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「外発的では成長のエネルギーには不足」

人として生きるということについて、物心ついたころからずっと考え続けてきましたが、還暦近くなって、やっと最も大事な能力は成長する力であると確信し、成長力自体のみならず、その前提条件でもあるメタ認知とそのレベルアップについてしつこく記事にしていますが、そもそも、その成長力を発揮していくエネルギーは何なのでしょう?

幼児の頃は、ご飯を食べて遊んでいるだけで、身体も心も知能も成長していきます。物心がつき始めるころには、親や親戚や先生などから競争を意識させられ、目標を与えられ、巧妙に飲み込まされて、あるいは止む無く同意させられて勉学やスポーツに嫌々でも取り組み、結果として何かを得る人もいます。一方、残念ながら自分を失ってしまう人もいます。

例えば、正しさに支配され、他人の目を気にして間違いを指摘されることを極度に恐れる人達。

例えば、目標を飲み込まされ、未達成=失敗=挫折、達成=成功=誇りとしてしまっているような人達。

例えば、親や大人から強要された嫌な事であっても、努力を続ける良い子であるために、自己を切り離してしまい、主体性を持てず常に他人事になってしまった人達。

結局、常に問いを持つことが成長力発揮のエネルギーなのですが、それが外発的である限り、会社を定年退職する、家業や自身の事業から引退する、子供が独立するなどによって、動機を失うことになって、問いも消滅し、成長のためのエネルギーは供給されなくなり、成長は止まってしまいます。

私は立場に関係なく、ひとりの人間して人生を終えるその瞬間まで成長力を発揮したいと思っていますし、その方がご機嫌に暮らせるし楽しいだろうと思っています。

しかし、公的な立場を失っても1人の人間として成長力を発揮しつづけるためには家族や仲間の貢献もあるでしょうが、それで足りるとは思えません。やはり、なんらかの内発的なエネルギーが必要です。

#ご機嫌に暮らす
#誇りを持って生きる
#成長力
#メタ認知

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