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具体と抽象の両輪でSDGsの世界観を実現すること。

レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』の中で
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格無い」というセリフがある。

また、キング牧師の言葉に
「愛なき力は無謀で乱用を招き、力なき愛は感傷的で実行力に乏しい」という言葉がある。

強さとは何か、力とは何か。人によって捉え方が違うのだろうけど、僕はそれらを「実施できる具体性」だと捉える。そして、愛はこの文脈では「本質的な善を抽出する営み」だと捉えている。
何が言いたいのかというと、SDGs(持続可能な開発目標)はその力と愛の両輪で達成に向けて取り組む人の努力を集約する必要があると考えているということだ。

SDGsは、国連、国家、企業、NGOsや市民社会が2年以上に及ぶ熟慮の末に作られた2030年までの達成を目標とする17の目標と169の具体的ターゲットと、230の指標によって構成された世界全体の取り組みの収束点だ。
「誰一人取り残さない(No one will be left behind)」というスローガンのもと、貧困と飢餓、ジェンダーギャップ、環境問題、エネルギー問題、平和など一つとっても達成の困難な目標に対して包括的に取り組むことを目的に策定された。
また、人間の活動が地球の自己修復作用を超えて影響を及ぼし始め、もはや正のフィードバック作用(岩が坂を転がるように影響スピードが徐々に上がり続ける状況)が生じる臨界点に近づいたという懸念から生まれた。気候変動、生物多様性、生化学的フローなど既にいくつかの地球の臨界点は超えている。

SDGsの達成は、目標間の関連性を認識する必要がある。それは、一つの目標の達成がその他の目標の達成を損なうというトレードオフの関係があり、それゆえ包括的なアプローチと、年に一度の報告会によってそれぞれの成功例、失敗例を共有し合いフィードバックしあう場が設けられている。トレードオフの関係とは、例えば、貧困と飢餓の問題を解決するために食料の生産量を増加させた時、その際に水資源の非効率的な利用をすれば、貧困と飢餓の目標は達成できても、水資源の持続可能性の目標は損なわれてしまう。また、エネルギー生産量に関する目標の達成のために、とうもろこしから生産されたバイオエタノールを使った場合、とうもろこし生産のための水資源、そのとうもろこしを食料として使った場合に貧困・飢餓の課題が解決できた可能性など、三つの目標がトレードオフになっている。
これらのトレードオフを調整しながら解決することがSDGsには求められているのだ。この場合だと、緊急援助で貧困と飢餓で命が危ぶまれている人々を支援しながら、インフラの整備を行い水資源の効率的な利用を促進する。エネルギーは、太陽光や風力など環境負荷が少ないもので生産していく。などの措置が取られている。
このようなトレードオフの調整を17目標全てで意識しないといけないので、SDGsは野心的な目標であると言えるし、注目を集めるような啓蒙活動を何度も行い、それぞれ個別で目標に取り組んでいる方々がその他の目標との調整を行えるようにしてきた。

現在は、2013年に設立されたHigh-Level Political Forum(以下HLPF)が国家間の相互学習を促進し、その他のアクターとの調整を行っているが、HLPFが請け負っている任務が重要かつ壮大なのにもかかわらず、その任務を達成するだけの能力や資源は不十分である。これは、SDGsの目標に合意はするが、国家主権の優位性は維持したいので、HLPFなどの国際機関に対してあまり権限を移譲したくないという国家の一般的な意志が関わっている。
しかし、HLPFが今後のSDGsの達成に向けて中核的な組織であることは変わらない事実なので、国家間交渉のフォーラムとしての機能し続けることで徐々に能力や権限を強化していき、マルチステークホルダーの行動調整をある種、強力に方向付けるようになっていくだろう。

このように国連や国家の政治な調整を行う存在や、研究者やビジネス界の知識や資金、人などの資源を持っている存在、NGOやNPOなどの正しさを追求する存在などが協力して作られた目標であり、その主たる調整機関としてHLPFが存在し国際的なレベルでの調整は徐々に進められている。

しかし、1歩振り返って、僕たちの個人レベルではどの程度SDGsは機能しているのだろうか。SDGsは、日本において、2019年の調査で16.2%ほどしか認知されていないという結果がある(電通,「第2回 SDGsに関する生活者調査」,2019年4月)。仮に、認知していたとしても壮大な内容すぎて具体的に何をしたらいいかわからないのが現状では無いだろうか。

SDGsの日本での認知度の低さは、ある種のバズワードのようにSDGsが使われてきている現状を踏まえると、徐々に解消されていくと思う。どちらかというと、SDGsという言葉を知って概念をなんとなく理解した後に感じる、壮大すぎて自分に何ができるのだろうかという感覚を対処していくことが今後より重要になるだろう。

最初に戻ると、SDGsはもはや世界平和と同義のレベルで普遍的なものになり、それは世界の問題を解決するための統合と調和の架け橋になり、愛のステージにある。しかし、それを具体的に実践していく力の部分がまだまだかけている。
そして、その力の部分は、僕たち一人一人が担わないといけない部分である。グローバルな思想の論理的な調整は、ローカルなレベルでのある特定の一人が持っている暗黙知やそこから導かれる感覚的行動があってこそである。
そのため、例えば、こうしてキーボードを打って文字を入力している僕の行動は僕だけのものである。その行為の積み重ねとして、文章が出来上がり、その文章を誰かが読むことによって、その人の行動を変化させうる。その変化した行動の集まりとして傾向が出来上がり、その傾向が別の傾向と交わった時、システムができる。そのシステムを分析して意図的に望む結果を生み出そうとする時、グローバルな思想が生まれる。その思想がまたある特定の個人への意図的な介入につながるという抽象と具体の繋がりである。

抽象だけではただのバズワードで終わってしまうし、具体だけでは目的を見失ってしまう。だからこそ、僕は抽象的なレベルでSDGsを自分の思想に落とし込み、思想を実践できるだけの専門性をつけていきたい。修士に進んだのは抽象のレベルで俯瞰して物事を捉えられるようになるためで、これからの仕事で専門性をつけて抽象を具体化して行きたい。

文章に落とし込んで自分の実践できる具体性を見つけて行こうとしたのだけど、まだまだ考え抜けていないことがわかったので、後半年かけて徐々に更新しながら書き上げていく。

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