VUCA時代の自動車ビジネスの要諦
少し前にギガキャストの記事を書いた(「ギガキャストを語る前に鋳物を知ろう」前編・後編)。ポイントは2つ。巨大キャストパーツを作るのはそんなに簡単ではないことと、ワンパーツ化で強調される「生産時間の短縮」は、生産ラインにとっては常に正しいとは限らないことを書いたつもりだ。
後者は意外かもしれないが、そんなに難しい話ではない。「最速稼働を目指して設計された生産ラインは速度最優先になりがちで、一般論として減産への対応が苦手」だからだ。
そして、それは2008年に起こったリーマン・ショック後に、トヨタが散々苦渋を舐めた失敗でもある。
「つくれば売れる」絶好調はトヨタをも狂わせた
2000年代に入ってから、トヨタは毎年50万台増ペースで生産台数を躍進させ、現在の1000万台メーカーの地位を築いたのだが、そういう「つくれば売れる」環境では、業績は生産能力が決めることになる。なので当然、生産能力増強(能増)が最優先の経営課題になる。自然、生産部門の発言力が強くなり、生産部門は設計部門に対し「作りやすい設計」を求め、工場の現場では時間あたりの生産台数を高めることが正義になる。
このように、「販売の長期的好調」という特殊条件によるある種の歪みが起きると、生産性以外の要素が蔑ろになりがちだ。トヨタの例で言えば、走りの良さより生産性が優先されるあまり、「スポット溶接をどれだけ減らしたか」が設計の評価ポイントになったりするので、肝心のクルマがダメになっていく。まあ平たく言って慢心である。「需要>供給」は、経営判断を狂わせる極めて大きなリスクである。この頃のトヨタ車は本当に酷いものだった。端的に言ってまっすぐ走らない。
色々なものを犠牲にしながら、世界シェアを伸ばして躍進を続けたトヨタ。だが、2008年のリーマン・ショックによって、過去10年間続いてきた「需要>供給」の状況が突如壊れる。最速で最多のクルマをラインオフするためにデザインされていた生産ラインは、能力を落とすと、著しく効率が落ちた。最速生産のために精密にチューニングされたラインは、最速以外を受け付けない。
“最速工場”は減速すると儲からなくなる
例えば衝突安全のために徐々に採用範囲が広がりつつあった高張力鋼板。ものによってはプレス整形の前に加熱する「ホットプレス」が求めれらる。その際、部品をまとめて炉に入れて加熱していたが、この時のロットが例えば30点になっていると、30点まとまらないと加熱できないし、加熱したら冷める前にプレス工程に回さないと打てなくなる。
それでも無理に減産して、例えば半分の15点で加熱すれば炉の1回あたり加熱コストは部品1点あたり倍になって、原価計算が狂うだけでなく、ライン全体で統一されるサイクルタイム(ひとつの工程で必要とする時間)が乱れる。設備投資の減価償却などの固定費や人件費も単位時間あたりでは変わらないので、効率を落とすと台あたりでは倍になる。しかも、自動車生産の流れ作業は、例えば1サイクル10分なら10分でどの工程も寸分違わず同じ時間で動くのが鉄則。餅つきの時、餅を返す「返し手」と餅を搗く「搗き手」は同じタイミングで動いてないと困るのと同じだ。生産速度を落とすことは緻密に設計された工程の手順を乱すことにつながり、工程のあらゆるところが無駄だらけになってコストが増える。
後にこのホットプレスの加熱は、炉ではなく個別に電流を流す方法に改め、1点ごとに加熱できるようになってロットの概念そのものがなくなった。しかしそれは後のこと。当時の減産に弱いラインはリーマン・ショックのあおりを受け、2009年3月期、4610億円の未曽有の赤字決算を迎えるのである。
そこから数年をかけてトヨタはラインの柔軟性改革を行なっていく。「意志ある踊り場」を宣言し、一旦能増を止めて、既存工場の大改革をスタートする。具体的に言えばロットを小さくする工夫であり、ラインのコンパクト化、つまり最速・最大を狙う重厚長大ラインからの脱却だ。
そしてそれは自然と、ラインの大型化を伴う自動化に対する用心深い取り組みになる。最速よりもフレキシビリティを優先する設備設計のリファレンスチェンジである。
時代はVUCA(Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性)と言われる。先が読めない現代の自動車ビジネスにとって、需要に即応して増産・減産ができ、複数車種を混流生産できるフレキシブル生産はとても大切なのだ。ちょっと言葉が攻撃的過ぎるのを承知で言えば、大型設備投入による高速化という思想は、トヨタの20年遅れであり、だからこそ自動車メーカーはギガキャストの安易な投入には慎重になるのだ。
トヨタ生産方式とは「売れた分だけつくる」こと
需要以上、つまり余分な台数を生産するのは経営上とてもよろしくない。その考えを世に問うたのがかの「トヨタ生産方式」である。だから本来トヨタは「速度だけを考えた設備投資はダメだ」ということは最初から知っていたはずなのである。にも関わらず数に溺れたのは、売れる環境がいかに人を狂わせるかを浮き彫りにしている、とも言える。家元のトヨタですらそうなのだから、今はものづくりのスタンダードとして世界中の会社で採用しているトヨタ生産方式が、欲に対するある種の脆さを内包している、と言えるのかもしれない。
トヨタ生産方式は極めて簡単に言い表せる。究極的には「売れた分だけつくる」という言葉に全てを集約できる。しかし、詳らかに見ると、それは極めて多様でもある。
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