見出し画像

2005年4月、
中学2年生となった僕は自分を高めることに命を賭けていました。

少し話は逸れますが
僕は勉強を自らの意思でしてきませんでした。

それは自分の頭の中をサッカーに全振りしたことと、昔見たテレビで芸能人が『授業で習ったことは社会に出てほとんど使わない』と言っていたことを鵜呑みにしたからです。

また、高校にはサッカーで進学すると決めていたこともあります。

この頃の成績は

国語・数学・理科・社会・英語

5教科合わせても200点もいけば良い方だったと思います。

文武両道とかクソ喰らえという精神でした🖕

そう言えば小学校1年生の頃、
ひらがなのドリルはスピード重視でやると決めたことから僕は字が汚いという致命傷を負っています。

一切、勉強をしてこなかった僕が
中学2年生の中間テストだけ頑張ることに決めました。

それは、親から『400点以上取ったら欲しいスパイクを買ってあげる』と言われたからです。

スパイクという名の人参をぶら下げられました。
※PUMAのデルムンドだった気がします。

この期間に僕は人が変わったように勉強しまくりました。ドーパミンがドバドバでした。

その結果は5教科で430点?くらいだった気がします。

その時に僕は人間は『欲しいもののためには目の色を変えてやれる。』ということを体感しました。

営業でいうところのインセンティブですね。

そして念願のスパイクを手にした僕は
いよいよ中体連本番に向けて動いていきます。

あくまで主軸はサッカーで期末テストはインセンティブもなく、やる気がなくなり勉強やらなかったのでいつも通りダメダメでした笑

自分は勉強やれば出来ることが分かったのでそれで良し。としました。

僕は2年生の頃のチームはフォワード、トップ下、ボランチ、センターバックと縦のラインにタレントが揃っていました。

特に化け物のようなガタイとキック力の
FWのケンタくんとCBのキヨさん。

化け物を要して
地区大会を次々に勝ち進みました。

そして、炎天下での決勝戦。

敵はタヌキのようなジジイが監督の赤い強豪。

拮抗した試合展開で決着はつかずPK戦へ。

1本目からボールに触れるが止めれない・・・

いつもは冷静な顧問が
すごく熱い言葉を掛けてくる。僕もアガる。

敵のGKと入れ替わる時に目が合って睨み合う。

しかし、止めれない。その後、味方が外す。

結果は4vs5で敗北。

結果は地区大会2位で福岡県大会へ。

悔しくて堪らなかった。
この雪辱を果たすため県大会までの期間は
本当に鬼のように自分を追い込みました。

部活して社会人の練習、オフの日も練習。

必ず全国に行く。それしか頭になかったです。

レギュラーを獲得したことも、
セイイチロウくんへの想いも、
それまでの悔しさも全部乗っかってる。

ここで負けたら何のためにやってきたのか。

よくよく考えてみれば僕の代ではないので、
自分には来年があると考えてみても良さそうですが僕にはその余裕がなかったです。

何より良い人ばかりの先輩たちが大好きでした。

この人たちと勝ち上がりたい。

トレセンとか特待とか進路と自分のことばかり
考えてきた僕の小学校6年生以来の感情。

今に集中している。みんなとならやれる。

次回、福岡県大会について書きます。

いいなと思ったら応援しよう!