【小説】雪。死の匂い。踏みしめる音は私だけに聞こえる。
あらすじ
氷の茨まで連れていってほしい。 百年前の大戦で、魔法兵器が乱用され、傷跡が未だに残る世界。永遠を生きるエルフの少女はゴーレムを使役して便利屋を営む人間の男に依頼した。男は狼の石像〈ゴーレム〉を引き連れ、依頼者とともに北の雪原を歩き始めた。
本文
雪。死の匂い。踏みしめる音は私だけに聞こえる。
降りしきる雪のなか、灰色の狼が彼らを先導していた。
「本当にこちらであっているのでしょうか。石使い」
石使いと呼ばれた男は、依頼人である少女――イラ=マイヤを一瞥して歩を進めた。
「そうだ、エルフ。先日俺の鷹が見つけた、間違いない」
石使いは侮蔑するためにあえて彼女を名前ではなく、種族名で呼ぶ。彼の吐いた息は白く染まる。
年端もいかない少女に見えるイラはエルフだ。
実際は人間の石使いより、はるか長く生きている。
そしてエルフたちの排他的な社会を持ち、短命種である人間と接点を持つことはあまりない。
だから彼にとって彼女が初めて出会うエルフだった。
石使いは雪原を歩く少女を見る。
頭からかぶる赤いキルト地の防寒着に身を包んでいるが、その隙間から見える白い肌のきめ細やかさや、フードからこぼれる絹のような金色の髪がエルフという種族の高貴さを体現していた。
凍える極寒の平野の中、少女は静かに佇んでる。風で舞い上がった細かな雪が石使いの首元に入る。
くすぐられるような寒さに体を震わせた後に、男はもう一度、イラを見た。
まるで生きていないようだと、彼は思う。イラは白磁器の人形のようだった。
「料金はしっかり前払いでもらった。長命種の既存利益で生きているエルフと違って俺たち人間は今日を生きていくため、信用を第一にしている」
「そうですか。では人間の便利屋であるあなたとあなたの使い魔を信用しましょう」
先導していた狼の動きが突然ぎこちなくなる。石使いは使い魔の狼に駆け寄る。
それはもう石の塊になっていた。寒さを感じない無機物。熱を持たない人形。精巧にできた狼の石像。
彼が鑿を振るい彫刻した石像〈ゴーレム〉は魂が|籠ったかのように自律する。
それらを使役して、依頼ごとを解決するのが石使いの仕事だった。
石使いは手に持つ魔石を石像の口に含ませる。
するとそれは全体が淡く発光する。そして生気が戻り、狼となる。狼は感謝を示すかのように、一度身を震わせる。
石使いが優しく頭を撫でると、狼は嬉しそうに小さく鳴き、先頭へ戻っていく。
その様子を眺めていたイラは言った。
「あれは魂のない人形に過ぎません」
石使いの使い魔をあれと呼ぶ、エルフらしい高慢な態度を男は無視した。
「百年前の大戦で用いられた兵器の一つ。人間が使役するには危険すぎます」
しかし、その後に続いた言葉を石使いは無視できなかった。
「俺は生まれていないが、エルフであるアンタは生きていたはずだ。戦争の当事者が何を偉そうなことを言う」
百年前の大戦。
魔石が採掘可能な領地の主権を巡る種族間を超えた戦争。
痛みを感じない石像〈ゴーレム〉は戦場での有効性を見出され、前線に大量に投入された。石像〈ゴーレム〉に関する魔法は研究され、進歩し、先鋭化した。
術者の言葉を理解し、動物のようにふるまう石像〈ゴーレム〉は間違えなく百年前の大戦が生みだした遺産の一つだった。
そして、石像〈ゴーレム〉を含む魔法兵器の多くが魔術に長けるエルフが生みだし、多くの犠牲者は前線で戦う人間のような短命な種族だった。
百年前に生まれた種族間の断絶に沿うように、二人の会話はそこで途切れた。
石使いは上着のポケットに手を入れ、手帳を取り出す。今回の依頼の再確認する。
北の平原に突然現れた氷の茨まで依頼者を連れていく。
簡単な依頼だった。
彼女が持っていた覚書を鷹の石像〈ゴーレム〉に記憶させ、天候が良い日に空から氷の茨を探し詳細を確認した。
二日もかからない仕事にイラは半年は何もせずとも暮らせるような大金を支払った。
それゆえに石使いは万が一の場合を警戒して、狼の石像〈ゴーレム〉を引き連れた。
まばらに降っていた雪がやみ始めた頃、先導していた狼が足を止めた。
目的地に着いたのだ。雪原の中に現れた小山。それを囲うように氷の茨が生えている。鷲の石像〈ゴーレム〉を使役し、空から見たそれは氷でできた茨の冠だった。
狼が怯えていた。魂のない彫刻が姿勢をかがめ、うなり声を上げる。
茨の冠は魔力を放っていた。石使いは気づいた。小山に見えたそれは地下に眠る巨人に頭だと。
「アイスゴーレム」
彼が答える前に、イラはその名を口にする。
「先の大戦の残り香です」と彼女は続ける。
「手に収まるような小さな核を適切な場所――氷点下で水分が十分な場所に埋めれば、アイスゴーレムは術者の支援なしで自動的に成長して、竜を凌ぐ戦力になります」
「その携行性と使い勝手から様々な場所に埋められました。そして戦後、忘れられたころに目覚めたアイスゴーレムは、大戦が終わった後も多くの命を奪い続けました」
「むしろ、大戦が終わった後の方が被害が甚大でした。この兵器は時間があれば、際限なく、成長し続けるのですから」
石使いは狼をなだめ、地下に潜む氷の巨人について想像する。
もしアイスゴーレムが目覚めれば高さは遠くに見える山々に匹敵する。
巨大な氷の拳を振りかざし、城壁を崩し、人々を鏖殺する化物。
「わたしたちエルフが作り出した負の遺産。その最後の一つそして、百年眠り続けた最悪の怪物が今ここで目を覚まそうとしています」
すでに便利屋の人間と一人のエルフの手に負える範囲ではないことが石使いには分かりきっていた。
「急いで戻り王立警護団に連絡する。行くぞ」
「いえ、あなたは逃げてください。わたしはわたしの責任を取ります」
「何言ってるんだ」
「この戦略魔法兵器の仕組みはわたしが作り出しました」
石使いは振り返る。
イラは勇気と自棄を含んだ揺るぎないまなざしをしていた。石使いはそれが気にくわかなかった。
「作れたから、使ってもいいと、短絡的な判断した奴に問題があるはずだ。アンタが責任を取る必要はない」
「わたしたちエルフは何百年も生き続けます」
イラは静かに言う。語気には怒りを通り越しあきらめに似た感情が宿っていた。
「そして、いつだって体制は凝り固まり、長老を含む議会は自分の派閥の利益のことしか考えていない」
「エルフの社会には短命種の命を救うことなんて初めから頭にないのですよ」
少女は防寒着を脱ぎ去る。上着をはだけさせ、胸部を露わにする。
素肌は白く美しくなめらかだった。そして生気がなかった。
鎖骨の付け根から肋骨の終わりまでえぐり取られたかのように、多くが失われていた。
空洞の表面はつややかな赤い結晶と化し、心臓があった場所には赤く輝く高密度の魔力を宿す魔石があった。
「知っていますか。魔法の力を最大限に得るためには代償が必要です」
「そして代償は術者にとって大切なほどいいのです。わたしの心臓と魂を圧縮してできた、魔法として最高級の熱」
「それでアイスゴーレムを溶かします」
長命種のエルフの魂と命を糧に生み出す魔法。一国を滅ぼせるような力になるはずだ。ただ――
石使いはイラの手が震えていることに気づく。
永遠を生きるようなエルフが自ら死を選ぶ恐怖。生命の価値は等しいと説かれたとしても、短命種の人間である石使いには計り知れない。
「あなたに一つお願いがあります」
「アイスゴーレムの核を破壊してください。わたしの魔法では、その氷の巨躯は溶かせても、核そのものは壊せない」
「鑿を振るい魔力を絶つ石使いであるあなたならそれができます」
「尻ぬぐいになってしまうようで、申し訳ありません」
初めからこのエルフは自分の命を捨てるつもりで、贖罪のためにここに来たのか。
依頼内容のすべてを知った石使いはそれでもイラに向かって言葉を紡ぐ。
「俺は自分の命が一番だと思っている」
「自分の命より大切なものができた奴は死ぬまで、降参しない。その行きつく先が大戦だったはずだ」
「俺たち生き物は今日を生きるためにあればいいんだ。アンタもそう思わないか?」
――存外、優しいんですね。
イラは柔らかく笑い、小さく呟いた。石使いは確かにその声を聞いた。
しかし少女は短命種を見下し、蔑む長命種のエルフらしい態度に戻り、石使いを侮蔑した。
「案内役にしては随分高い代金を支払いましたよ。短命種は信用が命なんでしょう? 払った分の仕事をしていただけませんか」
「強情な女だ」
「そうなんですよ、エルフは時代錯誤で頭が固いんです」
「じゃあ、さようならだ。高慢ちきなエルフ」
「ええ、さようなら。金に卑しい人間」
石使いが離れたあと、一帯が熱くなっていく。火薬の爆発のような焦げ臭さはなかった。イラが生み出し続ける無限大の熱が雪を、氷を、凍土を、溶かしていく。
膨大な水蒸気が空に舞い上がり、凍てつく冷気と混ざる。
瞬時に水は微小な氷となり雲間から射す日の光に照らされて、きらめく。
石使いは彼女の魔法の反応が終わるまで見続けていた。
そして本来の雪原の冷気が戻る頃、彼が創造した使い魔の頭をひと撫でしてから歩き始める。
「仕事だからな」
石使いは呟き、使い魔の狼とともにまだ熱が残る小さな丘へ降りて行った。
あとがき
本文は過去に別媒体で記載した作品になります。私がnoteでの活動をメインにしていくため、まとめました。