意識の所有者と意識という「所有」

私的所有批判は社会主義の常套句であった。実在の所有形態から退けば、所有意識に対する無意識、もっと縮減すれば自己身体の所有意識にたいする無意識の非所有、いわば所有=意識、非所有=無意識、共有=?であるが、意識の合算としての共有ではなく、無意識の世界の共有としての非意識とでも言うべきか。

欲望は社会に構造化されている。性的主体は生物的に正当化されるが、私的な筈の関係が公的に婚姻形態として社会的に表明される。バタイユ的に言えば過剰の蕩尽だが、単に発情期の人為化といえる。生物的に言えば生殖の拒絶が少子化を生むとして、性欲に釣り上げられたブリーディングのように少子化対策が殺伐と語られる。

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