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日本の社会運動はなぜ老人ばかりなのか

 「日本でこれほど多くの人がパレスチナのために行動してくれるのはうれしい。でも、日本の社会運動が年を取った人があまりに多いと思うんだけど、それはどうして?日本の若者は心がないの?」
 これを言われたとき、ついに言われるかぁと思ってしまった。社会全体の高齢化が進んでいる、とだけでは説明のつかないほど日本の社会運動は高齢者中心だ。もちろんこれに対する自分なりの回答はもっていたつもりだが、いざ留学生にあらためて聞かれると口が重たくなってしまう。しかし、こういう問いは直接的にではないにせよいろいろなところで聞かれるのでその時の回答を備忘録的に残しておこうと思った。

 まず、私は人々が政治的になるためには自分が社会の構成員であるという意識が不可欠だと思うということを前提に置きたい。自分の生活をはじめとした経済的な問題だけでなく、正義や公正の問題を自分事として認識するためには社会的ネットワークのなかに自分がいなければならない。そうでない人にとって、ニュースから流れてくる出来事は別の世界のものになってしまう。だから、日本の若者が冷淡になってしまったのではなく社会・経済の構造的問題によって人々の意識が変えられた結果だという話が私の回答になる。一文にまとめるなら「新自由主義によって中間団体や地域共同体が破壊されたことによって人々と社会の接点が失われアトム化してしまったから」ということだ。

 もちろん、日本はほかの社会同様に強固な地域共同体を有していた(決してそれを肯定したいわけではないが)。さらに、高度経済成長期に都市化が進んだなかでも共同体は構築された。たとえば小熊英二の『日本社会のしくみ』では、お金を貯めて個人商店をもつ=一国一城の主になることが憧れとされ、日本は自営業主が非常に多い社会であったことが言われている。そうした自営業主はその町のコミュニティを作っていくうえで中心的な役割を果たしてきた。しかし、80年代以降は大規模商業施設の進出や国外製造業との競争によって自営業主の数は大きく減少し、代わりに非正規雇用の数がぐんぐんと増えていった。人々はその地域の人脈網のなかで働く人間から、日本のどこでも置き換え可能な賃金労働者になることを強いられた。こうして地域を基盤とした人々のつながりは失われた。

 では、被雇用労働者として働く者同士のつながりはあるのだろうか?正規労働者のつながりが弱められたということは、労働組合の弱体化がそれを端的に示している。労働組合の弱体化と国鉄民営化、社会党の解体によって、労働組合から社会党を通しての要求やストライキによって労働者の要求を通すということがやりにくくなった。さらに、増加した非正規労働者は流動的に働くことを強いられてつながりを作ることは難しくなっている。

 労働組合が象徴的だが、社会のあらゆる部分で組合のような中間団体は力を失った。たとえば、私たちがやっている学生運動の観点から言えば、全国40万人の学生の要求を伝えていた全学連は、もちろん学生運動内部の対立があったにせよ、各大学当局の圧力によって基盤となる各大学の自治会が解体されてきた。社会のあらゆる部分において、自分の身近な問題を政治の問題として要求していくような回路が破壊されたり自壊してきてしまったのだ。

 そして、地方の衰退と高齢化によって地方の地域共同体も失われつつある。こうした社会で政治を語るのは困難だ。それでも年齢が上の層は昔の経験やつながりがあるから行動できるが、若い世代はそうもいかない。日本人は政治の話を嫌うというが、こうしてみると孤立化して人々のつながりが希薄な社会で対立を生むリスクのある政治の話を回避するのは合理的な行動としてあらわれてくるのは当然ではないだろうか。戦争や虐殺に心を痛めるのは感受性の高い人だけで、そのために呼びかければ動いてくれる人のことを想像しにくくなってしまっている。

留学生の回答

 この問いを投げかけてきた留学生はパレスチナ出身だ。パレスチナは抑圧状態に置かれているために人々は政治的にならざるをえなくなっているが、民族全体の抵抗運動が続いているのはそれだけではないと言う。ラーマッラーのような都市の中心部でも町行く人々がお互いのことを知っており、なにか出来事があれば大家族や友人、職場の連絡網であっという間に伝わる。こうした地域共同体が抵抗運動をより盤石で強固なものにしているということだった。そしてもちろん礼拝によって人々が集まる宗教共同体の力も大きい。

 日本の社会運動は、まず話を聞いてくれる人を見つけるところから始めないといけない、という話をしたら驚いていた。

 日本に留学に来て、研究室と自宅との往復で、日本人がよそよそしいからまったく知り合いができなかった。経済的には非常にうまくいっているが、孤独な社会だと言っていた。

 資本主義を追求し続けているアメリカがよい社会だとは決して思わないが、それでも最悪の社会でないのは強固な宗教コミュニティが資本主義の矛盾を緩和する互助組織として機能しているからだろう。しかし、そうした基盤を欠く日本社会において、新自由主義は文字通り社会を破壊するものだと彼と話していて思った。というか、彼の視点からすれば、私たちの社会はすでに「壊れている」のかもしれない。

 私たち一人一人ががんばって、いまのパレスチナ問題などについて伝えていくことが必要だという話をいつもしていが、それでけではじり貧であるとも思っている。あらゆる政治運動は地域共同体や中間団体の再建と同時に行われなければならない。そういうわけで、私は学生行動連絡会を立ち上げ、パレスチナ連帯運動や学生自治再建運動を(もちろん新自由主義を終わらせることも)一体のものとしてやっていこうといろいろ試してみている。

 私の考え方が悲観的過ぎるように感じる人もいるかもしれないが、私がこれまでの活動で学んだことは、人になにかの社会運動について話して参加してもらうためにはその社会運動の重要性や意義を説くだけでは絶対にうまくいかないということだった。まず、社会や政治について話すことのできるコミュニティを作る。そこでひとりひとりの問題意識を聞き出し、そのひとが考えていることを社会の問題と接続する。そういうことなしに、社会運動を支える強固な基盤を作ることはできないと思う。

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