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セダンについてねっちり考える・中編

 こともあろうにFIAT 131 ABARTH RALLYの画像をセダン論のイメージカットに使うのか、という向きもあるだろうが、筆者は絶賛ラリージャパンの取材中。こんなに四角くてはっきりとセダンの形をしているクルマが会場に展示してあれば、ちょっと使いたくなるというものだ。

 さて、先週の記事は「セダンが何故売れなくなったのか」というM2号の問いを受けたところで終了している。

 今週の記事はその売れなくなった理由を解説することがゴールなのだけれど。その前に、セダンとは何かというところはそもそも大丈夫なのだろうか。セダンの定義は、当たり前のようでいてそこそこややこしい話なので、たぶん解説しておいた方がいいと思う。


セダンのプロトコル

 セダンとは言うまでもなく車型の分類用語であり、かつプロトコル論である。

 それはつまり言葉通り「社会的に共有された慣行や慣習」という意味でもあるのだが、そういう分類やプロトコルは、概念の世界のものなので、原則は原則としつつも例外も存在するし、線引きには諸説が自然発生し、異論などが挟まれるのは日常茶飯事で、いろいろとわかりにくい。

 さらに言えば、「そんな面倒臭い話はオワコン」とか「小うるさい屁理屈はいらない」という、まあそれなりにもっともなご意見もあり、社会的立ち位置で言えば、マナーと近似の存在。なので、定義に厳格に照らして眉を顰めて見る人もいれば、そんなのどっちでも良い人も存在する。

 とは言え一応は、こういう言葉は共通認識のベースラインでもある。偉い人がちょいちょいスピーチで使う話だが、「プロトコルを知っていつつ適宜自由な逸脱をすることを『型破り』と言い、そもそもプロトコルを知りもせず無法に振る舞うことを『形無し』と言う」。まあセダンの話もそんなものだと思うので、一応の知識として基本は押さえておいたほうがいいと思う次第だ。

 試しにwikipediaでセダンを検索してみると、詰め込める限りの理屈がずらりと並んでおり、否定的な人から見れば屁理屈に見えることも想像に難くない。それはそれでなかなか興味深いので、お暇な方には一読をお勧めする。筆者から見る限り概ね合っていると思うが、ちょっと定かならざる部分もある。そういうバランスも含めてとても「らしいwiki文学」になっている。

主役は人か、それとも荷物か

 さて、乗り物には人を運ぶことがメインの乗用車と、荷物を運ぶことがメインのトラックの仲間の2種類がある。ところが人の移動には荷物が付帯するし、荷物を運ぶについては人足や運転手としての人が付帯する。結局のところ多くのケースで人と荷物は混載になる。

 それでも、人と荷物とどちらが主役なのかはそれなりに大きな差になる。ハードウエアとしてのクルマは無限に大きくはできない。道路の占有面積から言っても限界がある。そのため、荷物を優先した設計をすれば、人はその皺寄せを甘受することになる。人をゲストとして扱うことが優先ならば、客室と貨物室(荷室)は別であるべきであり、同一空間に荷物を置くべきではない。言葉が悪いがいわゆる「味噌も糞も一緒」はゲストに対して礼節を欠く、という話だ。

 なので原則論、つまりプロトコルとしてのセダンは、独立したトランクを持つ、パッセンジャーのためのクルマである。

横から見ると、典型的に2ボックススタイルを採用するオリジナルミニ。ドアの外ヒンジと横スライドのサイドウインドーはMk1の特徴。ちなみにこの個体はモーリスブランド
テールはハッチではなく、独立したトランクリッドを持つ。それゆえオリジナルミニはこんなに小さくてもれっきとしたセダンである

 一般論としては3ボックスボディを持つと考えてよいが、BMCやローバーが作っていたオリジナルのミニは、2BOXボディでも独立したトランクとトランクリッドを備えていた、という意味で言えばセダンである。冒頭のFIAT 131 ABARTH RALLYは2ドアセダンだったりする。

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