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2024寮祭企画シネマ上映『空を飛ぶ』④

自分は一昨日のエクストリーム帰寮にも参加したため、間を開けない徹夜はきつい。何とかオールナイト上映をやり切ったがもう歳だ。

4作目は『銀河鉄道の夜』でした。

『林檎あるいは苹果とは何ともよい果物である。丸くて真っ赤なりんごを掌に包めば何となく心が温かくなるし、軸の深みからどれだけ胸に吸い込んでも飽き足りないような甘酸っぱい香りを放つ。齧るときの音も良い。東北で教師をしていた宮沢賢治ならば、寒冷な気候の中で赤く染まった子どもらの頬を想起したのではないかと思う。

  「こんなやみよののはらのなかをゆくときは
   客車のまどはみんな水族館の窓になる
 (乾いたでんしんばしらの列が
せはしく遷つてゐるらしい
 きしやは銀河系の玲瓏れいろうレンズ
   巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
  りんごのなかをはしつてゐる」

 少年ジョバンニが気が付くと銀河鉄道に乗っていて、すぐ目の前に濡れた様にまっ黒な上着を着た親友のカムパネルラを見つける。実はカムパネルラは川に落ちた学友を助けて自らは死んでしまった、その魂が天翔けてゆくために乗った列車に、生身のはずのジョバンニも座っているのである。そうして列車は銀河へと旅立つ。
 乗り合わせる乗客は燈台守や、鳥捕りだの幼い姉弟とその家庭教師だのがいる。ジョバンニは鳥捕りの不思議な話を内心では馬鹿にして信じないままに、彼の捕まえた鳥を食べる。そのことに申し訳なさを覚えて、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、彼の持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分が代わりになって百年続けて鳥を捕ってやってもいいとさえ思う。鳥は輝いていて、チョコレートよりもずっと美味しい。
 家庭教師の青年は姉弟と共に船に乗っていた。しかし氷山に当たって船が沈んでしまい、ボートが足りないことを知る。彼はジョバンニ達に、他の子どもやその父母を押しのけてまで子どもらを助けるよりは運命に従う方がほんとうに姉弟の幸福だろうと思ったのだと話す。
 ほんとうのさいわいのためにならばわが身をも引き換えにせねばならないと宮沢賢治は言うのだ。たとえ誰にもその悲壮なまでの決意が理解されず、皆にでくのぼうと呼ばれ褒められもせず苦にもされないとしても、どこへ行くともわからないその方向をどの種類の世界へ入るともしれないその道をたったひとりでさびしくあるいて行かなくてはならない。
やがて燈台守がどこからともなく黄金と紅に輝くりんごを取り出してくる。それは愛による死を自ら選択した者への神様からの、あるいは蠍の心臓に火が宿ったように各人の心がひとりでに生み出したご褒美である。自分の献身を誰も知らなくて良いという謙虚さへの報いとして、りんごというのは確かにぴったりの慎ましさである。

 でも、ただ自分だけが知っていれば良い、心の内にりんごを静かに抱いていれば良い。本当にそうなれるだろうか。だって苦しい。顔も知らない誰かや人類のため、一瞬ぐらいなら感激してそう思えもしようが、遠くにいたその誰かが少しでも自分の近くに来て、しかも何の承認も尊重も示してくれないなら、すぐにこちらの自尊心や自由を圧迫して憎らしくなってしまうのではないか。こんな風に万人に心を開き続け、あらゆる物事を胸で受け止めるのは本当に苦しくて心臓から血が噴き出すことだろう。私にはできまい。
 一方で誰かのために無私に命を差し出すというのは、貰った側にも激しい苦痛を与えることである。目の前で誰かが自分のためにわが身をなげうつのを見てしまえば、ずっと目の裏に焼き付いて離れないだろう。「銀河鉄道の夜」も、宮沢賢治が心臓から取り出して我々に投げかけてきたものであるゆえに、我々もまた自分の善くあれなさを突きつけられて苦しくなるというような贈り物なのである。』


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