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世界は「軽自動車」と日本を再発見しつつある

今年も開催されるジャパンモビリティショー

 「ジャパンモビリティショー(JMS)」が、従来の「東京モーターショー(TMS)」が隔年開催だった前例を破り、昨年(2023年)に続いて今年も開催されることになった。

 ただし、中身そのものは隔年でちょっと変わる。いわゆる表年と裏年とでも言うのだろうか。TMSを受け継ぎ、新しい提案を人々に提示する「ショーケースイベント」が表年、対してモビリティサミットとでも言うべき、モビリティに参画する数多くの仲間が、企業同士の連携強化を図りコミュニケーションを深める「モビリティ関連企業のビジネスイベント」を行うのが裏年だ。

 観客動員の力の入れ方もたぶん変わる。表は100万人オーバーを目指して大規模に、裏は「内輪のイベントだけど、見たい人はどうぞお越しください」というもの。(リリースはこちら

 主催する日本自動車工業会(JAMA)の視点で言えば、今年のJMSは「新しいモビリティを作り出して発表する場と、そのための仲間づくりの場」ということになるのだろう。JAMAとしても、前例のないことなので結構手探りである。

裏表イニング制になった“裏”の事情

 実は、この「裏表イニング制」での開催を言い出したのはJAMAの前会長、豊田章男氏である。しかも元々の第1回JMSが昨年10月26日から11月5日まで開催。間を置かず11月22日のJAMAの定例記者会見で豊田会長から片山正則新会長(いすゞ自動車会長CEO)への交代を発表している。

 言葉は悪いが豊田氏の最後っ屁。「いや(退任が決まっている)わたしが言うべきことではありませんが」と何度も言いつつ、やらざるを得ない空気を置き土産にしていった。

 いや、交代と引き継ぎのタイミングは難しいものだったが、豊田氏の主張は確かに正論で、JMSでは自動車産業に限らず、モビリティ企業の仲間作りの機能を大幅に拡充した。数多くのスタートアップ企業が大手自動車メーカーに新技術をプレゼンしたり意見交換できる、これまで無かった場を実現したのだ。交流によるケミストリーが生まれ、日本のモビリティの進化につながると期待できる。

 課題はあったにしても、やってみた最初の年が上手く行ったのであれば、始まった化学反応を止めないためにも「隔年だから」と翌年いきなり放置してしまうのはもったいない。先々、モビリティ企業間の連携が軌道に乗れば、隔年開催でも良いかもしれないが、当面は毎年やっていかないと、蒔いた種が育たない。

 ただ、豊田氏も片山新会長にバトンを引き継いでもらった立場である。言葉を選ばずに言えば「もう勘弁してくれ」と地団駄を踏んで退任させてもらった交代劇だった。あまり無理も言いにくいだろう。とはいえ、豊田氏は、元々が諸般の事情(後任会長の社の不祥事)で、任期終了後に再度代打を任され、前例のない状態で本人が思ってもいなかった3期も会長をやらされた。そこからして理不尽な流れだったのだが。

 豊田氏にしてみれば、手塩にかけたJMSの行き先は極めて気になる。さりとて「そんなに気になるなら、もう一回会長やりますか?」とだけは言われたくない。そしてそれ以上に片山会長へのリスペクトと尊重もある。

 なのでついつい我慢できずに毎年開催を口にするものの、その詳細は自分がつべこべ言うことではないという自覚もあって、その分遠慮が強く出た。

事務局は思い出した「そうだ、自動車ジャーナリストを呼ぼう」

 そうなると困るのは実務に当たるJAMAの事務方で、言い出しっぺ、かつこれまで強力な指導体制にあった豊田氏が遠慮がち、片山会長もどこかで「豊田さんはどうやりたかったんだろう」という譲り合い。困り果てたJAMAは豊田氏のもう一つの置き土産を思い出す。

 というのも、豊田氏が会長になって自工会改革は目を見張るほどに進んだ。それは以前、豊田会長の退任の舞台裏を書いたITmedia ビジネスオンラインの記事に詳しく書いてあるが、要するに、それまで大手メディアを記者クラブ的に呼ぶだけだったJAMAが、自動車ジャーナリストを呼ぶようになった。リンクで示した記事を少し引用する。

“そもそもJAMAは自動車ジャーナリストや雑誌媒体などと付き合う気すらなかった。大手の新聞や放送局を、記者クラブに呼んでさえおけばそれでいいとたぶんそう思っていたはずである。
~中略~
次にやったのは記者会見の改革だった。ある時を境に、トヨタのJAMA担当(ひとりふたりじゃない)から、記者会見の現場に来てくれと、強く要請される様になった。そうして初めてか2回目くらいに出向いて取材した記事が「豊田章男JAMA新会長吠える!だ。筆者は変に強運なところがあって(あるいは豊田会長の強運なのかもしれないが)、この記事が100万PVレベルでバズった。
勝手な想像だが、プロパーのJAMAの人たちにしてみれば「モータージャーナリスト? 何それおいしいの」くらいのものだったと思う。ところがびっくりするくらいバズった。筆者だって狙ってできるわけはない。実態はただのラッキーなのだが、JAMAの人たちから見たら、広報のやり方を変えた途端の大成果である。
 一事を見て勘違いした彼らは筆者を過大評価することになって、それ以来JAMAからも、やれ取材だ、やれご意見たまわりたいだと、いろいろなアプローチが始まった。このあたりから「モータージャーナリスト」への評価やメディアとの付き合い方も変わり始めたのである。”

ITmedia ビジネスオンライン  池田直渡「週刊モータージャーナル」

 ということで、「そうか、豊田会長に聞けないなら、あの時のジャーナリストに聞いてみるか」となった……のだと思う。かくして、筆者を含めた数人の自動車ジャーナリストが、JAMAからJMSについてのヒアリングを受けることになった。リモートでひとりずつなので他のジャーナリストの話がどういうものかは筆者は知らない。

 JAMAの職員から一通りの説明を受けた後、「さて池田、何か言え」のフェイズとなった。

「未来」を感じさせるには何をやればいい?

 筆者は正直に2つのポイントを説明した。一つ目は次回のJMAでお目見え予定の、デジタルツールを利用した部品や技術の調達に関する自由掲示板のようなシステムの運営について。これは上手くやれば調達のDXのデファクトスタンダードになるポテンシャルがあるので、小さくまとまってJMSの会期だけ稼働させるのではなく、もっと長期的に運営体制を構築したほうがいい。ユーザージェネレーテッドなコンテンツは、ユーザーに任せておけば充実するわけではない。そこは管理者側が、しっかり運営しなければダメだ。

 掲示板の類はその場の賑わいがすべてなので、まず最初に「お、たくさん人が来ているぞ」という雰囲気がなければ立ち上げで即死する。閑古鳥の掲示板にもう一度やって来る人は絶対にいない。

 だから、ちゃんと仕込みをして、募集する技術や部品、売り込みたい技術や部品を「可能な限り多く」、オープン時に揃えておくこと。そしてJAMA側が、しっかり運営を回し、鮮度を確保するために、募集や売り込みの追加を定期的に加えること。さらにそれで成約してジャパニーズドリームになりそうな話は、取材を入れてプロジェクトX風に告知すること、などを提案した。

 そして次に、一番言いたかった話を始めた。JAMAの職員は、プレゼンで「未来を感じられるようにするにはどうするか?」ということが課題だと言った。

 うーん。それはむしろ面白いではないか。
 なので言った。
 「今の日本は実は未来の国なんですよ」

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