ChatGPTが浸透した未来における人間の価値とは①
こんにちは、ChatGPT、AutoGPTなど、毎日新たなサービスがローンチされており、全く追いつけていない状況です。
最近考えるのは、何の職業が残るか、淘汰されるか、以上に、人間のアイデンティティについてです。
まとまりのない文章ですが、少し、自分が考えたことを記せればと思います。
①エリート男性の更年期・精神疾患の悪化
ChatGPTを起点とする生成系AIが発達・浸透し続けると、専門知識・情報の整理で価値を出していたエリート層の存在価値が失われていくと予想されます。
何処かの論文にもありましたが、平均収入の高い職種ほど代替されやすい、と。
医師や弁護士、会計士、バンカー、外資コンサルタント、外資マーケ―ターなど、いわゆるエリートがアイデンティティを保てていたのは、
自分より下の階層が、エリート階級を脅かす恐れがなかった、からなのだと思います。
(フランスの学者デュボアの言う、”悪意”)
エリートのの権威は、専門教育や資格、特定校の卒業、といった
特権的身分×その人数制限
によって脅かされることがなかったため、一度その身分につけば、そのエリート階層内での競争はあるものの、おちぶれることはめったになかったはずです。
何かできる、知っている、というDoingが、いわゆるエリートの存在価値であり、自信の源でした。
しかし、このDoingの価値は、ChatGPTの出現によって、
その知識は、どこまで行っても、AIに勝てない段階を既に迎えつつあります。
もちろん、素人がChatGPTを駆使しても、彼らの知識体系には勝てないでしょう。あくまで、その場しのぎの知識の後付になってしまうからです。
しかし、エリートもまた、ChatGPTには勝てない未来が迫っています。
人より優っている、という偏差値的感覚に立脚したアイデンティティは、おそらく想像以上にもろいのだと思われます。
知識や文章力含めて、どこまでやってもChatGPTに勝てなくなると、
そのアイデンティティは見事に崩れてしまう。
おそらくそうした事態を迎えたタイミングで、
「患者のため、民主主義のため、正義のため、クライアントのため」と声高に叫ぶエリート層が登場します。
おそらくそうした、職業意識、とか、使命、みたいな本が書店にあふれるのか。
あるいは、かつての有名経営者の本や、孫子の兵法のような本が人気を博すのか。
日本では、Being(=何ができるか、ではなく、何者であり続けるか)に関する教育がなされていないため、”偏差値”という価値観を脱した自己アイデンティティの構築が難しいように思えます。
おそらく近い将来、自分の知識に自己アイデンティティを見出だしていた方は、そのDoingの価値全てがAIには勝てない現実に直面するため、
更年期・精神病を悪化させるのかもしれません。
(しかしそうした病の相談相手が、自分のアイデンティティをうばったAIになる可能性が高いのも、皮肉なことです。)
奇しくもIR構想なども上がっているため、賭博のようなものが彼らの救いになるのかもしれません。
いわゆる特権階級であったエリート界にChatGPTが競争原理をもたらすため、人当たりの良さ含めて、サービス水準が向上するならありがたい話です。
②人間の価値としての、身体を介した技巧
AI開発でフレーム問題が叫ばれた段階で、人間の価値は身体、という議論はありましたが、
改めて、人間の価値は、体=実態があること、なのだ感じます。
デジタルに還元されるもの、デスクワークで完結するものーーー
パソコンで打つ小説、パワーポイントの資料、デジタルアート、ライブチャット、写真集、研究論文の収集などのようなーーー
デジタル媒体が最終出力になるものは、ChatGPTが人間を代替する、いや、優に超えてしまう領域です。
一方(ロボット技術とAIの連携がスムーズに言ったとしても)、
人間の身体を介した技巧は、それ自体に尊さを感じます。
ボルトの走りやメッシのドリブルには、多くの人の心を動かすパワーがあります。
おそらく、人間の極致、というトランス状態に感動を覚えるのかもしれません。
(というか、スポーツ、パフォーミングアーツは、自動車などが開発されても生き残ってきた、先駆者、なのだと思います。)
その点、
手書きの原稿や彫刻、演劇、輪島塗の職人、スポーツ選手、観察に主眼を置くサービスデザイナー、部族と生活を共にする文化人類学者、実証心理学者、認知行動療法を生業とする医師、外科医あたりはやはり人間としての意味をなすものなのかもしれません。
あとは、おもてなし=人肌こそが重要な世界も残るのでしょう。
案外、お笑い芸人による司会や、キャビンアテンダントや旅館の女将などは、代替できないのかもしれません。
(コストが安いから、ロボットに代替される順位が低い、という話は置いておいて)
いずれにせよ、大谷翔平選手や明石屋さんまさんは、どの世界戦に行ったとしても、現人神なのでしょう。
続きとしては、以下を書いていこうと思っています。
③学びにおける”場”の価値の変容
④0から1とか、創造とか、考える力、といったバズワードの意味のなさ