「依存の良し悪しの境界」
思えば様々な依存があります。色んな記憶を掘り起こしても、おそらく人は依存ゼロでは生きていけない気がします。しかし、依存には常に程良さが必要で、ある一線を越えるか否かで良質か悪質かが大きく分かれてしまいます。分かれ道はどのあたりにあるんでしょう?
依存の定義と良し悪し
意味を調べると、「他のものにたよって成立・存在すること。」とあり、やはり、人は何らかの依存して生きているといっても過言でないようです。かのロビンソンクルーソーもフライデーに依存していたとも言えますね!
しかし、一般的に使われる依存という言葉は悪い意味でつかわれることが多く、ちょっと思いつくだけでも、薬物/アルコール/ギャンブルなどへの依存症、ドメスティックバイオレンス(DV)における共依存、他人に頼る/寄りかかる/責任をなすりつける依存心、気を使いすぎる人/寂しがりな性格で何かをする際に誰かと行動を共にしないと不安な人/周囲の人から構って欲しい承認欲求が強い人/気持ちのアップダウンが激しい人が陥りがちな依存体質と、悪い意味で使われる言葉が沢山出てきます。
フェアな意味としては、依存関係。
良い意味では、人にべったり頼るわけでもなく、かと言って自分さえよければいいわけでもない、「お互いに同じ方向を向いてがんばっていきましょう」という意味の助け合いの関係性、良い夫婦や良い友人関係、組織におけつ良い人間関係を意味する相互依存くらいでしょう。
良い依存と悪い依存の分かれ道
結局のところ、経済的自立は当然として、精神的に成熟し、責任ある行動がとれる大人であるかどうかということに帰着するようです。
具体的には、
精神的成熟
元来の性根:
幼児性(自己中心性/自己顕示欲/勝ち負けへの執着)を昇華させている事自分の過去:
過去の出来事(トラウマや犯した間違いなど)を昇華させている事他者との関係:
優越意識/劣等意識を昇華させている事
責任ある行動
公共的存在(誠実/公正/謙虚)である事
未来に対し責任ある行動をしている事
という条件を満たしていない、つまり、大人になれていない人が悪い意味での依存に陥る可能性があるということでしょう。
全ての年齢的大人が精神的成熟と責任ある行動で悪い依存を必要としない主体的人生を獲得して欲しいと願います。
さすれば、子供が悪徳宗教の2次被害に会う事もなく、悪徳宗教や悪徳占い師や自己啓発セミナーなどは衰退し、少なくとも政治的野心を持つような規模にならず、本来の日本を取り戻す機会も生まれるでしょうに。
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