見出し画像

フエの雨季が始まりで考え事。

6時半には朝が覚める。
普段がこの時間でアラームがなっている習慣なのか
外の雨や風の音が大きすぎて起きてしまった。

そうか、フエの雨期のか。
台風や洪水に良くなる季節がやってきたような。

今年、どこにもいかない。
去年は大きな洪水がきた時はハノイでお仕事できた。
全てのことを忘れたぐらい仕事にぼっとした。

短気だからこそ、全力でやろうとした
それでも予想外があまりにも多かった。

ハノイにいた時間、フエが激しく洪水になった
当時の現場のあだ名はベトナム語でフエ洪水というだった。

仕事にぼっとする時間が必要だと思う。
人生で長い旅の中で、
仕事、自分のこと、家族のこと
色々分けているような気がする。

学生の16年間もやってただ稼げるお仕事する
という目的で考えたらなんというおかしい構造だろう。
あまりにも効率が低いでしょ!
なんでそんなに長くて大事な時間で
仕事のことを探すため、お金のためで
好きでもないことをやり続けるでしょう。

と、確かに2年前ぐらい考え始めた偉大なこと。
一人で東京で探求しながら、その疑問がふっと降りてきた。

たまには友人と二人で真剣に硬い話題で
半日も歩きながらディスカッションした。
真面目な子たち。


なんで、こんなに仕事を頑張ろうとするだろう。

今思い出したら、意味があるからだと思う。
自分のことを何も知らず、自分ならできることだから
人に会社に社会に役にたつからだと無意識に思っただろうか。

ただ一緒にやる相手には感謝という気持ちはもちろんなく
むしろ、文句や指摘などがいっぱいくる。

それは何回も繰り返しても心がすぐ落ち込んでしまうんだ。
なぜこんなに仕事に一途なのに
なぜ理解してくれないのだ?という疑問もあった。
「なぜ」がいっぱいだ。


そういう疑問を気づいたのは今
外は風と大雨で雷も出そうな秋の朝。

4年前には承認欲求という定義を知った。
嫌われる勇気も愛読した。
自分で肯定した。
私もただ、やりたいだけだ、
別に誰から認めて欲しいわけでもない。

こんな性格だから、責任を持って
やらないと気が済まないからだ。

でも、そういう姿勢で仕事のためで夢中になった時に
認めてくれないこと、疑われたこと
とてつもなく辛くすぐ落ち込む
自分のことを批判してしまうのだ。
だから、どこかで団体の中にいる評価できる人間からは
認めて欲しいんだ。
その人からの承認が欲しいんだ。


嫌われている
疑われている
認めてくれない。などで気づいたこと
何回も経験しても辛いことだ。

でも、何もできない。
自己認識と他人認識が
必ずしも一致することはないから
あるのは当たり前なことで

他人から判断することは
その人からの経験や知識などで決めるわけで
自分でコントロールできない気がする。

そう!説明ぐらいできるだろうと
若い時には素直に思った。
せめて自分から弁解しないとと思い、
原因、理由や自分の考えも
色々コミュニケーションしたわけだ。

けれど、変わってくれることは
ほとんどない。

私の視点から違うように
その人からみたら勿論違うわけだ。
お互いでお互いのことを変えようとしても
何も変わらない
むしろ、関係が悪化してしまうのだ。


いつか仕事にぼっとできなく
自分の時間もなく、バタバタしてしまう時間。

人生にはどこかであると思っているけど
本音として普通という世間の常識も
経験してみたい。
まあ、できるかどうかそれは別として
今ぼっとしたいことがあるなら
好きでやっていることがあれば
それで色々夢中な時間を作りたい。

他人からの評価で熱意を下がったり上がったりすることも
あると意識しながら、なるべく躊躇しないよう
好きなことを続けていく。

そしておそらくまずは
自分から変わらないと。
全て合わせようとはしないけど

少なとも楽しく意義な仕事だし
一緒にしたいだよ!
と無理やりも押し付けなどもなく
何かの方法で伝えられたら
良いけどな。

いいなと思ったら応援しよう!