
そんなことを思って車のエンジンをつけてハンドルを切った。