「流される人は大罪の片棒を担ぐ」
指示やルールに従う前に一時停止して考えよう
これは専務のご指示だから、社長のご指示だからと、部長がうやうやしくメッセンジャーボーイのように伝えてきた指示をそのまま実行する。ある出来事の対応をただルールや前例にあるがまま処理しようとする。それがどういうことを意味し、どんな結果をもたらすことになるのかなど関係なく。
場合によっては、流れされて何が悪い、長い物には巻かれろは上手に生きる知恵であり、流れに任せる生き方を選んでいると言う人すらいます。
しかし、大罪の片棒を担ぐつもりまではないでしょう。それを避けるためにも、せめて一時停止して考えて欲しいですね!
悪は思考停止した凡人によってなされる
ユダヤ人の虐殺を指揮したアイヒマンがただの思考停止オジサンだったというのは有名な話ですが、まさに思考停止した凡人こそが危ないのだと思います。
実際、虐殺とは言わずとも、マスコミなどに煽られた不満をぶつける相手が見つかると、その行為の妥当性など関係なく誰からともなく石をぶつけ始め拡大していく情景は、SNSやマスコミによる無責任なバッシング行動にみることができます。そういう意味では、世界中がインターネットで繋がり、情報が光速で繋がる現代社会こそ、思考停止した凡人が大罪の片棒をいつのまにか無自覚のうちに担いてしまう危険が大きいでしょう。
大罪の片棒を担がない凡人であるために
人が動物であるが故に元来持っている卑しさを乗り越えていくために必要な人としての基本的な道徳として、
正直であろう(嘘をつかない)
与えよう(盗まない)
助けよう(足を引っ張らない)
羨まない
妬まない
驕らない
威張らない
蔑まない
貶めない
などに加え、論理的に物事を考えていく思考と、自らのその思考の前提条件や内容について批判的に検証する思考を身に付けることで、いつのまにか流されてしまう主体性なき凡人から、踏みとどまれる主体性を失ってない凡人になれるはずです。
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