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【仕事】「置かれた場所で咲きなさい」はうそ?
若い頃、研修でよく言われた言葉。
そして、ベテランの先輩先生たちにも言われたことがある。
アラフォー世代、中堅教員になった今、この言葉を言われることは一切なくなった。
もちろん、ベストセラーになった例の本のタイトルであることは知っている。
読むことを勧められたし、書店でも店頭の一番目立つところに平積みされていた。でも、読まなかった。
月刊売上1位の文字を見たけれど、読まなかった。
きっと、その言葉が持つメッセージを素直に受け止められなかったから。
不公平感を抱いていたから。
なんで私だけ?っていう猜疑心が拭えなかったから。
当時の人事システムは、結構理不尽だった。
同じ教科の同期採用が13名。
そのうちの2名が進学校、2名が中堅校へ赴任した。
研修で顔合わせをしたとき、その選ばれし者たちに対し、とてつもない嫉妬心が自分の中でむくむくと大きくなっていくのを感じて、表情に出さないようにするのが必死だった。
「ほんと、もう授業の予習が大変で~」
「意外と勉強できない生徒が多くて~」
はぁ?
黙りなさいよ、って正直思ってた。
勉強する姿勢があるだけ、恵まれているってことに気づけ、と。
自分って性格悪かったんだなって、そこにも葛藤したけど、どうしようもなかった。
くじ引きで見事「アタリ」を引いた4名を除き、その他9名はどこに配属されたのかと言うと。
いわゆる、課題を抱えた生徒が多い学校への配置だった。
私はこのカテゴリに属した。
せめてもの救いは、こちら側がマジョリティだったこと。
4名の同期たちは、日を追うごとに自分たちの環境が相対的に「良い」ということを察したようで、彼らなりの「愚痴」は言わなくなった。
愚痴のレベルが違うと感じたようだった。
当時、私たちのような「大変な」配置組は、ピンと張られた細い糸を決して切らさないように、研修の後はファミレスがカフェに立ち寄って、愚痴が愚痴にならないように建設的な議論を交わした。
どうすればもっとうまくできるか、どう動けば生徒たちが成長するか、他の先生たちにどのようなサポートをお願いするか・・・
「ハズレくじではなかったよね」という認識をしたくなかった。
弱音を吐きたかったけど、同期が頑張っているのに、吐けなかった。
きっとみんな同じ気持ちだったはず。
授業開始のチャイムが鳴っても、全員が着席するまでに10分以上かかる現実。
雑巾を乾かす用にホームセンターで購入した雑巾掛けスタンドは、翌朝教室に行ったら、バキバキに壊されていた。
さすがに絶望した。
そしてその翌日には、黒板に描かれた私を馬鹿にするカラフルな言葉たちが目に飛び込んできた。
仕事を辞めたくなった。
20代の若手教師に生徒がどういう目を向けていたのか、これらの行動を通して瞬時に理解した。
この先、どうしていこうかと。
彼らにとって、私って何?
そういう状況において、
「置かれた場所で咲きなさい」って言われてみたとしても、全く沁みなかった。
他人のことだから言えるんでしょ、って。
同じ給与をいただいていても、アタリくじを引いた彼らと私たちとでは、全然違う世界が目の前に広がっている。
ガチャ、ってこういうときに使う言葉なんじゃないかって。
「私、なんで先生になったんだっけ。」
・
・
・
数ヶ月後、この感情がひっくり返ることになる。
愛に飢えた生徒たちは、一度こちらと信頼関係を結んだら信服してくれる。
寄ってくる。
「センセ、センセ!」と呼ぶ声。
ある先生が私の状態を形容してこう言った。
「砂糖に群がる蟻たちだね、奴らは」って。
うん、そうかも。
身長150cm台の私を取り巻く図体のでかい男子たち。
周りから見たら、中に私がいるとは思えないくらい群がっていた。
こうなるまでにどんな作戦が必要だったか。
作戦は、必要なかった。
教師1年目の私に、戦術なんて持ち合わせてなかった。
スキルもないし、ベテランの先生たちと同じようにできないことくらい早々と悟ってた。
少しでも偉そうに振る舞えば、生徒たちにそっぽ向かれることも容易に理解した。
だから、とにかく愛情を注いだ。
絶対に裏切らないという姿勢を見せた。
ただ、それだけ。
最初の頃の生徒たちの行動は、私を試していたんだと思う。
「この人は、俺たちのことを見捨てるのか否か」って。
そういう課題の多い学校だったから、決して自分が受けてきたような授業はできなかったし、教科指導は「楽しい学び」重視だったけれど、彼らと過ごした時間は本当に愛おしかった。
そこで得られたことは、「今の自分」を作っている。
彼らとの時間が、「今の自分」を作ってくれた。
彼らが、「私」を作ってくれた。
そして、本気で反省している。
決してハズレではなかったと。
初任で配属されたその学校で、私はいつの間にか、根を張り始めていた。
水をやり、肥料を与え、思いっきり日光を浴びて、花を咲かす準備を始めていた。
いや、大変だったよ。
日付が変わる頃に帰ったことも何度もあったし、家庭訪問でドラマみたいな修羅場を目撃することもあった。
警察官とは何度も顔を合わせたし、救急車にも付き添いで乗った。
人の血を見ることにも慣れた。
でも、だから何って話。
これは現実だし、小説の中のフィクションではない。
そういう中で、私はたくましさをも身につけた。
今でも当時の生徒たちとは親交があるし、私の誕生日に連絡をくれる子だっている。
私なんかよりいっぱいお給料をもらう子は、当時のお礼だと、ボーナスのときに食事に誘ってくれる(面目ない!)。
これ、アタリくじ引いたよね。
ふと蘇ってきて、この気持ちを記録してみた。
「置かれた場所で咲きなさい」は、うそではなかったようで。
かれこれ、15年前の話。
新しい環境に身を置いたとき、
「我慢しなきゃ」とか「忍耐こそ全て」みたいな考え方が一番に出てきやすいし、
それとセットで「石の上にも三年」という諺まであるもんだから、
日本人的気質も相まって、大切なことの本質を誤って認識しやすい気がする。
私の場合は、
「この場で花を咲かせるぞ!」的な意気込みは決してなくて、
どちらかと言うと、
目の前にあることを淡々と、着々と行っただけな気がする。
誠実に、実直に。
そして人が相手の仕事だから、愛情は不可欠だなと気づけたことも大きい。
環境を色めがねで見てはいけない。
めがねを外して、まっすぐな気持ちで見てみる。
あれこれ理由づけをしない。
こういう考え方ができたことも良かった。
たいろーさんが、タイムリーにこれと親和性の高い話をなさっていたので貼っておく。
GW明けました。
気を引き締めて、雨天の火曜日。
では、また!