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振り向けば女友達
母がLINEをまったくしなくなった。メール操作が煩わしいのか、もうできなくなっているのか。
携帯電話の着信履歴ですらそのままの時がある。
連絡してみたら?と言っても娘の言うことなんか聞かない。
お友達のKさんが家の電話に連絡してきてくれた。
母の体調を心配してくださったようだ。
母:
「ちょっと病院にかかるようなこともあったんやけど、元気やよ。
また会いたいわ〜。」
母はたとえ検査入院でも、入院することを友人に話したがらない。
痔瘻の手術の時なんて極秘入院か!というほどだった。
これだけ入退院を繰り返して、お友達とのつながりも一旦ストップということになれば、かえって心配をかけるのに。
Kさんと会う約束をした母だが、日にちを把握していなかった。
見かねた父が、Kさんに電話して母の認知障害のことや、長らく検査が続いていたことなどを話したそうだ。
母の短大時代の友人で、家族ぐるみのお付き合いだったので、父も言いやすかったんだろう。
そのKさんが父と母に会いに来てくれたそうだ。
食事に出かけて、家で寛いで。
楽しい一日だったことだろう。
母はこのままだと人付き合いがなくなってしまうのではと懸念していたが、遠慮せず、ぐっと踏み込んできてくれるお友達はありがたい。
母の友人で私も知っている方は何人もいるのだが、母の状況を伝えていいものか迷いがある。
母の認知障害はまだ家族以外の人にはわかりづらいからだ。
母の友人Kさんは私も子どもの頃から知っている。
ファッションも考え方もアバンギャルドな方だ。
着物をお召しになることも多く、
着物をリメイクした洋服も好んでいらした。
中森明菜のデザイア以前にデザイアだったと記憶している。
私が大学生の時、Kさんに言われたことがある。
「今、いっぱい恋愛してね。
私思いますねん。
私、おんなじ夫の子ども3人も産んでねぇ。
一度きりの人生やから、
ひとりは黒人系、ひとりは白人系、もうひとりは、家守れとか言われるやろから日本の人の子、純血種言いますんやろか。
それで3人でもよかったなあって。
3回出産するの、一緒ですやん。
若いときはね、いろんな人とおつきあいしたほうがよろしいわ。」
忘れられない。
おばちゃん独特やなぁと笑うしかなかった。
そんな頃から多様性を睨んでいらしたのか。
Kさんには継ぐべき、守るべき家(伝統を含む)があり、アバンギャルドでありながらもご自分が願う自由の理想と現実には大きな隔たりがあったのかもしれない。
貴重なアドバイスだったが、私には多様性を担う度胸はなかった。
Kさんが母のいないところで父に言ったそうだ。
「なっちゃん(母のこと)、
目つきが変わらはった。
前はもっと鋭かった。」
そうか。そうなんだな。
人の目を通して知る母の現在地。
Kさんはリフレインする母の話に付き合い、そして父をおおいに励まして帰っていったそうだ。
ありがたいことだ。
父も母について気楽に話せてよかったみたい。
「毎日夫婦漫才や。アイツのツッコミだけは鋭いねん。」
おかげさまで今日も元気。
アバンギャルドなコンビを目指してほしい。