見出し画像

幸せとは。

誰でも幸せになることを願いってるでしょ。
そして人ぞれぞれその定義にも違う。

今の自分はなぜという問いばかりで考え続けて
何で幸せになる定義も少し薄くなってきた気がする。

前日久々の日帰り旅行に行ってきた。
お金なんて考えないのは嘘になる。
考えれば忙しくはないのに日帰りで良い
と決断して普通は三日間でちょうど良い
時間なのに、日帰りにして有給を使うことに
抵抗があった!

理由としてホテル検索やその手続き
まだ慣れていない荷物を考えること
自分の都合で考えないといけないことが多い。

その手続きをするめんどすら頑張ったら
きっと幸せになる権利があるじゃないかって
後悔した今。

誰にも思うわない詐欺にあうなんて
なかっただろう!
そういう大失敗してから
後悔な思いが連続で
自分なんて幸せになれる権利があるだろうか。
とずっと考えている。

自分の体験のためにお金を使う躊躇があること
自分だけは幸せになる権利がないと
無意識に考えること
このぐらいでもできない自分は
幸せなんて考えること資格なんてない

落ち込んで自分を責めないと
幸せとかなんての場合ではない。

こんな惨めな自分だし
もっと落ち込んでもっと苦しめて
もっと不幸の方がよっぽど良いだろう
とかどこかで思っている。

でも、なんでそう考えているだろう。
普段のこと
繰り返しの毎日
今現在の自己嫌悪にも

幸せになる権利がないわけないでしょ。
全て無くしたと言って
苦しめないといけない
幸せになることをしちゃうだめ
地獄のような日々を過ごす必要も
ないでしょう!

金銭面に少し苦しいだけで
幸せになることを遠ざけることは
そもそも自分の中に
思い込みだらけではないか!

とか言って去年からそう書いたことがある。


でも、実践できるまでは
何回も失敗繰り返していること。
言われてすぐわる人でもない。
一回失敗してから気づけることも難しい。

成功も失敗も何回か繰り返さないと、
気づくことも薄いだろうか。

世界は理不尽で不平等で残酷。
そういう現実はあるはずだが
どうにか少し自分を幸せに感じる瞬間を
増やさないと生きる意味は薄くなる気がする。

自分にとっての幸せとはなんだろうか。
ただ素敵な人に再会できること
気になる場所へ行けること
好きな本やコーヒーなどを躊躇なく
購入できること
何も考えず睡眠たっぷり取れること
好きな漫画・アニメで会えること
仕事でやったことがないことを挑戦できること
などなど

幸せを感じることは大抵大したことはない。
でもいつの間にか忘れてしまって
その幸せ感が何か曖昧で形で掴めないような
薄々で実感できることはその後の方が
はっきりになる!

あとで考えてみたら
当時は幸せだったなと実感の方が多い。
不幸になってから幸せの形が明確になるような

なので、幸せな瞬間を
運命に任せっぱなしだったが
可能限り意識的に増やしたら
良いではないだろうか。

今日も天気が良さそうだ。
少し体を動かす方が良いかもしれない。




いいなと思ったら応援しよう!