安全な不自由
医療と介護の現場では安全が重要です。
特に病院や施設では、「危ない」ことを避けなければいけません。
一人で歩くこと、一人でトイレに行くこと、一人でお菓子を食べること。
危ないことは避けるか、見守りのもと行います。
病院や施設ではナースコールを押して、介護者を呼ぶことを求められます。
大腿骨頸部骨折などで入院をすると、手術をして経過に合わせてリハビリを行います。
リハビリとは、元の能力を取り戻すこと。
足が動かせないとか歩けない状態では、いかに歩けるようになるか、回復のための機能訓練が行われます。
しかし入院期間は限られていて、期間までに退院しないといけません。
機能が十分回復していない状態でも、期限になれば病院を出ます。
選べる時には転院や施設に移ることもありますが。
歩行状態が不十分なままでは病院内を自由に動くことはできません。
リハビリ以外はベッド上で安静にしています。
時にはベッドを柵で囲まれ、降りることはできない状態で過ごします。
そんな状態のまま退院が決まった人に対して、退院前の自宅訪問調査がありました。
家の状況を確認し、どのように過ごすかを話し合うカンファレンスです。
そこで、担当してくれた理学療法士の方から、
「この家の環境では、在宅生活は危険ですね。車椅子を使うことを考えてください。廊下の段差にもスロープが必要ですね。」
なるほど。確かに危険が多い家でした。
転倒のリスクは至る所にあるでしょう。
しかしそれが家での暮らしです。
そこで生活を続けてきました。これからもそこで暮らしていきます。
その時の理学療法士さんのご提案は、その通りなのですが、少しモヤモヤしてしまいました。
歩くこと、もしくは移動能力を高めるためにリハビリをしてきました。
継続は力です。続けることで能力が向上します。
車椅子を家で使い出しては、歩くことを放棄するような。
歩けていた人が歩けなくなることは、とても不自由です。
四肢の欠損などの事情があれば、当然、代替案を提案します。
手すりの設置や段差の解消など環境対策も考えます。
でも、能力の向上が見込める人に「車椅子」の提案とは。
転びそうな人をベッド上4点柵で囲い込んで安全に管理しているのと同じ発想では、と思えてしまいます。
後日その人はよろよろしながらも自宅内を歩き回って暮らした結果、、、
何とか無事に、元気に暮らしています。
まだよろよろしてはいますが、「よろよろ安定」しています。
これでいいかどうかはわかりません。
ただ、家の暮らしは続いています。
近隣のショッピングセンターでは違法駐輪が蔓延り、通路が自転車で塞がれてしまったところがありました。
駐輪禁止の張り紙と三角コーンとポールを駆使して囲いを作った結果、
見事に違法駐輪がなくなりました。(もちろん対策はそれだけではなかったでしょうけど)
通路はポールで囲まれた間を抜けるところだけ通れるようになり、くつろぐためのベンチも柵に囲われ使い勝手が不自由になってしまいました。
景観も、別の意味で悪くなってしまった。
状況は違うのですが囲うという対策に、同じ安全な不自由を見た気がしました。