文章が苦手でも、たくさん書こうよという話
7月のある日、我が社の総務事務さんから「表彰状をご自宅へ郵送させていただきました」というSlackが来た。
はて、表彰状をもらうような賞をいただいたっけ?と記憶がなかったのだが、よくよく聞いたら昨年度のFenrir Designer’s Blogのものだという。
ありがたいことに昨年note ※ に投稿した記事でいいねが多かったりSNSで多くリツイートいただくなどして、3つの賞をちょうだいしたのだ。4月のキックオフで賞状をいただくはずがこのご時世で流れ、賞の副賞である報奨金は4月の給料とともに振り込まれていたのですっかり忘れてしまっていた。(ちなみにこの報奨金は在宅ワークを円滑にするための4Kモニタ代としてありがたく使い切らせていただいた)
正直に言うと、私がこの賞たちを受賞できたのは本当にラッキーで、デザイン部門のメンバーの中でnoteの記事をコンスタントに書く人がいなかったからに他ならない。
※ Fenrir Designer’s Blogだと長いため、以下noteと略して表記する
文章を書くのが苦手という言い訳
過去のエントリーを読んでいただいたらわかると思うのだが、私は文章を書くのが上手くない。なんなら文章を書くのは苦手なほうだ。書くネタはたくさんあるもののなかなか書き上がらずツライことも多く、実は書きかけたままリリース出来なかった記事は投稿した数と同じくらいある。
それでもnoteは昨期の目標として毎月1本、書くと決めた。
毎日投稿されている人からみたら月に1本なんてものの数にも入らないだろうが、”文章を書くのが苦手”という言葉から逃げずに目標を設定したからこそ見えてきたことがある。
毎月書こうと決めたnoteで必ずやろうと思ったことの一つに、自分の気持ちや考えを載せよう、というものがある。私も含め文章を書くのが苦手という人のほとんどは ”どう書くか”、”どう表現するか”という以前に、”何をどう考えればよいのか”がわからずつまづいていることが多いと思う。まず、自分の頭で考えることが苦手なのだ。だから、自分の考えを外に発信できないし、自分の書いたものがどう相手に響くかがわからないから怖いのだと思う。
実際、書き上がらなかったnoteのエントリーは自分の体験や感情を上手く落とし込めなかったものばかりである。
時にはネガティブなことも書いた。エントリーに対して、批判的な意見ももちろんあった。それでも諦めずに自分の考えと感情を正直に書くことでたくさん本数を稼ぐ。何を言われても”書くことで考えをまとめる”、”考えたいからnoteを書く”という意識にしたのも成功の理由かなと思う。投稿本数を多くする一番の効果として、過去の自分より多少は話をうまくまとめられるようになったと感じている。
文章は下手だが苦手を言い訳にせずに数を積み重ねた結果、私以外こんなにnoteを投稿した人がいないからこそ、デザイン部のnote賞を総なめみたいなことになったのだと思う。
note書けオバサン
フェンリルのデザイン部門にいるなら「じゃあそれnoteに書いてよ!」と私に言われた人はかなりいるはずだ。
セミナーのように一度にたくさんの人が聞くようなものでも、同じ話から受ける体験や感覚、印象や響く響かないみたいなものも多種多様になるし、その先のアウトプットも一つであるはずがない。セミナーに限らず、外部から講師を招いて研修を行った、部でこんなイベントがあった、チーム内でこんな学びがあったなど、デザインに関わることだけに限らず書けることは無限にあるのではないかと思っていて、その芽を見つけたら「note書いてよ!」と、自称note書けオバサンとして、ほんとうにずっと言い続けている。
正直ちょっと自分でもうっとうしいだろうなとは感じているのだが、このnote書けオバサンをやめるつもりは毛頭ない。なぜなら総勢50人以上いるフェンリルのデザイン部門の人たちの体験や思い、学びを多様な視点で人の文章を読みたいと思っているからだ。
このままだと、また賞の総取りになってしまう!?
note書けオバサンとして今一番の懸念は、このままだとFenrir Designer’s Blogに投稿する人が少なすぎて、また私が賞を総取りする可能性が出てきたことだ。
前述したたくさんの人の視点や考えを読みたい気持ちも本当だし、報奨金が全てではないが、デザイン部門の誰しもが報奨金を得る権利を持っているのに、ぜんぜん使わないのはもったいないんじゃない?という気持ちもある。
なので、この場を借りてもう一度書く。
さあ皆、note書いてよ!
最後に
言葉でしか、人と考えや体験の中身を共有できない。私には、自分の中にある言葉を用いて自分に関わる人と考えや感情を共有したいという思いがあり、その手段の一つとしてnoteを使っているにすぎない。
私のnote記事は面白いわけでもないし、特別ためになる内容でもないだろう。しかしすべての人に響かなくても、どこかの誰かにこの気持や感情や体験が届けばいいなと思って、今日もいそいそとこのnoteを書いている。
おまけ
このnoteを書くために、伝わる・揺さぶる!文章を書く(山田ズーニー著)をざっと読み返した。
下手なりに文章を書くのを頑張ろうと思わせてくれた本で「書くこととはなんぞや」を突き詰めたような良書である。文章力における自分の立ち位置をはかる指針になっている1冊だ。
このnoteにうまく組み込めなかったのだが、文章を書くということはもしかしたら自分の人生を記しているのかもしれないなと感じる一文がある。
自分の根っこの想いに忠実か? 根本思想は、短い文章にも、ごまかしようなく立ち表われてしまう。人に対して温かい思いを持っている人の文章は、さりげない書き方をしていても温かさが伝わってくる。また、生き方が後ろ向きな人は、何を書いても、どう書いても、やはり後ろ向きな印象が伝わってしまう。(本文より引用)
これからも相手に何かを伝えるためにブレない文章を書いていきたいと思わせてくれたとともに、あらためて自分の文章力のなさに衝撃を受けた。
もう一度この本を読み込んで、誰かに伝える文章の書き方の基本を叩き込みなおさなければと気持ちを新たにした。