#1 人類史を潤した「水」物語と争い
人類の文明は、大河とともにありました。
水は、文明を育む血液のようなもの。
しかし、現代の私たちは、蛇口をひねれば水が出るのが当たり前になりすぎて、そのありがたみを忘れがちです。
世界では、安全な水が手に入らない国々が今もなお、数多く存在します。
水は、私たち人間にとってそして地球環境にとって、かけがえのない存在。
今回から、水と文明の深い関わりから現代社会が直面する水問題まで、幅広く解説していきます。
人類は約1万年前に氷期を終え、温暖化とともに農耕・牧畜を中心とした生活に移行しました。これにより人口は飛躍的に増加し、文明の発展の基礎が築かれたことは、皆さんも小学校の社会科で学ばれたと思います。
農耕の発展には、安定した水供給が不可欠でした。メソポタミア地域で始まった灌漑農業は、収穫量を大幅に増加させ、食糧生産を安定化させました。これにより、多くの人口を養うことが可能となり、国家という統治システムが誕生しました。紀元前にはいわゆる四大河文明がうまれたのもとても有名な話ですし、エジプトはナイルのたまものという言葉を知っている方も多いでしょう。
メソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス川、複数の河の間の意味)
エジプト文明(ナイル川)
インダス文明(インダス川)
中国文明(黄河・長江)
大河周辺で文明が生まれた理由は、
灌漑農業: 農作物の生育に必要な水を安定的に確保できるため、大河周辺は農耕に適していました。
水運: 大河は、物資の輸送や人々の移動に便利な水路を提供しました。これにより、交易が活発化し、経済発展を促進しました。
生活用水: 大量かつ安定的な水供給は、人々の生活を支え、都市の形成を可能にしました。
このように、水は文明の誕生と発展に不可欠な要素でした。しかし、現代社会においては、水道の普及により、水への感謝や危機感が薄れているのではないでしょうか。
世界では、安全な水が手に入らない人々が依然として多く存在し、水不足は深刻な問題となっています。私たちは、水の重要性を再認識し、持続可能な水利用に向けて行動する必要があります。
水の枯渇が招く争いの歴史
「水」は古代文明を育むと同時に、時に争いの火種ともなりました。
四大河で栄えた古代文明は、豊かな水資源によって繁栄しましたが、その一方で、水にまつわる様々な問題にも直面していました。
例えば、水資源の偏在。大河の水は上流と下流では水量差があり、季節や年で変動しため、水資源の配分をめぐる対立が生じやすい状況でした。
また、灌漑技術の発達は農業生産力を向上させ、文明の発展に貢献しましたが、同時に灌漑施設の管理や水路の維持をめぐる争いも引き起こしました。
さらに、都市国家の形成もリスクを高めました。都市国家はそれぞれが水資源の確保に努め、その競争が激化、紛争に発展することもありました。
そして、古代においても気候変動は発生しており、干ばつや洪水などの自然災害が水紛争を引き起こす一因となりました。
これらが複合的に働き、四大河において水紛争が頻発したと考えられます。
この時代は文明の発達とともに言語も発達しましたが、私たちの言葉には、時代背景が推し量られる言葉があります。
例えば、英語の「Rival」(ライバル、競争相手)という言葉。
この言葉の語源を辿ると、ラテン語の「rivus」(小川、流れ)に行き着きます。そこから派生した「Rivalis」という言葉は、もともと「対岸に住んでいて、同じ川の水を利用する人」という意味でした。
つまり、ライバルとは、同じ水資源をめぐって争う相手だったのです。
チグリス川とユーフラテス川という2つの大河に挟まれたメソポタミア文明の地でも、シュメール人の都市国家、ラガシュとウンマが、水利権をめぐって150年にもわたる水戦争を繰り広げたと言われています。
言葉の成り立ちからも分かるように、水は時には争いの原因にもなって、現代に至るまでも、水をめぐる紛争は続いています。