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小栗の椿 会津の雪⑮

第4章 城下③
 
 
「鳥羽伏見の戦で、銃の重要性を漸く痛感しました。十年も前に進言したことがやっと理解されたが、如何せん遅すぎた。ここには旧式の銃しかなく、それを十分に操るだけの兵も足りません。銃は足軽が持つものという古い考えが未だにあります」
 川崎尚之助は冷静な口調で、それでいて熱心に銀十郎に訴えた。
「無礼を承知で申し上げますが、三国峠でもそれは感じました。敵はこちらよりも射程距離の長い銃を持っています。もっと敵を引き付ける策を練るべきでした。それに、会津のお侍様は剣や槍に自信を持ちすぎている。……悌次郎殿の前ではああ言いましたが、鉄砲隊の目前を槍一本で突っ込んでは敵うはずもありません」
 銀十郎が断ずると、尚之助の端整な顔立ちが、微かに歪む。
「頑固で時代遅れだ。ここに住む人達の実直さは感心するが、時々苛立つこともある」
 その投げやりな言い方に、銀十郎は戸惑った様子だった。
「川崎様は、会津の方ではないのですか?」
「私はもともと南の方の生まれでね。八重の兄覚馬殿を頼り、ここに居候していたんだ」
「それで……」
 銀十郎は納得して首を縦に振った。
「敵兵の銃の飛距離はどれくらいですか」
「おそらくは、ゲべールやミニエーよりはるかに長いです。なぜなら……」
 銀十郎と尚之助が銃について語り出すと止まらない。さいには、異国の言葉を聞いている様だった。
「ごめんなさい。旦那様を長い間お借りして」
 縁側で腰をかけているさいが退屈していると思ったのか、八重が話しかけてきた。
「いいえ。……それに夫ではないんです」
「あら。そうだったの?」
 八重が意外そうな顔をした。
「幼なじみで、兄みたいな人です。……私には、上州の村に夫がおります」
 言い訳の様だと感じ、誰に言い訳をしているのだろうかと、一瞬戸惑った。『妹だなんて思ってねえ』と言われたあの夜のことは、夢だったのではないかとも思う。
「八重様は、銃にお詳しいのですね」
「私には、これしかないのですよ。いいものをお見せします」
 八重は、銃を持って来てにこりと笑った。
「その銃は……?」
「スペンサー銃です。いざ籠城となれば、私はこの銃で戦うつもりです」
「すごい。これをどこで手にしたのですか」
 銀十郎は子供の様に目を輝かせて、最新式の銃の構造や撃ち方を教わった。
 さいは、ぼんやりと銀十郎を見つめていた。大層な銃の腕前というのも嘘ではなかった。銀十郎が銃を構える姿を美しいと思った。それが人を殺す道具だということが、少しも結びつかない。
 さいの知らない銀十郎の一面を、不思議な思いで眺めていた。
 
                 ◆
 
「長居をして、悪かった」
 風呂敷包みを両手に持った銀十郎が、気まずそうに詫びた。
「あんなおしゃべりな銀ちゃん、初めて見た」
 意地悪な言い方になったのは、どこか取り残された寂しさがあったからかもしれない。
「何度先に帰ろうと思ったか」
「だって、おまえ……」
「はい、はい。一人でふらふらするな、でしょう?」
 逃避行の最中、耳にした言葉をここでも聞くとは思わなかった。敵に追われているわけでもない。会津の人は、規律正しく、みな親切だ。
 幼なじみの心配が煩わしいと感じる反面、変にくすぐったくもある。
「しかし、これ、何の荷物だ? 普通これを一人で運ぶか?」
 銀十郎が風呂敷包みを大げさに持ち上げた。
「襁褓よ。西郷様のお屋敷でいただいたの」
「西郷って、家老の西郷頼母様か?」
「ええ。お会いしたのは、奥様だったけれど。先日お悔やみにいらっしゃって、その時に、もう使わない襁褓があるからどうかって」
「そうか。西郷様は、横山様と共に白河で戦っていた。それで気にかけて下さるのだろう」
 銀十郎が遠くの山を見る様に目を細めた。暑かった昼間とは違い穏やかな風が吹いてくる。蝉しぐれも心なしか優しい。
「それにしても、誰か連れて行けばいいだろうに」
「光ちゃんも一緒だったのよ。でも、いただいたお礼に薪割をするって言うから、先に戻ろうとしたのよ。早く帰って襁褓や肌着を縫おうと思ったんだもの」
「……遅くなって、悪かった」
 もう一度、銀十郎が気まずそうに口にした。
「本当。こんなことなら、光ちゃんの薪割が終わるのを待っていた方が余程早かったわ」
 ふふふと声を立ててさいは笑った。
 隣で銀十郎が笑う様に息を吐いた。二人きりで話をして笑い合うのは、久しぶりだった。
「もうすぐ殿の忘れ形見の顔が見られるな」
 銀十郎がぽつりと言った。
「うん。漸く乳母としてお役に立てそう」
 奥方を横山家老の屋敷までお連れすることができた。男達は無事護衛の役目を果たしたのに対し、さいの役目は、ここからが本番だ。
「ねえ。銀ちゃん達は、村へ帰るの?」
「……そうだなあ」
 ずっと気になっていたことを尋ねると、銀十郎は空を見上げた。その先に、美しい天守閣がそびえる。
「横山家老の世継ぎは幼い。いつまで横山の屋敷にいられるかわからんし、会津もこれからどうなるのか……」
「会津は、危ないの?」
 銀十郎の口調があまりにも真剣で、さいはその横顔を見つめた。
「……なあに、いざとなれば、俺達が国境に出て戦うさ。殿の忘れ形見を危ない目に合わせてなるものか」
 唇の端に笑みを浮かべて、銀十郎は言った。
 銀十郎は再び戦場に出るつもりなのか。十数人の歩兵で敵と戦うことなどできるのか。不安が波の様に押し寄せてくる。
「さいちゃんを置いて帰りはしねえよ」
 銀十郎がまっすぐ前を向いてつぶやく。
 それは、独り言の様な響きだったので、さいは返事をすることができなかった。微かに俯くと、目の下がひりひりと熱を帯びる。
 どこかで線香の匂いがする。蝉しぐれだけがいつまでも鳴りやまない。
    国境で、この城を落とそうと敵が迫っていることなど信じられない程、静かな初夏の夕暮れだった。
 
 
                 ◆
 
 
 翌日、川崎尚之介が銀十郎を訪ねてきた。
「白虎隊に、銃の稽古をつけて欲しいとお願いした件ですが」
 一瞬言いづらそうに視線を彷徨わせ、尚之介は意を決した様に言葉を継いだ。
「上にかけ合いましたが、理解されませんでした。士中隊には、もっと身分の高い師がいると……」
「そうですか」
 銀十郎は驚かなかった。
 白虎隊には、身分に応じて士中隊、寄合隊、足軽隊があるという。昨日の悌次郎は、白虎隊士中二番隊だ。
「銃の腕前もすばらしく、陸軍所でフランス式の歩兵術も身に着けている。何よりも、実戦を経験して、西軍の銃の性能のこともわかっている。若い隊士の師としては、佐藤殿は適任だと申し上げたのですか……」
「いえ。いいんです」
 尚之介が語気を強めるのを、銀十郎は宥める様に言った。小栗上野介の家来とは言え、元は農民の出身だ。
「こういうところが、会津の頭の固いところだ。長州の奇兵隊などは、身分関係なく組み入れ、恐ろしいほどの強さを誇るというのに……。若い隊士達にも、会津の考えが古いと知るいい機会だと思ったのです」
 川崎はそう言って、悔しさをにじませた。
 他藩でありながら、ここで何とかしようともがいている尚之介を、銀十郎は嫌いになれなかった。
「川崎様。腕が鈍らぬ様、われわれもどこかの隊の訓練に加えてはもらえませんか。足軽隊でも農兵でもかまいません」
「……なるほど。歩兵術を身に着けた方が手本となるなら、訓練もはかどるだろう。是非に」
 尚之介は律儀に頭を下げ、暗い声色で続けた。
「それにあの子達が、……白虎隊士中隊が出陣なんてことがあれば、会津は終わりです」
 藩の行く末を担う家禄の高い家臣の子息達が、次々と討死することなどあれば、確かにこの国の未来はないのかもしれない。
 少し前に奥羽越列藩同盟が成立した。東北越後の三十一もの諸藩が会津の味方になり、新政府軍と敵対する。越後では、長岡藩の河井継之助がガトリング砲を駆使し、敵軍を食い止めている。奪われた白河城の奪還は未だ果たされていない。
 戦況は不透明だったが、会津の国境は徐々に追いつめられていた。
 
 
                ◆
 
 
 夏の盛り、小柄な奥方のお腹ははち切れんばかりになった頃、西郷家からつかいがやって来た。
「野戦病院ですか?」
「はい。城下から二里ほど南に、軽傷の負傷兵を移しております。日新館では入りきらなくなってきましたし、万が一に備えてです」
「そんなに、戦況はよろしくないのですか」
 障子一枚隔てた縁側で控えていたさいは、三左衛門の声に緊張が混ざるのを聞きとった。
「主は、その様に考えております。白河城では、我が主の失策という風に言われておりますが、武力の差は如何ともし難い。それが証拠に白河城奪還の試みは何度も失敗に終わっています。越後でも、長岡が踏ん張っておりますが、どこまで持ちますか」
「筆頭家老をされていた方さえ、城下に敵が攻めてくることもお考えなのですね」
「そう考えるのは、少数派です。城内の家老達は、国境で敵を迎え撃てばよいという考えで、万が一に備え籠城の仕度を言い出す者は、臆病者と罵られる有様です」
 老いた家臣の声が悔しそうに震えた。
「京都守護職就任にも強固に反対を主張したおかげで、役職も罷免されておりました。鳥羽伏見の敗戦の後、再び借り出されたと思えばこの様なことで、奥様の苦労も絶えませぬ」
 京都の治安を守るために、幕府が会津に京都守護職を命じた。職を忠実に全うした会津の人々は長州の恨みを買い、江戸城を無血開城した後も、標的とされてしまった。
 さいは、西郷家老の奥方を思い出した。
 美しく気高い方だという印象だった。『もう使わぬゆえ』と凛とした笑みをたたえ、たくさんの襁褓を用意してくれた。年頃の娘が、幼い妹と手をつないでいるのを見かけた。
    いただいた新しい麻の葉模様の木綿で、さいは肌着を縫ったばかりだ。
「街道から奥まっており、護衛の兵も付きます。落ち着いてご出産に臨めるのではと」
「御家老様のご配慮、ありがたいことで」
 三左衛門が深く低頭した気配がした。
 
 
                 ◆
 
 
 下野街道を城下町から二里ほど下ったところにある南原の野戦病院は、廃寺を利用したものだった。奥方、母堂、よきに、三左衛門とさい、兼五郎、房吉、光五郎が付き添う。
「静かで、よいところですね」
 臨月の腹をさすりながら、駕籠を降りた奥方は、緑の濃い山々に囲まれた様子に、ほっとした様な顔をした。
 寺の本堂に十数名の負傷者が収容されていたが、比較的軽傷の者が多かった。医師が三日に一度やって来て治療を施しているという。その他に、護衛の兵や煮炊きをする中間がいたが、みな腰の曲がった老人だった。
 奥方様達には、庫裏をあてがわれていた。台所に囲炉裏のある板間、畳の和室と納戸があり、畳や障子は新しい物に変えられている。
「宗右衛門でごぜえます。何でもお申し付けくだせえ」
 南原村の名主宗右衛門が出迎え、奥方が奥の間に入り一息つく。時々軽い張りがある様で、産気づくのも間もなくという気がした。
 裏口から出て林を進むとすぐに小川があった。山が近く、蝉の音が大きく聞こえる。もうすっかり夏の気配だった。
「さい。見て! 大きい!」
 光五郎が罠を作って捕まえた岩魚を、よきが手掴みで見せた。
「今夜はご馳走が食べられそうね」
「よき様。逃げられちまうから、早くここへ」
 今にも落っこちそうな岩魚を心配して、光五郎が桶を差し出した。
 無邪気に笑うよきを、さいは薪を拾いながら、少し離れたところで見守っていた。初めて会った時は深窓のお姫様という雰囲気だったよきは、お勝手仕事を手伝い、縫い物を習い、外で子供の様にはしゃぐことを覚えた。
 伸びやかなよきの成長を、さいは眩しい思いで見守った。
「いいところだな。魚は獲れるし、静かだし」
 薪を集めていた兼五郎が声をかけた。
「本当に。ここでなら安心して出産に臨んでいただけそうね」
「そうだな。……そうだ。これ」
 兼五郎が懐に手を入れ、何かを取り出した。紺色の巾着袋。見覚えがあった。
「これを、どこで?」
 受け取って、兼五郎の顔を見た。日に焼けた顔が優しい表情に変わる。
「路銀調達に村に帰って、でも、そんな余裕はこの村にはどこにもねえって断られた時に、噂で聞いたんだよ。小栗の殿様は、井戸に金を隠しているって」
「井戸?」
「ああ。嘘だと思ったが、他に頼るところもねえんで、小栗様の屋敷の井戸を覗いてみたんだ。そしたら、二十両が入ったこれがぶら下がっていたってわけよ」
 形も手触りも、さいが作って濤市に渡したものに違いなかった。あの人はいつも煙草をこの中に仕舞い、懐に入れていた。
「やっぱり、濤市さんのか」
 兼五郎が籠を背負い直し、腰を叩く。言葉にならず、こくりとさいは頷いた。
「あの人も、よいじゃあねえな……」
 兼五郎のつぶやきに、同情の色が混じる。
小栗の身柄を引き渡した裏切り者と、藤七を白い目で見る人もいるだろう。濤市はその弟だ。同時に、三左衛門の婿であり、さいの夫だ。罪人を匿った者の身内と責められはしないか。
 文机の前に座り、頭を抱えていた濤市の後姿を思い出した。真面目で誠実な夫は、要領よく立ち回る人ではないのに。
「二十両は、あの人の精一杯だったんだろう」
 兼五郎は独り言の様に静かに口を開いて、そのまま林の方に分け入って行った。
 一人残されたさいは込み上げてくるものを抑え込む様に、巾着を口にあてた。目を閉じ、思い切り息を吸い込むと、夫の匂いがした。


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