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生きのびて想うこと

これは今の自分から、これからの自分へ今を忘れないために送るNote。

どうも、こんにちはShogoです。

何から書いていいか分からないけれど、今この時感じたことを残しておきたくNoteを開いた。

コレを書くにあたり、何でか無性に「8Mile」のサントラが聴きたくなった。
要はそういった気分ってことだ。
8Mile観たことない人はこの機会にぜひ観てみて欲しい。

話が逸れてしまったが本題に入ろうとおもう。
「生きのびて想うこと」

2024年に入り日本では大変なことが立て続けことが起こりまくってる。
自分ごとだけで言えば、2023年の暮れごろから自分の周りで色んなことが起きまくってる。
大きいところでいえば、尊敬する先輩が二人この世を去った。
二人とも人生折り返しも来てない、まだまだこれからの人たちだった。
まぁでもその話は、別の機会にでも。

ただ、その出来事があったときに感じたことがあった。
「人間あしたも生きてる保証なんてどこにもないんだな。。。」
言葉にすればめちゃくちゃ当たり前なことだし、んなこと言われなくても分かってるよってなる。
でも、分かっちゃいるけど考えないようにしていた自分がいたなって感じ。

だから、その一件以降、生きるとは何だろうなとか、いつ死んでも後悔ないように生きようとか考えてた。

そんなこんなしてる時、突然その時はやってきた。

1月20日 快晴
前日3cmほど雪が降ってた。
今シーズンは暖冬でどこも雪不足、だからそんな少しの雪でもかなり舞い上がってたんだと思う。
なんせ今シーズン始めてのパウダーDAY上がるなって方が難しいってもんだ。
そんなもんだから、浮き足立ってたんだと思う。

一本目、隣の山に移動するためゴンドラで頂上まで行った。
思うとこれも普段と違うルーティンだったな。
頂上に着いたら、コレまたいつもと違う道で一人降りことを選択していた。
朝一のツリーラン、慎重に降りていく、思ったより雪が着いている。
朝一の身体は思うように動かない。確かめるように下まで降りた。
舞い上がるような軽い雪。テンションが上がらない方がどうかしてる。

二本目、身体がまだ起きてないこともあるから、知っている道を行くことを決めた。
いつもの道、朝一で誰も通ってない道、それだけで気持ちがいいものだ。
突然、足払いをくらいそのまま転倒。
身体が地面に触れる時、胸に硬いものがめり込む感触と同時にバキバキと鈍い音が身体の中を走る。
そして、全身が痛みに包まれる。
息ができない。
「このままこの場所にいてはいけない」頭にはそのことしかなかった。
出口は見えている、20mほどだ、大丈夫滑っていける。
何とか自力で脱出することができた。
膝パウとかだと脱出できてなかったかもしれないな。
脱出と同時に仲間に見つけてもらうことができた。

そこで力尽きてしまった。自力では動くことができない。
何なら呼吸ができない。息しようとしても空気が肺に入っていかない。
声も出ない。その状態から、仲間がすぐに救助と救急車の手配をしてくれた。
現場から麓までタンカーみたいなスキーで滑って運んでもらう。
人ひとりがギリギリ入る大きさのタンカー。
その蓋を閉める。目の前には布と小さな小窓から見える空。
閉所恐怖症の人なら発狂するだろう。閉所恐怖症じゃなない俺でもかなり精神的な負荷があった。
急な斜面、雪面の凹凸、全てが苦痛で永遠に感じていた。
麓に着くと救急車が待っていた。
ようやく解放されると思った。
でもまだ地獄の序の口だったらしい。

救急車に乗せられ、病院まで搬送される。
救急隊員の見立てから、肋骨の骨が折れて肺を傷つけ肺血胸の疑いがあるとのこと。
肺血胸の対応できる病院まで1時間30分かかるとのこと。。。
雪国の道路は雪があろうとなかろうとかなり荒れている。
ましてや雪深いこの地域、雪の轍に峠道。
雪の斜面を降るのとは比にならない揺れが全身を襲う。
そんな中で呼吸はどんどん浅くなっていく。
繋がれた機材がけたたましく鳴り響く。
どうやら身体に取り込む酸素が危険なラインなっているらしい。
どうりで苦しいわけだ。
意識が飛びかける。救急隊員が気絶させないようにと指示が飛び交う。
大丈夫、絶え間なく襲う揺れのおかげで意識飛ばしてる暇なんてない。
息は苦しいし、揺れは死ぬほど痛ぇ。
これが病院に着くまで続いた。
生きた心地はしなかったし、何回も早く楽にしてくれと思っていた。
病院について、痛み止めを打たれた、その後の記憶はない。

次に目を覚ました時には救急センターのベットの上だった。
肋骨の複数骨折と肺挫傷に肺血胸と診断された。
肋骨は5本と8箇所折れているらしい。
肋骨骨折でそんなの聞いたことない。
幸い折れた骨が肺を突き破るとこまでは行っていないそうだ、軽く傷つけただけで命に別状はないと言われた。
そして、その程度ですんでラッキーだと。


俺は生きのびた。
死んでいてもおかしくなかった。
折れた骨が肺に刺さっていたら、事故した場所がもっと奥だったら、雪がもっと深かったら。。。
多くの幸が重なって生き延びることができた。
ある友達はこう言った「自然から良い忠告をもらったんだ、生かされたんだ、次を貰えたんだと」
また別の友達はこう言った「まだ死ぬタイミングではないんだと、俺たちは宇宙と地球に生かされているんだと」

今回の件で改めて、自然の中で遊ぶことのリスクを認識した。
分かっているつもりではいたが、どこか他人事だったのかもしれない。
自然の中で遊ぶってことは、地球にその場を借りて遊ばさせてもらっているってことだ。
そこには「敬愛」と「畏怖」を持ち合わせなければいけないということだ。
決して舐めてはいけない。
しかし、恐れすぎてもいけない。
良き隣人として、共に生き、そしてその中で生かされている。
決して人は傲慢になってはいけないのだと気付かされた。

そして、そんな自然からもらった「次」
「明日生きてる保証なんてない。」そう思って2024年を迎えたつもりだった。
まだまだ自分ごとに捉えてなかったんだと感じた。
今回死ぬ思いをしてようやく、「あぁ俺死んでたんかもしれんな。。」くらいでしか感じれてないのが実情。
正直、死ぬ実感が全然湧かない。
死んでたのかもしれない。
確かに死が隣り合わせにあることを体験した。
いつ死んでもおかしくない。これは理解できたし、納得もした。
ただ、自分が死ぬって想像ができないっていう感じ。
まだその辺が自分の中で消化できてないのかもしれない。

「次」をもらった。
今後どう生きていくか。
思うように動かない身体を転がしながら過ごす病室で想いを巡る。
自分はどうしたいのか。
どう生きていきたいのか。
このまま元の日常に戻っていくのか。

…….分からない、心が空っぽのよう
このまま元の日常に戻るのは嫌だなと思うくらいだ。
なんで、元の生活が嫌なのか?
本当に自分がやりたいことができてないから。
好きでもない仕事、情熱なく働く毎日、消化するだけの平日。
こんなの生きてるって言えない。
本当にやりたいことをやれば良いんじゃない?
本当にやりたいことって何だろう。
分からない。
心躍ることって何だろうな。
自分で自分がわからなくなるんだ。

何の柵もない状態だとして、何がしたい?
日取り曜日に縛られず、やりたい時にスノーボードをしていたい。
いつでも仲間と集まれるような場所を作りたい。
酒と音楽と趣味が集う場所そんな空間を作りたい。
旅をしたい。場所も目的も決めず車で日本を回ってみたい。
大きな庭のある家でのんびりできる空間を作りたい。
雪が降る地域なんかだと、その雪を使って遊べるものを作ったりしたい。

ぼんやりではあるがやりたいことがあるのかな。
ただそれをどう実現するのか、どうすれば実現できるかが分かってないのかな。

会社員として10年近く働いてきた。
サラリーをもらって生活してきた自分、この環境から抜け出せずにいる。
ただこれからは、自分の中の声を大事にしていきたい。
今までも大事にしていなかったわけではないが、どこか蓋をしてしまっていた部分はある。
自分の心が赴くままに。
まだ本当に何がやりたいのか、どう生きていきたいのかってのが定まってないけれど。
それでも、自分の心に耳を傾け、今何がしたいのか、それはどうすれば良いのかを感じ、それを実行に移すことをやっていきたい。

最後、かなりグダグダになってしまったが。。。
まだ何者でもない自分ではあるが、一歩一歩、今を大切に生きていきたいと思う。



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