後に大事な出会いに“出会う”。
1年程経った頃でしょうか、隣の太田市へ引っ越し。ちょうどその頃大泉に、どうも倉庫を改造したフットサル場ができるらしいぞ と噂が飛び交っていました。“伝説のチーム“マラカナFCから一期生の僕たちは退団していましたし、幼馴染の多くは大泉に、私は太田へ行ってしまったので離れ離れになってしまいました。しかし、“噂のフットサル場”がオープンをすると、なんと皆がそこにいるのでわーああああありませんか!!笑 そのフットサル場には、私たち幼馴染組を始め、当然我々より年上のお兄さんやサッカーのお腹をすかした大人達が集まる社交場にもなっていました。
ブラジルフットサルセンター。通称BFC。名の通り、その倉庫の扉をくぐると、景色は一変。そこにはブラジル連邦共和国が現れます。子供が大人とガチで対戦したり、本国のブラジルで味わうストリートサッカーをそこで体感できましたし、日本人の友達をそこへ連れて行き、国際交流をしたりと社会勉強をする為にはもってこいの場所でありました。もちろん、リアルを言うとそこでガチの勝負が繰り広げられるから、大人同士の喧嘩を目にする事も‥‥ しかし今思えば、反面教師になりましたし学ぶ事も多かったです。
やっぱ幼馴染とするサッカーは楽しい。そんな我々のコーチをしていた人物、大城エジバウド。BFCの経営者。外見は立派な大人だが中身は少年。そう!彼こそが、後に私の人生にとっての2つ目ターニングポイントとなる人物だ。
小6の頃ある週末。彼が『鹿島へ行くぞ!面白いものを見せてやる』と
うん。確かに本当にとんでもない光景だった。
まず私の目に飛びこんできたのが‥‥
つづく