
(ショートショート)『最後の蛇』
巳年なので、過去に書いた蛇ショートショートのリメイクです。
今年はたくさん書きます!
約6000字です、お時間ある時に!
(2025.1.3)
おぞましいアラームの音で飛び起きた。緊急地震速報かと思いあたふたしたけれど、違った。
スマホ画面に表示されていたのは、
『【速報】ブラジル保護下のアナコンダが脱走!』の文字。
誤報か、と目を疑った。
というのも数十年前に結ばれた国際条約により、地球上の人間以外の動物は絶滅させられたからだ。厳密にいうと牛・豚・鶏などの食用家畜は必要な分だけ生かされており、各国政府の直轄牧場で飼育されている。
そう信じていた。いや、少なくともそう信じ込まされていた。
「昔は、色々な動物がいたんじゃ」
亡くなった親父がよくそんな話をしてくれた。私は図鑑でしか見たことのない熊や鹿の話を興味津々に聞いたのだった。
それにしても久しぶりにワクワクするニュースだ。
秘密裏に保護されていたとはいえ、まだ世界に動物がいたとは……。
テレビでは、どのチャンネルもアナコンダのニュースをしていた。
早く姿を拝みたい。
しかし映像に映ったのは薄い皮のみ。どうやら抜け殻というものらしい。
私は『脱皮』という言葉を思い出した。その現象について親父から教えてもらったことがある。皮を脱ぐ生き物がいるのだと。
だとすると、肝心のアナコンダ本体はすでに捕獲されてしまったのだろうか?
「アナコンダは依然、逃走中! なお施設のスタッフ全員が、姿を消した模様です」
よかった、まだ生きている。
しかし無責任な職員だな。職務を放棄して逃げ出すとは。どうせどこへ隠れても、国際法違反で裁判にかけられるだろう。
私はまだニュースを見ていたかった。しかし、そろそろ仕事に向かわないといけない。こんな日なのに休んで良いとの連絡は来ない。有給は全て消化してしまっていたので、会社に行くしかない。
通勤電車では、誰もが蛇の話をしていた。やはりみんな気になっているのだろう。耳を済ますと、肯定的な意見も否定的なものも、さまざま聞こえてきた。
会社に到着するとすぐさま応接室へ向かい、テレビの電源を入れた。
「マナウスの街でアナコンダが発見されました。ヘリコプターからの中継です」
私は映像を見て、愕然とした。
そこには20mはある大蛇が映っていたのである。
蛇ってこんなにデカイのか……。
マナウスのメインストリートを、「俺は生きているのだ」と言わんばかりに堂々と這う姿が勇ましい。
住民たちは建物やビルの上層階から身を乗り出し、その様子を眺めていた。今から捕獲劇でも始まるのだろうか。
映像に釘付けになっていると、蛇の進む先には、鎧のような筋肉をまとった男が立っていた。どうやら退治しようとしているらしい。
彼は素早く蛇の後頭部に回り、ヘッドロックをかました。そして足を絡め、窒息させようと全身を絡める。技名まではわからないが、ブラジリアン柔術だと思う。
住民たちは彼に向けて声援を上げた。中には、男の顔がプリントされているTシャツを着ている者もいた。現地では有名な格闘家なのかもしれない。
しばらく膠着状態が続いたものの、男が腕を少し緩めたように見えた瞬間、アナコンダはするりと男から抜けた。そして今度は長い体で男に巻きついて、締め上げてゆく。鬱血する男の頭。男が衰弱したところで、蛇は体をほどいた。
男はそのまま地面に倒れ、よろめきながらほふく前進を始めた。蛇はそこへ巨大な体をくねらせて回り込み、道を塞いだ。
どうする気だ?
瞬間、蛇は大きな口を開いて男に噛み付き、頭から飲み込みはじめた。
「Pんきkぉえんcっくm」
断末魔の声とともに中継は切られ、スタジオ映像へと戻った。テレビで流せないと判断されたのだろう。
私はざわついたまま自分のデスクへ向かった。生きている蛇を見られた喜びと、人の最期を目撃してしまった衝撃。こんなに胸騒ぎがするのは何年ぶりだろう。
それからしばらくパソコンに向かっていたが、蛇が気になり仕事に集中できない。インターネットを開いてみると、やはりどのサイトもアナコンダの特集を組んでいた。しかしどれだけ調べても、新たな情報は見つからず。私は携帯電話に新しいニュースが届くのを気にしながら、お昼まで適当に仕事を済ませた。
上司や同僚も興奮気味に蛇の話をしていたが、聞き耳を立てても、私が知っていることしか話していなかった。
一体、アナコンダはどうなったのだろう。
いつもなら行きつけの喫茶店でランチを食べるのだが、この日はコンビニで弁当を買って応接室へ戻った。
「現在のマナウスの様子です」
ちょうど中継が始まった。
木や建物が地面に散らばっていて、街は先ほどよりも荒れているようだった。ジーパンや靴も落ちていて、さらに何人か戦いを挑んで負けてしまったのかもしれない。ナイフや斧などの武器も落ちていたけれど、血痕はない。蛇を倒したわけではないだろう。
窓から興奮気味に眺めていた住民は意気消沈しているようで、街全体が破壊されたかのようにあっけらかんとしていた。
相当、暴れているのでは……。
「別のヘリコプターからの映像に切り替えます」
私は映像を見て、怖気づいた。なんと牧場で、アナコンダが牛を丸飲みにしていたのだ。
蛇は先ほどより明らかに大きく成長していた。全長は50mを超えているように見える。
そのとき親父の話を思い出した。
『サチレイトリウム』
その薬があれば動物の細胞分裂を促進し、巨大化させることができる。
体育館より大きくなったハムスターの写真も見たことがあるし、昔オーストラリアではテロリストによって巨大化されたコアラが国会議事堂を踏み潰す事件も起きたらしい。今でも映像が残っている。
胃袋が大きくなりすぎた「巨アラ」は最終的に何を食べても栄養が追いつかず、餓死したそうだ。
その事件を受けて、動物テロ防止のため、食用以外の動物を絶滅に追い込んだと習った。
無論、現在、サチレイトリウムは世界中で廃絶されている。今ではその名前すら耳にすることはない。
それが、まさか蛇の保護施設内に残っていたというのか?
不安を感じずにはいられない。
もし大量に使われていたとしたら……あの蛇はどこまで巨大化するのだろう。
保護施設のスタッフは逃げたのではなく、丸飲みされたと考えた方が良いかもしれない。
そんな事を考えているうちに、牧場内の牛と羊は全て消え、蛇はさらに巨大化していた。
「再びマナウスの街へ向かっている模様です」
アマゾンの木々をなぎ倒しながら、猛烈なスピードで進む100m超級の大蛇。完全に無差別級だ。
あっという間に街に到着した蛇を、諤々として窓から眺める住民が映し出された。
蛇は木を登るようにマンションの壁を上昇し、あっという間に屋上に到達した。その重さのせいで一階部分はミシリと潰されてしまった。
パニック映画のような光景に思わず唾を飲みこむ。
蛇は長すぎる舌をチョロチョロさせて何かを感じ取ったのか、最上階の窓をぶち破り、マンションに入り込んだ。
窓枠より蛇の直径のほうが大きく、周りのコンクリート壁は崩れ落ち、マンションにはポッカリと穴が空いた。
数秒後、大蛇は別の窓を突き破って顔を出した。その口には十人を超える住民が咥えられていた。
街にはサイレンが鳴り響く。
住民はどうにか助かろうと次々にマンションから逃げ始めた。テレビ局も苦情覚悟だろう、その悲劇を映し続けていた。
『ブラジルが非常事態を宣言』
テロップが入った。
身から出た錆だが、もうそんな事は言ってられないのだろう。
その間にも大蛇は、幹線道路に向かい合って建つマンションからマンションへと移り、生き餌を貪り続けている。
画面越しでもその恐ろしさが伝わってくる。私の後ろでは、社員全員が固唾を飲んで行く末を見守っていた。
その時である。
バリバリバリバリと、サイレン音をかき消す爆音が聞こえた。
爆撃機だ。
しかし、逃げ惑う住民を顧みずミサイルを撃ち込むなんてことが出来るわけもなく、すぐに去っていった。偵察に来ただけかもしれない。
幹線道路には戦車が数台出動し、顔を出した兵士が銃撃を始めた。
おそらく麻酔銃だろう。
何本もの注射筒が蛇の胴体に突き刺さったが、それをもろともせずアナコンダは暴れまわっている。100m超級の蛇を眠らせるには時間がかかるに違いない。
いったいどれくらいの犠牲者が出るのだろう。
なんとか捕食されずに済んだ住民の避難がある程度終わると、本来の銃撃が始まった。しかし効果はなさそうだった。銃弾は膨れ上がった胴体にめり込んでいるものの、皮膚から出血した様子はない。分厚い皮を突き破ることができずに止まっているのだろう。
あらゆる銃が効かないなんて……。
蛇は敵を認識したのか、瞬く間に戦車をひっくり返した。兵士は丸飲みされた。
そのとき蛇の全長が確認でき、さらに成長していることがわかった。
おそらく300mはあるだろう。
目の位置は建物の三階部分に逹していた。
兵士たちは仲間がやられる姿を見てヤケになった様子で、戦車ごと突撃した。しかしそれも功を奏さず、硬い皮膚にはね返された。駆けつけた援軍も、勝てないと悟ったのか、すぐに退散しを始めた。
街は無法地帯。
このままではゴーストタウンとなってしまう。
これは動物の人間に対する復讐かもしれない。
私たちは都合のいいように動物を利用しすぎたのだ。
科学の名のもと必要なものは増やし、邪魔なものは排除する。
人類が長年寄り添ったその精神は、間違ったものだったのかもしれない
蛇は電車に激突されても、見事にはね除けた。
無敵だ。
圧巻だ。
神様だ。
感心している場合ではないのがわかっていても、そう思わずにはいられなかった。私は美しささえ感じていたのである。
蛇が消えたのはその後だった。
「アナコンダがアマゾンに戻っていきます」
蛇は自分より背の低くなった木々を、雑草のようになぎ倒して進んでいた。おそらく全長1km以上あるだろう。そして湖のほとりまで進むと、這うのをやめて地面に見つけたくぼみに顔を突っ込んだ。
みるみるうちに地中に潜っていく大蛇。
圧倒的なパワーに身を任せ、地面を掘り進んでいるようだ。
姿が見えなくなったとき、地面には直径50mはあろう穴が空いていた。
どこに行ったのだろうか……。
そこでふたたび轟音が響き、戦闘機が6機あらわれた。
すぐさま穴に向けて爆撃を開始。知識の疎い私にはわからないが、核兵器以外のあらゆるミサイルを撃ち込んだんだと思う。
総攻撃が終わった後も、20分ほど煙で穴は見えなかった。
死んだのか……?
◇◇◇
三ヶ月が過ぎた。蛇は消えたまま、少しずつ世界に日常が回復し始めた。
動画投稿サイトでは街を破壊する動画が、数十億回再生されている。
世界中がどこかで非日常を求めていたのかもしれない。
国際会議では、万が一ふたたび蛇が現れたときには、各国の軍隊が協力して鎮圧に向かうことが同意された。しかし軍事費や兵力についての取り決めは行われなかった。我こそがと名乗りを上げた三カ国の意見が、真っ二つならぬ、真っ三つに分かれたのである。
私はというと、あれから蛇についての書物をあさり、知識を蓄えた。そこで一つの事実を知った。それは日本の蛇が冬眠をするように、熱帯にいる蛇は夏眠をするという事だった。変温動物であり、体温調整が苦手である以上、活動できる温度に限界があるらしい。もしかしたらあんなに人や家畜を丸飲みにしていたのは、夏眠に備えていたのでは……。
数日後、私の仮説の正しさが証明された。
ポルトガル南部に大蛇が再来したのである。
地面から勢いよく飛び出た蛇は、全長約300kmにまで成長していた。
頭はポルト付近にあり、尾はリスボン近くまで伸びていた。
ヘリコプターの高度では蛇の胴体に衝突するため、映像は戦闘機から映されていた。人工衛星からの映像でも、蛇の姿ははっきり確認できた。
建物は木っ端微塵になり、地面はえぐれ、住民は逃げる時間もなく丸飲みにされていった。胴体付近には押しつぶされた死体が転がっていた。
それから二時間のあいだに、マドリードやバルセロナからは人が消え、完成したばかりのサグラダファミリアは跡形もなく消え去った。
超大国はすぐさま戦闘機を飛ばし、蛇退治に向かった。
そう報道された。
しかし人工衛星から映し出されたのは、自由の女神・赤の広場・天安門広場が燃え上がる映像だった。彼らは手柄を巡って争い始めたのである。
こんな時に何をしているんだ。
地球を飲み込む脅威が目の前に迫っているというのに。
運が悪いことに、蛇はアジアへと近づいていた。
夜にはインドを襲ったと報道された。
インド洋で蛇が水を飲むと、数十年前海に沈んだモルディブが再び姿を見せたらしい。
しかしこんな状況下では喜べるニュースではない。
私は、明日、死ぬかもしれない……。
まさか蛇によって自分の人生が終わるなんて……。
私は人間がしてきたことのツケを払う世代に生まれたことを悔やんだ。
大蛇は文字通り蛇行しながら、徐々に近づいてきた。
報道によると、まもなく全長500kmに達するらしい。
北京では無力ながら抵抗する人、何かを悟って諦める人、逃げ惑う人、様々な表情が映し出された。
しかしまだ超大国は戦争をしている。
自国が蛇に襲われても敵国を攻撃し続けている。
核兵器も投入されたらしい。
ああ、人間は愚かだ。
ピンチに際しても、自分の利益ばかり考えている。
こんな種に生まれたことが恥ずかしい。
蛇が、来た。
朝鮮半島に上陸したというニュースを聞いて窓を開けると、数分後にはもう肉眼で捉えることができた。
ああ、大きい。
とても、大きい。
黒く、不気味で、美しい。
終わりだ。
私はテレビのコンセントを抜いた。
結局人間は、愚かだった。
無力だった。
さあ、私を、この街を、日本を、世界を、飲み込むがいい。
私は、覚悟ができた。
大きく口を開けたアナコンダの暗闇に、私は飲み込まれた。
むしろ自分から飛び込んだ。
真っ暗だ。
何も見えない。
今は喉だろうか、食道だろうか。
丸飲みにされたので、どこも痛くない。
同時に飲まれた人も平気な顔をしていた。
滑り台のようにお尻を滑らせながら、蛇の体内をどこまでも進んだ。
そのまま丸一日経つと、奥の方に光が見えた。
あそこは、胃か?
滑り台が終わると、蛇がたらふく飲みこんだガラクタが散乱していた。
私はそれを掻き分けて進んだ。
その先でなんと私は奇跡の光景に出会うことができた。
なんと蛇の胃の中に、たくさんの人が存在していたのだ。
生きていた。
あらゆる人種、民族が共存していた。
牛や豚や鶏や羊も、みんないた。
丸飲みにされた者どうしが協力し、家を作っていた。
街を作っていた。
発電をしていた。
暮らしていた。
そこは争いのない、平和な世界に見えた。
「ウェルカム」
見覚えのある鎧のような筋肉をした男に言われた。私は笑顔で握手をし、街の中に入っていった。
さあ、やり直そう。
ここで一から私をやり直すのだ。
人間を、人類をやり直すのだ。
自分の家が持てたら書斎を作り、この体験を本にするのだ。
次の世代のために。
いいなと思ったら応援しよう!
