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#3 清廉な水への挑戦、日本の歩み

こんな情勢の中、未来の水を守る、私たちの選択はなんでしょうか?
一般的に言われてているのは、次のようなことだと思います。

食料自給率を上げる
日本が持つ水に関する技術を広める
節水を心掛ける
地産地消に取り組む
食品ロスを減らす

けれども、本当にこれだけでしょうか。

この機会に、上下水道の歴史を紐解きながら、日本の水はいつどのように発展してきたのか、私たちが水の利用において何ができるか考えてゆきます。


東京都水道局の説明では、「江戸時代の水道は、上水とも呼ばれ、石や木で造られた水道管(石樋・木樋)によって上水井戸に導かれ、人々はそこから水をくみあげて飲料水・生活用水として使用した」とあります。

江戸は海に近い低湿地帯に位置しており、地下水を汲み上げても塩分を含んでいるため、飲料水として適していませんでした。そのため、郊外の水源から水を引く必要があり、神田上水、玉川上水などの上水が整備されました。
江戸市中は、地下にひかれた暗渠を通って流れるしくみでした。

上水から引かれた水は、町中の各所に設置された「上水井戸」に貯められ、そこから住民が水を汲んで利用していました。上水井戸は、上水の水を貯めるための施設であり、地下水を汲み上げる井戸とは構造が異なります。

東京都水道歴史館(https://naturasisa.com/suidorekishi/)

とりわけ、玉川上水はその技術の高さを理解できるものであり、東京都水道歴史館に多くの展示物があります。

江戸時代の中期(18世紀半ば)には、江戸人口は100万人以上であり江戸上水の給水技術・給水面積・給水人口は世界一だったらしいです。
海外と比較すると、19世紀初めのロンドンは人口90万人で、くりぬいた丸太木管で地上に配列した水道がありましたが、給水は月・水・金の週3回、それも7時間ずつとのことです。
同時期のパリには水道そのものが1830年までなくて、セーヌ川から水車で水を汲み上げ、水売り人が手押し車で売り歩いていたとのこと。

当然、江戸は24時間年中無休給水可能です。

https://www.pinterest.jp/pin/702913454313822374/
東急財団 (玉川上水の分水の沿革と概要  小坂克信様研究)


驚くべき技術は、羽村取水堰から43km先の四谷大木戸までわずか高低差92mの上水を1653年にわずか8カ月で完成させたこと、竹樋と木樋を精密に組み合わせて地中に埋めるていたこと、上下水道も分かれていて生活排水は別に流していたことなどがあります。(厠の屎尿は畑の大切な肥料として利用され、川に流したり、道端に捨てたりすることはない、世界と比べても衛生的な都市だったと言われています。

下水道にはフタ(https://naturasisa.com/suidorekishi/)

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