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0566:小説『やくみん! お役所民族誌』[15]

第1話「香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める」[15]

<前回>

        *

 三日間の澄舞県消費生活センターインターンシップのゴールは、みなもと小室の二人で県民向けの広報素材をひとつ、仕上げることにある。そのために必要な「テーマ」「モチーフ」「媒体」を検討することが、初日午後の課題だ。
「まずはテーマね。午前中の話を思い出して」
 二階堂麻美主任が「正解」のない課題にヒントを与える。
「消費者行政の根っこは『消費者の自立の支援』、広報啓発もそのためのものね。緊急性・重要度の順番でいえば、悪質商法や消費者事故の被害防止が筆頭に来る。次に契約社会でのルールなど消費者の利害に関係する知識。繊維製品の特性とか電気製品の安全な使い方のように、暮らしの中で知っておいた方がいい知識。あと、エシカル消費やSDGsといった、近年政府が普及に努めているテーマもある。消費生活相談員試験の要項を見てもらうと分かるけど、本当に対象範囲が幅広いです。どのテーマを選んでも構いません。午前中に聞いたこと、所内にある本やパンフレット、インターネットなど、いろいろ調べてみて。その中から、自分が一番興味を惹かれるもの、面白いと思ったものを選んでください。だってその方が」
 二階堂は二人に微笑んだ。
「誰かにそのテーマの面白さ、大切さを伝えたいって、気持ちが前のめりになるでしょう? そういう気持ちが、広報啓発担当者には一番大事だから」
 論文は、自分が見つけたわくわくを、誰かに伝えること──昨日のゼミでの石川准教授の言葉を、みなもは思い出した。
 二階堂は二人を協議テーブルに残して自席に戻っていった。インターンシップ期間中も職員には平常業務があるから、付きっきりというわけにはいかない。課題を示し、材料を用意して、ここからしばらくは小室とみなもの二人で検討する時間だ。
 机の上には本や雑誌、パンフレットがいくつか用意されている。この他に、所内の来客用書架を自由に見ていいと言われていた。それからノートパソコンが一台。職員でない二人が使用する端末はセキュリティ上の問題から庁内LANには接続できないが、モバイルルータでネットに接続されている。
「試験範囲、これだね」
 消費生活アドバイザー試験要項を手にした小室が、みなもに見えるようにページを開いてテーブルに置いた。二列の表形式で、左欄に「範囲」として次の項目が列挙され、右には更に詳細な項目が並んでいた。

1. 消費者問題
2. 消費者のための行政・法律知識
(1) 行政知識
(2) 法律知識
3. 消費者のための経済知識
(1) 経済一般と経済統計の知識
(2) 企業経営一般知識
(3) 金融の知識
(4) 生活経済
(5) 地球環境問題・エネルギー需給
4. 生活基礎知識
(1) 医療と健康
(2) 社会保険と福祉
(3) 衣服と生活
(4) 食生活と健康
(5) 快適な住生活
(6) 商品・サービスの品質と安全性
(7) 広告と表示

日本産業協会「消費生活アドバイザー試験」より

「うーん、ジャンルは社会科と家庭科、かな」とみなも。もちろん国家資格である以上、高度な知識が幅広に問われるのは見てとれた。
「そうだね。試験対策テキストの厚みががこんなにある」
 小室が白表紙のテキスト三分冊をまとめて指で測る。メインテキストだけで7cmくらい、問題集などを含めると10cmを優に超える。過去問を眺めながら
「この資格取ったら、就職に有利かな……」
なんて前向きなことを呟くので、みなもが茶々を入れようとしたその時、バッグの中でスマホが鳴動する気配があった。
 バッグに手を入れ、スマホを手に取る。画面には「おばあちゃん携帯」の発信者表示。茂乃からだ。
 1秒迷って、そのままバッグにスマホを戻した。
「……出なくていいの?」
「今はまずいでしょ。お昼にも電話のあったおばあちゃん。後でかけるよ」
 その後、時間を置いて更に3回鳴動があったが、みなもはスマホを手に取らなかった。
 二人それぞれに資料を見ながら、関心のあるテーマの候補を三つずつ出し合った。小室が挙げたのは「未成年者取消権」「詐欺被害防止」「消費生活センターの役割」、みなもは「エシカル消費」「健康食品」「悪質商法」だ。詐欺・悪質商法の被害防止が一致していた。
「じゃあ、特殊詐欺・悪質商法の啓発にする?」
 小室の問いにみなもは応えた。
「『世の中こんなに悪い奴がいるのか』『まさかこんな手口で騙すのか』という感じで、すごく面白いよね。ただ、ここにある過去の啓発パンフレットは、圧倒的に悪質商法関係が多いでしょう。なんか、それもつまらないなと思っちゃわない? その点、私的には、エシカル消費が捨て難い気もしてる」
 エシカル消費とは、「ethical=倫理的な」消費行動のこと。自分の行動が社会や世界に影響を与えていることを自覚し、自分の損得だけではなく広い視野で何を買うか選んだり、暮らしを見直したりすることをいう。例えば、生産労働者に正当な賃金を支払っている会社の製品を割高でも購入する、すぐに消費するのなら店頭で手前に並んでいる賞味期限の近いものから購入する、といったものだ。

「なんかさ、買い物って個人的なものだと思ってたけど、実は個人の行動が積み重なって社会の仕組みを誘導してるって視点が、面白いんだよね。逆に、世界を良いものにするために、個人の行動の方を変えていく。啓発のし甲斐があるなあ」
 みなもの言葉に、小室は数秒、沈黙して何かを考えていた。それから徐に「いいよ、じゃあそれにしようか」と口にした。
「え、いやいやいや、何か引っ掛かるところがあるなら、ちゃんと言ってよ? 小室くんが興味ない分野に決めるつもりはないから」
 自分が面白いと思うことを他の人に伝えたい気持ち、それが広報啓発担当者に一番大事なことだと、二階堂さんはいった。だったら、私だけが面白がってテーマを決めちゃいけない。
「興味がないわけじゃ、ないんだ。エシカル消費の目的そのものは大事なことだと思ってる。ただ──例えばさ」
 小室はエシカル消費のパンフレットを開いてみなもに示した。
「安いからといってファストファッションばかり買っていると、貧しい国の労働者の劣悪な労働環境は改善しない、だからファストファッションではなく、生産労働者に適正な賃金が払われているフェアトレード製品を買いましょう──という啓発が、どのくらいの人に響くのか、わかんないんだよ。誰だって安くて良いものが欲しい、ファストファッションに多くの人が向かうのは自然な消費行動だろ。それに対して『割高なものを買え』と言わんばかりの意識高い系の広報が、本当に効果があるのか。少しでも新鮮な牛乳を買いたいと無意識に思う人は、店頭に並んでる製品の奥から新しい牛乳を取って買う。それを倫理的じゃないと暗に否定するような広報が、どれだけ消費者の耳に届くのか。そういう疑問があるから」
 小室の口調は強かった。ゼミで議論を戦わせる時のそれだ。みなもは少しカチンときた。だから、口を滑らせてしまった。
「小室君から意識高い系批判が出るとは思わなかったなあ」
「──なんで?」
「小室君自身が意識の高い人だと思ってたから」
「なんで?」
 小室の詰めに、うっ、とみなもは口籠る。しまった、言い過ぎた。何かを応答しなければならない流れなのに、うまい言葉が出てこない。論点を外したただの難癖を口にしてしまったと、自覚せざるを得ない。
 その様子を見て、小室が言葉を継いだ。
「消費者の自然な感情に基づく行動が積み重なって労働搾取や食品ロスなどの問題が生まれている、というのはわかるんだ。でもそれを改善するのに、消費者側の意識を変えるというのは、手段として本当に有効なんだろうか。人の心を変えるのは、とても難しいよ。意識の高い啓発は、もともと意識の高い少数の人には響いても、多くの人には他人事に聞こえるんじゃないだろうか。行政がその権限を使って社会を改善するんなら、消費者側よりも生産者側を誘導または規制する仕組みを作った方が、遥かに効率的なんじゃないか。そう思うと──ごめん、エシカル消費の啓発は、僕自身は高い優先順位を付けられない」
 みなもが持っていない視点だった。「エシカル消費を少しでも広めれば社会はきっと良くなる」という、さっき知ったばかりのテーゼを素朴に「正しい」「善だ」と思っていた。それはつまり、このテーマを自分の中で少しも噛み砕いていなかった、ということを意味する。
 当たり前だと見過ごしているものを、考え抜いて、見慣れないものにする。入華教授が授業やゼミで繰り返し口にしていた、事柄の本質に迫るための文化人類学のアプローチだ。自分はそれが出来ていなかったと突きつけられたようで、みなもは恥じた。だからこそ、自分の非を素直には認めたくなかった。
「じゃあなんでさっき、このテーマでいいって言ったの」
 少しでも相手の非を見つけたい心理による、皮肉を込めた言葉だ。しかし小室は、真っ直ぐに応えた。
「だからだよ。自分が価値を見出せないテーマだから、そこに価値を見出している香守さんと一緒に作業することで、僕の見えてない世界が見えるんじゃないかと思ったんだ」
 完敗だった。上っ面じゃなく本当の意味で、彼は意識が高いんだ──みなもはそう受け止め、返す言葉を失った。

        *

「白熱してるねえ」
 野太い声と共に、ぬっ、と野田室長が大きな顔をパーティションの隙間から覗かせた。これもまた大きな手が差し込まれる。その掌には、淡色の紙に包まれたものが四つ乗っていた。
「飴、食べる?」
「あ……いただきます」
 みなもは戸惑いながら答えた。いたたまれない空気に違う風が吹き込まれたようで、正直、ほっとした。
「じゃあ、2個ずつ好きなのを取って」
 野田は協議スペースに入ってきて、二人の目の前に掌を差し出した。小室とみなもはアイコンタクトで先を譲り合い、結局みなもが先に練乳とリンゴを選び、小室は残るイチゴとレモンを手にした。二人とも、自分の手と野田の手の大きさは、子供と大人くらい違うように思えた。実のところ、50代半ばの野田の子供と二人は同年代だ。
「いやあ、眩しいなあ」
 野田は優しくいいながから、二人の向かいの椅子に腰を下ろす。ぎしっ、とフレームの軋む音がした。
「自分の学生時代を思い出すよ。こういう真っ直ぐな議論を戦わすことができるのは、学生の特権みたいなものだからね」
「県庁でも政策議論は行われるんじゃないですか?」
 小室の問いに、野田は(そのとおり!)と言わんばかりに目を大きく見開いて頷いた。
「うん。行政実務の少なからぬ割合を調整作業が占めているね。組織内部の意思決定にしても、外部とのすり合わせにしても、協議は欠かせない。でもね、大学での議論とは、ちょっと違うんだ。いや、随分違うといっていい。午前中に、事務分掌制について聞いた?」
 二人は首を横に振る。
「澄舞県庁では、職員一人ひとりに担当事務が割り振られている。一応はひとつの事務に主担当・副担当と二人を充てる形を取ってるけど、実質的には主担当者が一人でその事務に責任を持っている。だから、大勢であれこれ議論をするようなことは、ないんだ。もちろん、上司や利害関係他課とは協議することになる。その時、自由闊達な意見交換で徹底的に理想を追求するのかといえば、そうじゃあない。限られた予算、人員、日程の中で、実現すべきことを実現すること。それが公務員の仕事なんだ。
「例えばエシカル消費というテーマは、地方自治体から見れば、中央つまり消費者庁から降って湧いたものなんだ。もちろん啓発を強制されているわけではない。でも、中央で旗を振っていることを地方が無視するなんて、一定の覚悟がなければできない。事柄自体は、とても正しく、美しい。啓発しないより、した方がいいに決まってる。そこにどのような課題や矛盾があるのか、本質的なことをじっくり考える余裕のないままに、啓発活動に取り組むことになる。どうしてもね、良くも悪くも、上っ面になってしまうんだ。
「広報啓発に限らず、行政活動に100点の理想は求めようがない。80点ですらそう簡単に実現できない。誤解を生みそうな言い方だけど、多くの事業は理想に対して60点。0の状態から行政施策によって60点でも前へ進めたなら、それは当面の成功なんだ」
 60点。予想より低い点数で、小室もみなももリアクションのしようがなかった。二人の戸惑う様子に野田は慌てて両手を振り
「公務員が手を抜いて60点の仕事しかしてないということじゃないんだ。組織というのは現実の人間の集まりで、そのような人間集団で一人ひとりが懸命に頑張っても、理想には遥かに手が届かない現実に打ちのめされるばかりだ。そういうね、なんというか、もどかしい気持ちがあるのさ」
 そこまでいうと、野田は頭をぽりぽりとかいた。
「ごめんね、学生さんに言う話じゃなかった。役所に幻滅しないでね。それだけ二人の議論が眩しかったんだよ。うんと議論して、でも明後日には、形にしてね。それが君たちの今の『仕事』だから」
 はい、と二人は小さく答えて頷いた。

        *

 その時、ぶぶぶ、とくぐもった音が鳴った。みなものバッグの中、スマホの鳴動だ。三人の目がバッグに向いたが、みなもは手を伸ばさない。
 野田がいう。
「僕の茶々で休憩みたいになっちゃったね。昼休み以外に休憩時間は決まってないから、適当に休んでね。電話も出ていいよ」
「じゃあ少しインターバル取ろうか」小室も野田の配慮に同調した。みなもは「じゃあ、ちょっと」とバッグを手に取り、席を立った。
 野田の示唆に従い、エレベーターホールの正面にある休憩コーナーで、スマホをバッグから取り出す。幸い周囲には誰もいない。
 発信者表示はやはり「おばあちゃん携帯」だ。履歴までは確認していないが、午後の5回の着信は全部おばあちゃんなのだろう。いつもはこんなにしつこく電話の掛かることはないのに、と思いながら、受信ボタンをフリックして耳に当てた。
「もしもし、みなもです」
 一瞬、無言の間を置いて、聞こえてきたのは男の声だった。
「香守みなもさんでしょうか?」
 え。
「……あの、どちら様でしょう」
 みなもは警戒して、相手の問いに答えず問いで返した。
「私、八杉警察署の織田と申します。香守茂乃さんの携帯をお借りして電話しています。香守みなもさんで間違いないですか?」
「はい、そうです」今度は早口で答える。まさか事故、と心臓が大きく鳴った。
「良かった、お父さんお母さんにも電話をするんですが繋がらなくて。今、八杉の甘田町(かんだちょう)のコンビニから掛けています。目の前に茂乃さんもいらっしゃいます。大金を振り込もうとしていて、どうやら詐欺に騙されてるようなんです。振り込まないように説得してるんですが、取り乱しておられて──」
 電話の向こうで、茂乃の声が聞こえた。5秒、言い争うような気配がした後、相手が茂乃に代わった。
「みなもちゃん!?」
「あ、おばあちゃん? みなもだよ」
 みなもが言い終えるより前に、茂乃が早口で捲し立てる。
「私、大変なことしちゃったあ。警察に逮捕される前に預託金だいなんだい払わんといけんに、お店の人が邪魔すうだがん。警察の人が来て、すぐ払うけんって言うだに、なんだい分からんこといって邪魔すうだ。このまんまだと、おばあちゃん刑務所に入らんといけんやになあ。みなもちゃん、おばあちゃんを助けて!」
 涙声は、最後は悲痛な叫びになった。みなもがこれまで聞いたことのない、おばあちゃんの錯乱だった。

<続く>

--------(以下noteの平常日記要素)

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積222h00m/合格目安3,000時間まであと2,778時間】
 覚悟のノー勉強デー。「やくみん」次回まで、ということだったけど、もう勢いでやくみん第一話を最後まで片付けてから、勉強に戻ることにするよ。

■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
『一騎当千GG』第7話、なんかオカルティックな流れは取って付けたような感もあるなあ。『ルパン三世PART6』第23話、まさかのルパンも催眠にかかる。『白い砂のアクアトープ』第15~17話、やくみん書きながら話半分。

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