震災後の風景

 ロシア革命後わずか数年にわたるレーニンのソビエトについての演説は、日本の東日本大震災後のさまざまなボランティア組織について感じたような希望と期待(不適当な言葉だが語彙がみつからない)を感じさせる。使命と大義、熱情と活動があり、通常の社会的ヒエラルキーをめぐる儀礼は後回し(自己紹介だけで時間がつぶれてしまうという不手際は多々あったが)あるいは既存の秩序の再確認にすぎない無意味な儀礼もまったくなかったわけでなかったが総じて規則的に動いていたように感じた。(それは他力本願的な願望だったのかも知れないが)しかし主観によると政治的分断がはじめは反原発によっておこり、次々と既存の分割線が蘇って通常にもどった。これは時間軸的には阪神大震災のときからそうだったという人もあれば、そうだとすると阪神大震災(および地下鉄サリン事件)から東日本大震災まで16年、さらに現在まで14年の間をどう考えるかが問題となる。レーニン全集47のうちの29までで革命後2年、戦争からの部分的脱出と継続のなかでまだ希望を述べ続け、全国新聞を発刊しロシア社会民主党を結成しようとしていた1905年の革命前の『何をなすべきか』のあたりで協同組合を資本主義的として批判的に見ていたのと違って協同組合を通じて、それと妥協して生産と消費の分配を統制しようとする。この後大体上に述べたボランティアその他でもそうだが、新たな改革への意志は反動にあい停滞してゆく(個人の心のなかで)という見通しがたつ。ジジェクがレーニン主義者であるように停滞の心理的根拠はあり、新たな施策といわれるものの杜撰さや大雑把さ、中身の無さとは別に(それらを逆に活用する人材はあるだろう)心理的停滞が問題になり現実に対する多元的解釈が恣意的となり手がかりを失う過程は必然的にある。現代社会を的確に捉えるときに二元的階級規定が大雑把すぎて自己言及的にも杜撰だとしても、現実と非現実、想像力と妄想の区別がつかない状態を的確に表す言葉がなかなか見つからない。
 吉本隆明のレーニン論『重層的な非決定へ(政治的なんてものはない:埴谷雄高氏への私信』では、レーニンの哲学ノート中のヘーゲルの読みを、図式の実体化と弁証法的な相対的認識と分離して、後者からレーニンが捨てた「天」「神」「絶対者」「純粋理念」を「自然哲学の概念」「すべての概念の終焉」として変換して取り出せるとしているのだが、これは結局吉本は「非知」「世界視線」として吉本隆明が転移したことをわたしっちは知ってる。資本主義の死というテーマで吉本は世界視線という無限遠点からの逆視線をとりだしたが、資本主義が無意識の制度だとすれば死も予期できないものであり、ハイ・イメージ論は死後の世界からの逆視線ではあるが現在との断絶は覆えないものである。
 人間の精神は他者の身体のイメージを含み、その自己身体とのギャップが言語をうむ。集合的精神とは集団、必ずしも仲間でも知り合いでもなく群衆としての集団であっても良い。現状で人間は無意識に他人の身体との主に視覚的差異と言語によるその調整で集団的紐帯を作っている。それがどのように変換されて現実を構成しているかが問題となる。

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