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2005年の夏。
僕たちは中体連の福岡県大会に出場しました。
順調に勝ち上がり準々決勝は宿敵。
実は一昨年の新チーム初の公式大会の決勝で当たりPK戦で負けた相手。黄色いチーム。
もう気合いは十分です。
ここまで練習し続けてきた自分に自信もあり、
必ず撃破するつもりで挑みました。
前半開始直後、ハーフライン手前の自陣で得たフリーキックを化け物①CBのキヨさんが大きく蹴り出して、ボールは化け物②ケンタくんのヘディングを経てゴールへ。
開始早々に先制し、これはイケる!勝てる!!
そういう雰囲気がチームには漂っていました。
その後、立て続けに2点目。
更に勝利の機運が高まります。
しかし、
サッカーは2点差で勝ってる時が1番危ないと言われます。
迎えた後半、このまま波に乗るチームは失速。
1点、また1点とすぐさま同点に追いつかれて
試合は2-2で延長戦へ。
延長戦途中、足を攣る選手が続出。
不穏な空気が流れる中、
なんとか守り切りますが得点は奪えずPK戦へ。
1本も止められず最後の味方キッカーが外して敗退。
結果的に僕の本気で全国大会を目指した
最後の夏となりました。
後に僕らを下した黄色いチームが全国大会へ。
もしあの時、勝っていれば・・・
押し寄せる悔しさとここに賭けてきた部分から僕はしばらく何をやってもやる気が起きなくなり、
燃え尽き症候群に陥りました。
練習をしても、友だちの家に遊びに行っても
どこか上の空だった気がします。
ふわふわとした感覚のまま3年生は引退し、
僕らの代の新チームが発足しました。
このままじゃいけないと思い立った僕は
そこで自ら志願してキャプテンを務めることになりました。
僕らの学年は小学校のチームのメンバーがほとんど持ち上がりでそこに中学校からはじめたメンバーが追加される形で構成されていました。
僕は小学生の頃はキャプテンではなく、
別の友だちがチームをまとめていて
当然その人がキャプテンになるという雰囲気でしたが、いざ選ぶ時になり正直なところ僕は自分を変えたい一心だけで手を上げました。
恐らくこの頃の僕は周りからはやや浮いた存在で
一瞬変な空気が流れたことを覚えています。
その浮いていた理由は目指すところが違ったこと、僕は自分から前に出なければ始まらないという価値観でしたが多感な田舎の中学生は出る者を嫌うよな風潮がありました。
僕はその風潮を無視して、自分が1番声を出して、練習する。その姿勢でチームを引っ張っていくこと、そして自分自身を変えることに決めました。
ここから新たな戦いの1年がはじまりました。
つづく。