
「思いやりマスクぅ〜?」
実質強制だったマスク装着が3/13以降、個人判断尊重という事になり、私は即日マスクを外し、快適さを取り戻しました。
しかし、つい先日たまたま点いていたテレビの番組でマスクの取り扱いについて街でのインタビューを放映していたのですが、その中で「思いやりマスク」という造語を大々的に放映していたのです。
ノーマスクハラスメントか?
怖いと思っている人への思いやりでマスクをする「思いやりマスク」?
それは自分が怖いと思っているからであって、思いやりではないでしょうに、まるでマスクをしないのは身勝手な行為であると言いたげで、日本人がマスクを外せなくするために、新しいハラスメントを作り出そうとしているかのようです。
安心最優先は諸悪の根源
よく工事現場や工場で安全第一という看板を見かけます。これについては全く異存ありません。
しかし、安心第一となると話しは違ってきます。不安を感じないようにする事ですから、個々の感じ方次第であり、特定できない不安を感じる人たちへの配慮をしなければならないという話しになってきます。
セクハラに象徴される、その人がどう感じたかで決まるという論理は本当に危険です。社会的には分断を助長し、個人としては、甘え(責任転嫁)を受容してしまうことで人としての成長を阻害して弱者を増やして、社会コストを増大させる論理です。
不安な人や怖い人は自分で自分の身を守るべき
マスコミに影響を受けてしまい、個人に依存する不安感や恐怖感に対し、それがさも当然であるかのような行動を求めるような他責発想は、身勝手な正義を振りかざす自粛警察やマスク警察に類する思考に陥ることのないよう、くれぐれも注意してください。
もちろん、マスク着用を継続する理由が顔パンツでも構いませんが、顔パンツの理由を表に出さないようにするために、おもいやりマスクに主たる理由をすり替え、さもそれが大人の常識であるかのような物言いをするのもやめてくださいね!少なくとも個人判断を完全に尊重ください。
ご機嫌に暮らすために最も重要な条件は、他責でものを考えないことです。